砥石城 その2 [お城踏査]
砥石城の続きです。
米山城から見た砥石城です。
米山城は標高734mですが、比高は130mです。
砥石城です。
砥石城は標高789mです。
主郭は20m四方で比較的小さな曲輪です。
説明です。
砥石城の主郭です。
削平されただけで、土塁や虎口はありません。
砥石城・米山城の古図です。
米山城、砥石城、本城、枡形城の関係がわかります。
武田信玄は、天文17年(1548)に砥石城の村上義清を攻めて、上田原の合戦で敗北します。
さらに天文19年に再度砥石城を攻めますが、大敗します。
これを砥石崩れといい、『勝山記』に、「この年の九月一日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。」と書かれるほどの大敗でした。
しかし、翌年、真田幸隆(真田昌幸の父)が調略を用いて、砥石城を落城させます。
その後、砥石城は、真田氏に与えられて、真田氏の本拠となりました。
真田丸の放映で舞台にもなり、有名になりました。
(続く)
米山城から見た砥石城です。
米山城は標高734mですが、比高は130mです。
砥石城です。
砥石城は標高789mです。
主郭は20m四方で比較的小さな曲輪です。
説明です。
砥石城の主郭です。
削平されただけで、土塁や虎口はありません。
砥石城・米山城の古図です。
米山城、砥石城、本城、枡形城の関係がわかります。
武田信玄は、天文17年(1548)に砥石城の村上義清を攻めて、上田原の合戦で敗北します。
さらに天文19年に再度砥石城を攻めますが、大敗します。
これを砥石崩れといい、『勝山記』に、「この年の九月一日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。」と書かれるほどの大敗でした。
しかし、翌年、真田幸隆(真田昌幸の父)が調略を用いて、砥石城を落城させます。
その後、砥石城は、真田氏に与えられて、真田氏の本拠となりました。
真田丸の放映で舞台にもなり、有名になりました。
(続く)
2017-04-21 23:17
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コメント(3)
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朝晩が冷えてきましたね。
再び、ホットカーペットの電源をオンにしました(^_^;)
by green_blue_sky (2017-04-22 21:41)
ほんまに、朝晩寒くて・・・
私もコタツまだ仕舞ってないよ。^^;
by hatumi30331 (2017-04-22 23:19)
珍しい名前ですね。
砥石とは無関係?
by 夏炉冬扇 (2017-04-23 19:30)