赤穂城 その7 [お城踏査]

まだまだ続きます、赤穂城。

赤穂城の本丸には3つの虎口がありました。

本丸門、厩口門、刎橋門です。

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そのうちの一つ刎橋門です。

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虎口です。

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門の建物は残っていませんが、礎石が残されています。

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門から見た土橋です。

刎橋門の名のとおり、土橋から橋が架けられていて、刎ねるようになっていました。

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二の丸から見た刎橋門です。

構造がよくわかります。

江戸時代には橋もなかったようです。

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本丸隅櫓台です。

ここには櫓はありませんでした。

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本丸隅櫓台です。

石垣が積み直されたようにきれいです。

ここにも櫓はありませんでしたが、本丸最大の櫓台です。

三重櫓が建ちそうな大きさです。

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南沖櫓台です。

ここは二重櫓が建てられていました。

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同じく南沖櫓台です。

別アングルからです。

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二の丸の休憩所です。

米倉を模して建てられています。

城跡の景観にマッチしています。

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水手門です。

ここも門跡で、建物は復元されていません。

(続く)

赤穂城 その6 [お城踏査]

赤穂城の続きです。

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本丸の天守台です。

本丸の中にありますが、実際には天守は建てられませんでした。

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天守の登り口です。

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天守の登り口は食い違いになっています。

天守台は石段を半周するように登ります。

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赤穂城の模型です。

本丸には御殿がありました。

天守台はありましたが、天守は建てられませんでした。

赤穂城は山鹿素行が縄張りしたと言われますが、天守は本丸内にあり、シンボル的な存在でした。

塁線にはなく、軍事的な要素は低かったようです。

天守には石垣からみると付櫓があり、そこから入ったようです。

本丸には櫓台はいくつかありましたが、実際に隅櫓が建てられたのは1つだけでした。

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天守台の石垣です。

隅石は算木になっています。

きれいな近世らしい石垣です。

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天守台の上です。

転落防止に柵がありますが、上は広場になっています。

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天守台から見た本丸内です。

奥は本丸門、手前は御殿跡です。

御殿は間取りが平面復元されています。

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本丸御殿の庭園です。

本丸内にはかつては赤穂高校がありました。

昭和56年に高校は移転して、その後発掘調査がされて、城跡公園として整備されました。

城跡に学校が建つことは多いです。

有名なところでは金沢城内に金沢大学がありましたが、移転して城跡として整備されました。

篠山城も学校がありましたが、移転しました。

川越城や鳥取城、尼崎城などは主要部に学校があり、城跡整備との兼ね合いが難しいです。

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本丸御殿の指図です。

きれいに色分けされています。

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指図を起こしたものです。

(続く)

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