備中松山城 その8 [お城踏査]
備中松山城の続きです。
備中松山城は、その山の険峻さ石垣の立派さからマチュピチュを文字ってビチュマツとも一部のマニア間で呼ばれています。
本丸の裏門です。
後ろの建物は天守です。
二重櫓の後ろにある平櫓跡です。
同じく九の平櫓跡です。
遺構がよく残っています。
本丸の石垣と八の平櫓(復元)です。
三の平櫓跡です。
本丸と天守です。
天守の古写真です。
明治の初期はこのように荒れ果てた状況でした。
いつ崩れてもおかしくない状態でした。
しかし、その後地元の方の努力により修理がされて残されました。
二の丸の石垣です。
この景色は何度見てもいいですね。
岩山に石垣が重なります。
土塀です。
真ん中に線がありますが、そこより奥がもともとあった土塀で、手前が復元されたものです。
一見するとわかりません。
備中松山城の測量図です。
山の上に巧みに曲輪を配置していることがわかります。
備中松山城は麓から歩いても登れますが、山腹までシャトルバスも出ています。
ほとんどの人はバスで上ります。
険しい山なので山道も細くカーブの連続なので大きなバスで上ると冷や冷やです。
バス専用で対向車はいないのでいいですが。
備中松山城は何度来てもいい城です。
城下町も古い町並みが残り風情がありますが、今回は時間不足で回れませんでした。
(終わり)
備中松山城は、その山の険峻さ石垣の立派さからマチュピチュを文字ってビチュマツとも一部のマニア間で呼ばれています。
本丸の裏門です。
後ろの建物は天守です。
二重櫓の後ろにある平櫓跡です。
同じく九の平櫓跡です。
遺構がよく残っています。
本丸の石垣と八の平櫓(復元)です。
三の平櫓跡です。
本丸と天守です。
天守の古写真です。
明治の初期はこのように荒れ果てた状況でした。
いつ崩れてもおかしくない状態でした。
しかし、その後地元の方の努力により修理がされて残されました。
二の丸の石垣です。
この景色は何度見てもいいですね。
岩山に石垣が重なります。
土塀です。
真ん中に線がありますが、そこより奥がもともとあった土塀で、手前が復元されたものです。
一見するとわかりません。
備中松山城の測量図です。
山の上に巧みに曲輪を配置していることがわかります。
備中松山城は麓から歩いても登れますが、山腹までシャトルバスも出ています。
ほとんどの人はバスで上ります。
険しい山なので山道も細くカーブの連続なので大きなバスで上ると冷や冷やです。
バス専用で対向車はいないのでいいですが。
備中松山城は何度来てもいい城です。
城下町も古い町並みが残り風情がありますが、今回は時間不足で回れませんでした。
(終わり)
2017-04-10 21:52
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コメント(1)
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下から見上げた石垣の雰囲気がいいですね。
明け方から雨です。
by 夏炉冬扇 (2017-04-11 08:20)