JR阪和線 [鉄道]

JR阪和線の車両です。

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103系です。

鳳行きです。

かつての国鉄の通勤形電車として活躍しました。

今は見ることが少なくなりました。

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ローカル線では今も活躍しています。

現在では、JR西日本で多く見られます。


和歌山城 その8 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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御橋廊下です。

二の丸と、西の丸をつなぐ橋です。

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御橋廊下の入り口です。

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御橋廊下の内部です。

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二の丸と西の丸は高低差があるので、橋は斜めになっています。

だから滑らないように細かい階段状になっていますが、歩くと結構足が痛いです。

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二の丸は藩主の住む御殿があり、西の丸は庭園がありました。

藩主が御殿から庭園に向かう時にその姿が見えないように橋に屋根をつけたものです。

平成18年に復元されました。

近年は、廊下橋を復元する城も増えてきました。

福井城、大分城、高松城で廊下橋が復元されています。

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西の丸の石垣です。

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西の丸の絵図です。

西の丸は徳川頼宣の隠居所として作られました。

御殿や能舞台、紅葉渓がありました。

廊下橋も描かれています。

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西の丸から見た天守です。

連立天守の様子がよくわかります。

優美な姿です。

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御廊下橋と天守と小天守です。

御廊下橋が斜めに架かっている様子がよくわかります。

(終わり)

和歌山城 その7 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

まだまだ続きます。

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楠門です。

楠門へは階段で登ります。

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天守の石落としです。

よく見ると石垣と建物がずれています。

天守郭はもともと歪な形で、天守や櫓も方形ではなく歪んでいます。

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天守郭の穴門の横にも横矢が効いています。

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多聞櫓と乾櫓です。

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天守と多聞櫓です。

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天守です。

天守は昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

設計は東京工業大学の藤岡通夫氏です。

戦災で焼失した天守でも、再建の際は微妙に違っていることがあります。

詳細な実測図が残っている名護屋城の天守も五重の窓の大きさが違っています。

同じく戦災で焼失した福山城も鉄板や最上階の覆いがなく代わりに高欄が付けられたりします。

それに比べて和歌山城の天守は忠実に復元されています。

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天守台の石垣です。

野面積みです。

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同じく天守台の石垣です。

石の積み方が異なります。

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天守郭から二の丸に下ります。

門の礎石です。

大きな石が使われています。

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階段です。

(続く)

和歌山城 その6 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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天守には小天守から入ります。

入り口は唐破風になっていて、御殿の入り口のように装飾性が高いです。

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天守の内部です。

中は和歌山城に関する資料が展示されています。

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和歌山城の絵です。

このように多くの櫓が林立していました。

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大天守から見た天守郭です。

多聞櫓につながれた櫓の様子がよくわかります。

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大天守から見た小天守です。

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大天守から見た本丸です。

樹木に隠れてよくわかりません。

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天守最上階の高欄です。

和歌山城は小高い丘の上に築かれているので、見晴らしはかなりいいですが、この日は生憎の雨だったので、残念でした。

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多聞櫓の内部です。

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天守郭の入り口は楠門の他にもうひとつあります。

ここは普段は使われていません。

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外から見るとこんな感じの門です。

穴門です。

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楠門の内部です。

楠門は木造で復元されています。

梁も太いです。

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楠門の門の部分です。

柱も太いです。

(続く)

名古屋城本丸御殿復元工事 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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孔雀之間が公開されました。

本丸御殿では「百花絢爛in名古屋城 華道家假屋崎省吾の世界展」を開催していて、孔雀の間は假屋崎省吾氏のグッズを販売していました。

グッズを買った人はサイン会に参加できるようでした。

背後は床の間です。

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本丸御殿の部屋は忠実に復元されているので天井に照明はありませんが、孔雀之間は照明が付けられています。

天井は竿縁天井です。

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孔雀の間の表示です。

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床の間には花が活けられています。

床の間には何も描かれていません。

本丸御殿は多くの写真や実測図が残されていますが、孔雀の間の写真は見たことありません。

孔雀の間というので、てっきり孔雀が描かれていると思っていましたが、何も描かれていないのは資料がないのか、本当に何も描かれていなかったのかわかりません。

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釘隠しです。

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孔雀の間です。

部屋全体が装飾されていないので、地味に感じます。

今後はこのような使い方をするのでしょうか。

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障子です。

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孔雀の間の前の廊下です。

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本丸御殿の台所付近の図です。

孔雀の間の奥は台所がありましたが、計画では職員の休憩室とミュージアムショップになります。

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左が孔雀之間です。

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廊下の奥がミュージアムショップになります。

非公開エリアなので薄暗いです。

左が台所ですが、事務室や職員の休憩室となります。

本丸御殿は資料が豊富に残り、忠実な復元ができるので、休憩室などが必要なことは理解できますが、折角なので台所や孔雀之間も忠実に復元して欲しかったです。

孔雀の間の公開で、第二期工事でまだ公開されていないのは梅之間と鷺之廊下のみです。

梅之間は障壁画の復元模写が遅れているとのことでしたが、3月までには公開されるのでしょうか。

名古屋市からはまだ情報はありませんし、本丸御殿の職員に聞いても聞いていないのでわからないというだけでした。

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廊下から見た孔雀之間の隣の部屋です。

指図で見ると14畳ほどの細長い部屋です。

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孔雀之間の障子です。

孔雀之間と梅之間の間には坪庭があったようです。

今は素屋根があるので全体に薄暗いですが、屋根が外されると明るくなるのではないかと思います。

とにかく次の公開(梅之間など)が楽しみです。

名古屋城本丸御殿 華道家假屋崎省吾の世界展 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿で百花絢爛in名古屋城 華道家假屋崎省吾の世界展が開催されています。

