西尾市塩田体験館 [四方山話]

西尾市塩田体験館が28年4月16日にオープンしました。

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愛称は饗庭塩の里です。

饗庭は「あいば」と読みます。

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復元塩田です。

入浜式塩田です。

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桝です。

ここで灌水(濃い塩水)を作ります。

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海水をまいているところです。

入浜式塩田保存会の皆さんの実演です。

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復元された塩焼き小屋です。

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塩焼き釜です。

ここで塩を煮詰めて作りました。

これはイミテーションです。

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塩を入れておく樽です。

岡崎市の八丁味噌の寄贈です。


ところで忠臣蔵の原因がこの塩田にあったという説がありました。

赤穂の塩は白くて評判がよかったけど、吉良の塩は黒くて売れなかった。

そこで吉良上野介が浅野内匠頭に製塩方法を尋ねたが、浅野氏が教えなかったので、恨んで勅使接待の時に意地悪をして内匠頭に恥をかかせたというのである。

そもそも、当時は塩田は吉良氏の領地ではなく、この説は否定されています。

また、吉良上野介は指導役なので、浅野内匠頭の失敗は指南役の責任になるので、嘘を教えるとかありえません。

荻生徂徠は、浅野内匠頭は吉良上野介を殺そうとしたが、浅野内匠頭を殺したのは吉良ではないので、浅野家の家来が吉良上野介を殺すのは仇討ちではない、と明確に論じています。

殿中で刀を抜けば、大事な勅使饗応をぶち壊し、お家断絶になるということもわからず、一時の感情に左右されて後先を考えない短慮な性格は内匠頭の性格だったこともわかってきました。

『栗崎道有記録』は、浅野内匠頭長矩は癇癪持ちであったとしています。

ドラマでは若い殿さまのように見えますが、実際には34歳で、おまけに勅使饗応も二度目なので、作法を知らないということはありませんでした。

夜中に武装して大勢で寝込みを襲うことは卑怯であり、当時のこころある武士の中では、忠義でも仇討ちでもないとするものも多かったそうです。

しかし、日清・日露戦争から第二次世界大戦の時代には、軍国主義者にとっては「忠臣蔵」は、国民の、忠義、忠臣の精神を高揚するにはぴったりの物語でした。

そのため、過大に評価されてきました。

それが今日まできています。

今こそ忠臣蔵を見直す時期です。

そもそも忠臣蔵という呼び方も歌舞伎のなかのことで、本来は赤穂事件とよぶことが正しいでしょう。

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だいぶ脱線しましたが、塩田体験館では、塩焼き体験もできます。

一日コースとショートコースの2つがあります。

いずれも自分で作った塩を持ち帰れます。


西尾市塩田体験館

〒444-0514
愛知県西尾市吉良町白浜新田宮前59-1

℡0563-32-3373

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