川手城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]
川手城は岐阜県岐阜市西法寺町にあった中世城郭です。
石碑と説明です。
美濃源氏は平安末期から鎌倉時代に美濃各地に土着した清和源氏の一族です。
光衡は源頼朝に従いね軍功を挙げて東美濃の土岐に土着して土岐氏と名を改めました。
その後土岐頼貞は中興の祖とされ、瑞浪市の一日市場に館を構えて美濃守護職となりました。
守護三代目の土岐頼康は美濃・尾張・伊勢三カ国の守護となり、川手城を築き移りました。
別名革手館
周囲に正法寺や八幡神社など多くの神社仏閣があり、以降11代守護が住みました。
戦国時代には斎藤道三が川手城を廃止して、稲葉山城に移りました。
石碑です。
昭和28年に建てられました。
川手城は、廃城になってから江戸時代には加納城の築城に石垣などが使われて今は石碑があるのみです。
現在は済美女子高校の敷地となっています。
石碑と説明です。
美濃源氏は平安末期から鎌倉時代に美濃各地に土着した清和源氏の一族です。
光衡は源頼朝に従いね軍功を挙げて東美濃の土岐に土着して土岐氏と名を改めました。
その後土岐頼貞は中興の祖とされ、瑞浪市の一日市場に館を構えて美濃守護職となりました。
守護三代目の土岐頼康は美濃・尾張・伊勢三カ国の守護となり、川手城を築き移りました。
別名革手館
周囲に正法寺や八幡神社など多くの神社仏閣があり、以降11代守護が住みました。
戦国時代には斎藤道三が川手城を廃止して、稲葉山城に移りました。
石碑です。
昭和28年に建てられました。
川手城は、廃城になってから江戸時代には加納城の築城に石垣などが使われて今は石碑があるのみです。
現在は済美女子高校の敷地となっています。
2017-05-29 23:06
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コメント(3)
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跡地は広いので、学校になりやすいですね。
by green_blue_sky (2017-05-30 05:33)
今の政権では直ぐに公地も払い下げしてくれますからね。
by 馬爺 (2017-05-30 14:47)
「石」はそうやって再利用するのは珍しくありませんね。
by 夏炉冬扇 (2017-05-30 16:53)