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本丸御殿の玄関です。

まずは玄関で生け花が迎えます。

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アップです。

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玄関二之間です。

大きな花が飾られています。

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玄関の廊下です。

花と一緒に友禅も飾られています。

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表書院の二之間です。

一つ一つの花材が大きいので迫力あります。

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同じく二之間です。

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表書院の廊下です。

照明の行燈も風流なものに替えられています。

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同じく行燈。

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表書院の裏廊下です。

幻想的です。

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納戸一之間の展示です。

生け花と友禅です。

本丸御殿でアートな雰囲気に浸れました。

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「百花絢爛in名古屋城 華道家假屋崎省吾の世界展」は、12月25日(日)まで開催していますので、見に行かれてはどうでしょうか。

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假屋崎省吾氏は華道家、1958年生まれ。早稲田大学文学部卒業。24歳で草月流に入門。

クリントン大統領来日や今上天皇陛下在位10周年記念式典の花の総合プロデュースなどで活躍。

和歌山城 その5 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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本丸から天守郭に向かいます。

石垣に挟まれた通路を進みます。

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天守の下を通り進みます。

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天守郭の入り口です。

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和歌山城の天守郭の図です。

和歌山城は連立式天守です。

天守と小天守、北西隅櫓、西南隅櫓を多聞櫓で結んでいます。

天守郭は菱型になっていました。

連立式天守は、和歌山城の他は姫路城と伊予松山城の3つしかありません。

和歌山城は戦前まで残っていましたが、戦災で昭和20年7月9日に焼失しました。

昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。

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天守郭の入り口楠門です。

雨がますます激しくなってきました。

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楠門の門扉です。

岡口門と同じく上部が透かし戸になっています。

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入り口には熊本地震の災害募金箱が和歌山城整備基金と並んで設置されていました。

わずかばかり募金をしました。

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楠門の中は内桝形になっています。

一段低く穴門になっていて、階段を登って天守郭に入ります。

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城内から見た楠門です。

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北西隅櫓(乾櫓)です。

二重櫓です。

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西南隅櫓(二の門櫓)です。

こちらも二重櫓です。

二階には城内側には窓がありません。

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御台所です。

多聞櫓の一部ですが、籠城に備えて台所がありました。

天守の出口になっています。

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天守と小天守です。

天守は三重です。

(続く)

和歌山城 その4 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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岡口門から天守を目指します。

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中御門を超えて松の丸に向かいます。

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松の丸への階段を上ります。

正面の石垣は松の丸の高石垣です。

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つづら折りの石垣を登ります。

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松の丸の石垣です。

この辺りも古い野面積みです。

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門の跡には礎石が残っています。

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いよいよ天守が見えてきました。

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しかし、ここで天守とは逆の方向に180度ターン。

簡単には天守には近付けません。

さらに悪いことに雨脚が強くなってきました。

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和歌山城は虎伏山の上に天守のある天守郭と本丸が並ぶ縄張りでした。

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本丸の絵図です。

本丸には本丸御殿がありました。

玄関や大広間、書院、台所など6棟の建物があり、築城当初は使われたようですが、江戸時代には狭く不便なため二の丸御殿が使われるようになりました。

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現在の本丸です。

本丸には今は配水池が建てられて中に入ることはできません。

(続く)

和歌山城 その3 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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岡口門です。

現存建物で重要文化財です。

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城内から見た岡口門です。

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岡口門の近景です。

櫓門です。

もともとは門の両側に続櫓がありましたが、今は失われています。

浅野氏の時代は岡口門が大手門でしたが、浅野氏の後期に搦め手門になりました。

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門の柱です。

かなり太いです。

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門扉です。

上部は透かし戸になっているのは、大手門と同じです。

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門扉の壺金です。

城門らしく頑丈です。

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岡口門の内側の合坂です。

石垣は打ち込みハギです。

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岡口門脇の石垣と土塀です。

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土塀です。

現存土塀です。

岡口門と同じく重要文化財です。

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狭間です。

狭間の形はすべて四角です。

(続く)

和歌山城 その2 [お城踏査]

和歌山城の続きです。

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大手門から進むと中の門があります。

桝形門です。

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中の門の石垣です。

石垣は切り込みハギの積み方です。

きれいな切石が使われています。

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虎伏です。

和歌山城の別名は虎伏城です。

和歌山城の築かれた山の形が虎が伏している形ににていることから付けられました。

和歌山城は豊臣秀吉の弟秀長が天正13年(1585)に築きました。

その後桑山重晴が城代として入りました。

関ケ原合戦の後は浅野幸長が37万石で入り、天守を築きました。

大阪の陣の後の元和5年(1619)に浅野氏は改易となった福島正則の後に広島城に移ります。

そのあとに徳川家康の10男頼宣が55万5千石で入り、御三家の一つ紀州藩となります。

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和歌山城の図です。

遺構は比較的よく残っています。

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和歌山城の山麓の石垣です。

野面積みです。

和歌山城は、豊臣秀長以降、城主が頻繁に変わっていて、その都度改修を加えているのでいろいろなタイプの石垣を見ることができます。

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松の丸の高石垣です。

きれいな切込みハギですが、よく見ると下部は積み方が異なります。

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同じく松の丸の石垣です。

人物と比較しても高石垣ぶりがわかります。

この日は雨模様で、和歌山城についたころは小降りでした。

(続く)

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