万治の石仏 [歴史雑話]
万治の石仏です。
諏訪大社下社春宮から歩いてすぐのところにあります。
長野県下諏訪町字石仏にあります。
ずっと以前から一度来たかった。
大きな自然石の上に頭を載せたそのユーモラスな姿は必見です。
癒されます。
万治の石仏は、諏訪大社下社春宮の石鳥居を作るときにこの石を材料にしようとノミを入れたら傷口から血が流れ出たので、恐れて仕事を止めました。
その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石があると告げられ、鳥居が完成しました。
石工はこの石に阿弥陀如来を祀って記念としました。
万治とは年号で万治3年(1660)11月1日に作られました。
願主名誉浄光心誉廣春
後からみたところです。
自然石の様子がよくわかります。
遠くから見るとこんな感じです。
田の中にあります。
岡本太郎も絶賛しています。
旗が建てられています。
参拝の仕方です。
正面で一礼、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
正面に戻り「よろずおさめました」と唱えて一礼する
諏訪大社下社にお参りしたら是非一緒に訪ねたいところです。
諏訪大社下社春宮から歩いてすぐのところにあります。
長野県下諏訪町字石仏にあります。
ずっと以前から一度来たかった。
大きな自然石の上に頭を載せたそのユーモラスな姿は必見です。
癒されます。
万治の石仏は、諏訪大社下社春宮の石鳥居を作るときにこの石を材料にしようとノミを入れたら傷口から血が流れ出たので、恐れて仕事を止めました。
その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石があると告げられ、鳥居が完成しました。
石工はこの石に阿弥陀如来を祀って記念としました。
万治とは年号で万治3年(1660)11月1日に作られました。
願主名誉浄光心誉廣春
後からみたところです。
自然石の様子がよくわかります。
遠くから見るとこんな感じです。
田の中にあります。
岡本太郎も絶賛しています。
旗が建てられています。
参拝の仕方です。
正面で一礼、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
正面に戻り「よろずおさめました」と唱えて一礼する
諏訪大社下社にお参りしたら是非一緒に訪ねたいところです。
諏訪大社下社春宮 [神社]
慈雲寺 [寺院]
慈雲寺は長野県下諏訪町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
正安2年(1300)に大祝金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて開山しました。
山門です。
安永8年(1779)に建設です。
楼門で立派な門です。
本堂です。
本堂の棟に武田菱と梶の葉紋を掲げています。
武田信玄と諏訪氏にゆかりの寺院です。
玄関と庫裏です。
庫裏の屋根の傾斜が結構急です。
伽藍はかなり大きいです。
本堂の前の庭園です。
枯山水です。
砂の模様が美しいです。
高島城主日根野高吉の供養塔です。
大きな五輪塔です。
日根野高吉は豊臣秀吉の家臣で、徳川家康が関東に移ると諏訪の領主となり高島城を築きました。
慶長五年に病没して慈雲寺に葬られました。
子の日根野吉明は関ヶ原合戦の後に壬生城に移り、後に大分の国府城に移りました。
高吉の50回忌に五輪塔を建てました。
正安2年(1300)に大祝金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて開山しました。
山門です。
安永8年(1779)に建設です。
楼門で立派な門です。
本堂です。
本堂の棟に武田菱と梶の葉紋を掲げています。
武田信玄と諏訪氏にゆかりの寺院です。
玄関と庫裏です。
庫裏の屋根の傾斜が結構急です。
伽藍はかなり大きいです。
本堂の前の庭園です。
枯山水です。
砂の模様が美しいです。
高島城主日根野高吉の供養塔です。
大きな五輪塔です。
日根野高吉は豊臣秀吉の家臣で、徳川家康が関東に移ると諏訪の領主となり高島城を築きました。
慶長五年に病没して慈雲寺に葬られました。
子の日根野吉明は関ヶ原合戦の後に壬生城に移り、後に大分の国府城に移りました。
高吉の50回忌に五輪塔を建てました。