大坂城 その3 [お城踏査]

大坂城の続きです。

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天守台の石垣です。

大きな天守台です。

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横から見た天守

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正面からの天守です。

この天守は昭和6年に鉄筋コンクリートで建てられました。

今の大坂城は大坂夏の陣後に徳川氏により再建されたもので、石垣もすべて徳川氏により積み直されたものです。

天守も徳川氏により江戸初期に新たに五重の天守が建てられましたが、寛文5年(1665)に落雷により焼失しました。

昭和6年に建てられた天守は、江戸時代の天守台の上に、大坂の陣屏風を参考にして豊臣時代の天守を模して建てられました。

ちぐはぐな天守ですが、建設から長い年月を経て、それなりの風格を感じる天守となっています。

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天守から見た山里曲輪からの姫門です。

桝形の様子がよくわかります。

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天守への入り口には枡形空間があります。

本来だとここに小天守を作るのですが、小天守はありません。

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天守の入り口です。

穴倉になっていました。

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天守台の手前の部分です。

石が傷んでいます。

身障者用のエレベーターが付けられていますが、かつてもこの部分に御殿からの天守に上がる門がありました。

時代は変わっても用途は変わらないということがわかり興味深い。

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天守台にある井戸です。

金明水と呼ばれています。

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もう一度天守です。

昭和6年に建てられた天守ですが、国の登録文化財に指定されています。

復元された天守が登録文化財に指定されるとは珍しいですが、長い年月を経て、今の天守が最も長く建てられていた期間が長いです。

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豊臣時代の大坂城の想像図です。

高石垣の技術がなく、石垣は高いところは三段になっていました。

櫓の数も少ないです。

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こちらは徳川時代の大坂城の図です。

同じ城とは思えないくらいの変わりようです。

天守も白亜の天守で、豊臣時代とは全く違います。

徳川氏は豊臣色を払拭するために全く別の城を建てました。

本丸も五重の天守のまわりを三重櫓で囲み、それを多聞櫓で連結するという念の入れようです。

二の丸も含めて櫓の数の多さにびっくりです。

(続く)

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