安祥毘沙門天 [寺院]
安祥毘沙門天は愛知県安城市にあります。
山門です。
コンクリート造りですが、朱色に塗られています。
説明です。
志貴庄時代に、庄館(安城古城)の周りの四囲に寺院が建てられました。
東に常福寺、西に甲山寺、南に多宝坊、北に極楽坊です。
ここは極楽坊にあたり、毘沙門天が祀られました。
境内にある毘沙門天の石像です。
本堂です。
毘沙門天は、安城城から松平清康(徳川家康の祖父)が大永4年(1524)に岡崎城に移ると岡崎に移転しました。
明治になると再びこの地に移転しました。
本堂の幕には何故かムカデが描かれていました。
安城市のマンホールの蓋です。
七夕が描かれています。
安城市の七夕は日本三大七夕と言われます。
三大とは、仙台、平塚、安城です(異説あり)。
最近はマンホール女子とか言い、マンホールの蓋のデザインを愛好する人が増えてきました。
少し足元も注意してみたいと思います。
山門です。
コンクリート造りですが、朱色に塗られています。
説明です。
志貴庄時代に、庄館(安城古城)の周りの四囲に寺院が建てられました。
東に常福寺、西に甲山寺、南に多宝坊、北に極楽坊です。
ここは極楽坊にあたり、毘沙門天が祀られました。
境内にある毘沙門天の石像です。
本堂です。
毘沙門天は、安城城から松平清康(徳川家康の祖父)が大永4年(1524)に岡崎城に移ると岡崎に移転しました。
明治になると再びこの地に移転しました。
本堂の幕には何故かムカデが描かれていました。
安城市のマンホールの蓋です。
七夕が描かれています。
安城市の七夕は日本三大七夕と言われます。
三大とは、仙台、平塚、安城です(異説あり)。
最近はマンホール女子とか言い、マンホールの蓋のデザインを愛好する人が増えてきました。
少し足元も注意してみたいと思います。
下社城@愛知県名古屋市 [お城踏査]
大岡越前守陣屋跡 [お城踏査]
大岡越前守陣屋跡は愛知県岡崎市大平町にあります。
石碑です。
大岡越前守旧邸とあります。
西大平陣屋です。
今は、史跡整備されています。
大岡裁きで有名な大岡越前守の陣屋です。
西大平藩は大岡忠相が寛延元年(1748)に奏者番兼寺社奉行に就任して三河で宝飯・渥美・額田で4080石を加増されて1万石の大名となり、西大平に陣屋を設置したことに始まります。
明治維新により陣屋は廃止されましたが、旧藩士や領民から陣屋跡を保存する声が上がり大岡氏別邸となりました。
史跡整備として門と土塀が作られました。
門の形式は高麗門です。
城門の形式で、厳密な復元ではありません。
土塀です。
本瓦葺きで立派なものです。
中から見た土塀です。
大岡稲荷社です。
大岡越前守は江戸赤坂の藩邸内に豊川稲荷の分社を祀っていました。
今の社は平成14年に再建されました。
石碑です。
大岡越前守旧邸とあります。
西大平陣屋です。
今は、史跡整備されています。
大岡裁きで有名な大岡越前守の陣屋です。
西大平藩は大岡忠相が寛延元年(1748)に奏者番兼寺社奉行に就任して三河で宝飯・渥美・額田で4080石を加増されて1万石の大名となり、西大平に陣屋を設置したことに始まります。
明治維新により陣屋は廃止されましたが、旧藩士や領民から陣屋跡を保存する声が上がり大岡氏別邸となりました。
史跡整備として門と土塀が作られました。
門の形式は高麗門です。
城門の形式で、厳密な復元ではありません。
土塀です。
本瓦葺きで立派なものです。
中から見た土塀です。
大岡稲荷社です。
大岡越前守は江戸赤坂の藩邸内に豊川稲荷の分社を祀っていました。
今の社は平成14年に再建されました。