赤穂城 その3 [お城踏査]
赤穂城の続きです。
塩屋門の石垣です。
赤穂藩は塩の産地でした。
その塩にちなむ門です。
今は石垣のみ残ります。
堀は埋められています。
塩屋門は搦め手門でした。
塩屋門の古写真です。
高麗門と隅櫓が写っています。
説明です。
塩屋門は桝形門でした。
古写真でも高麗門は写っていますが、櫓門は写っていません。
枡形門ですが、門は1つだったようです。
枡形内には太鼓櫓がありましたが、古写真にも写っています。
元禄赤穂事件で、浅野内匠頭の切腹を知らせる早水藤左衛門と萱野三平が入ったのはこの門でした。
また、城受け取りの備中足守藩主木下肥後守の軍勢が入ったのもこの門です。
塩屋門脇の櫓台です。
この櫓はは古写真に写っています。
二重櫓でした。
塩屋門付近から見た二の丸です。
右は隅櫓台です。
奥に見える屋根は本丸門です。
手前は空き地になっています。
かつては宅地がありましたが、城址の公有地化が進み、見晴らしがよくなっています。
二の丸門跡です。
二の丸の入り口でしたが、道路により破壊されてしまいました。
一部整備されています。
赤穂城は現在城跡の整備復元が進んでいます。
説明です。
二の丸門は櫓門で、桁行4間半、梁行2間、高さ2間でした。
将来はこの門も復元される計画です。
(続く)
塩屋門の石垣です。
赤穂藩は塩の産地でした。
その塩にちなむ門です。
今は石垣のみ残ります。
堀は埋められています。
塩屋門は搦め手門でした。
塩屋門の古写真です。
高麗門と隅櫓が写っています。
説明です。
塩屋門は桝形門でした。
古写真でも高麗門は写っていますが、櫓門は写っていません。
枡形門ですが、門は1つだったようです。
枡形内には太鼓櫓がありましたが、古写真にも写っています。
元禄赤穂事件で、浅野内匠頭の切腹を知らせる早水藤左衛門と萱野三平が入ったのはこの門でした。
また、城受け取りの備中足守藩主木下肥後守の軍勢が入ったのもこの門です。
塩屋門脇の櫓台です。
この櫓はは古写真に写っています。
二重櫓でした。
塩屋門付近から見た二の丸です。
右は隅櫓台です。
奥に見える屋根は本丸門です。
手前は空き地になっています。
かつては宅地がありましたが、城址の公有地化が進み、見晴らしがよくなっています。
二の丸門跡です。
二の丸の入り口でしたが、道路により破壊されてしまいました。
一部整備されています。
赤穂城は現在城跡の整備復元が進んでいます。
説明です。
二の丸門は櫓門で、桁行4間半、梁行2間、高さ2間でした。
将来はこの門も復元される計画です。
(続く)