西尾城シンポジウム3-在地領主の動向 [お城情報]
西尾城シンポジウムも今年で3回目です。
恒例となりつつあります。
西尾城シンポジウム3-在地領主の動向
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「戦国時代の三河の動乱」山田邦明氏(愛知大学教授)
報告
「城館構造からみた在地領主」奥田敏春氏(西尾市史執筆員)
「三河湾の水軍・幡豆小笠原氏」小川雄氏(西尾市史執筆員)
「大河内・巨海・高橋及び富永氏の系譜」小林輝久彦氏(西尾市史調査員)
問合せ
西尾市教育委員会
℡0563-56-6660
恒例となりつつあります。
西尾城シンポジウム3-在地領主の動向
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「戦国時代の三河の動乱」山田邦明氏(愛知大学教授)
報告
「城館構造からみた在地領主」奥田敏春氏(西尾市史執筆員)
「三河湾の水軍・幡豆小笠原氏」小川雄氏(西尾市史執筆員)
「大河内・巨海・高橋及び富永氏の系譜」小林輝久彦氏(西尾市史調査員)
問合せ
西尾市教育委員会
℡0563-56-6660
シンポジウム「中世那須のあけぼの 那須神田城を考える」 [お城情報]
秋はお城関係もイベントが多いですね。
シンポジウム「中世那須のあけぼの 那須神田城を考える」
日 時 2016年10月30日(日) 10時~16時30分
場 所 那珂川町ふるさと館(栃木県那珂川町)
定 員 80名(申込不要)
参加費 無料
内 容
橋口定志氏(としま遺跡調査会)
橋本澄太朗氏(栃木県考古学会)
問合せ
なす風土記の丘資料館
℡0287-98-3322
シンポジウム「中世那須のあけぼの 那須神田城を考える」
日 時 2016年10月30日(日) 10時~16時30分
場 所 那珂川町ふるさと館(栃木県那珂川町)
定 員 80名(申込不要)
参加費 無料
内 容
橋口定志氏(としま遺跡調査会)
橋本澄太朗氏(栃木県考古学会)
問合せ
なす風土記の丘資料館
℡0287-98-3322
一心寺 [寺院]
一心寺は大阪市天王寺区にあります。
本堂です。
浄土宗の寺院です。
大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓です。
本多忠朝は本多忠勝の次男ですが、大坂冬の陣では酒を飲んでいたため敗退して家康の叱責されました。
夏の陣ではその名誉を挽回するため奮戦して、戦死しました。
死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、「酒封じの神」とされています。
山門と仁王像です。
戦災で大坂城の三の丸玉造門を移築した山門などは焼失してしまいました。
戦後、建築家の高木恭行によるコンクリートと鉄の山門と彫刻家神戸峰男氏作の阿形像・吽形像が建てられました。
お寺にしてはあまりに斬新で驚きました。
美術館みたいです。
一心寺の遠景です。
大きな寺院です。
背後のビルはあべのハルカスです。
本堂です。
浄土宗の寺院です。
大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓です。
本多忠朝は本多忠勝の次男ですが、大坂冬の陣では酒を飲んでいたため敗退して家康の叱責されました。
夏の陣ではその名誉を挽回するため奮戦して、戦死しました。
死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、「酒封じの神」とされています。
山門と仁王像です。
戦災で大坂城の三の丸玉造門を移築した山門などは焼失してしまいました。
戦後、建築家の高木恭行によるコンクリートと鉄の山門と彫刻家神戸峰男氏作の阿形像・吽形像が建てられました。
お寺にしてはあまりに斬新で驚きました。
美術館みたいです。
一心寺の遠景です。
大きな寺院です。
背後のビルはあべのハルカスです。
真田幸村戦死の地 [歴史雑話]
茶臼山砦@大阪市天王寺区 [お城踏査]
茶臼山砦は大阪市天王寺区にあります。
ここはもともとは細川晴元の家臣山中又三郎が築いた大塚城という城がありました。
茶臼山と言う名前からもわかるように本来は古墳でした。
大塚城という名前からも古墳であったことがわかりますね。
茶臼山砦です。
ここ茶臼山砦は大坂の陣ではとても重要な役割を果たしました。
大坂冬の陣では徳川家康の本陣、大坂夏の陣では真田幸村の本陣になりました。
大坂の陣の説明です。
真田丸の影響でか、訪ねる人も多いようです。
茶臼山砦の本陣です。
山頂部は、ただの平坦地で遺構はとくにありません。
茶臼山砦の入り口です。
水堀は南側にしか残っていません。
浅野文庫蔵諸国古城之図にある茶臼山砦の図です。
これを見ると丸馬出が作られていたことがわかります。
丸馬出は武田氏が愛用した技術ですが、後には徳川氏も使っています。
大坂城に真田幸村が築いた真田丸も丸馬出でした。
よって茶臼山砦の丸馬出は徳川氏か真田氏のどちらが築いたのでしょうか。
戦いの状況からは冬の陣に徳川家康が築いて夏の陣に真田氏が使ったのではないでしょうか。
茶臼山から見た通天閣です。
ここはもともとは細川晴元の家臣山中又三郎が築いた大塚城という城がありました。
茶臼山と言う名前からもわかるように本来は古墳でした。
大塚城という名前からも古墳であったことがわかりますね。
茶臼山砦です。
ここ茶臼山砦は大坂の陣ではとても重要な役割を果たしました。
大坂冬の陣では徳川家康の本陣、大坂夏の陣では真田幸村の本陣になりました。
大坂の陣の説明です。
真田丸の影響でか、訪ねる人も多いようです。
茶臼山砦の本陣です。
山頂部は、ただの平坦地で遺構はとくにありません。
茶臼山砦の入り口です。
水堀は南側にしか残っていません。
浅野文庫蔵諸国古城之図にある茶臼山砦の図です。
これを見ると丸馬出が作られていたことがわかります。
丸馬出は武田氏が愛用した技術ですが、後には徳川氏も使っています。
大坂城に真田幸村が築いた真田丸も丸馬出でした。
よって茶臼山砦の丸馬出は徳川氏か真田氏のどちらが築いたのでしょうか。
戦いの状況からは冬の陣に徳川家康が築いて夏の陣に真田氏が使ったのではないでしょうか。
茶臼山から見た通天閣です。