豊国神社 [神社]

豊国神社です。

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名古屋市中村区にあります豊臣秀吉を祀る神社です。

中村公園の中にあります。

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社殿です。

江戸時代には豊臣秀吉を祀ることはできなかったので、明治になり作られました。

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豊国神社の絵馬です。

豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪を模してひょうたんの形をしています。

ご利益ありそうです。

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豊臣秀吉の生誕地はいくつか説がありますが、この名古屋市中村区で生まれたというのも有力な候補の一つです。

大きな石碑が建てられています。

豊公誕生之地と刻まれています。

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説明です。

豊臣秀吉は天文5年1月1日に木下弥右衛門の子として生まれました。

幼名は小竹、あるいは日吉丸。

小一郎秀長と朝日姫は異父弟妹、姉智子は同父同母の姉です。

出生地は中村区下中村町という説もあります(他にもあり)。

鞠智城東京シンポジウム [お城情報]

お城のシンポジウムです。

鞠智城は熊本県にあった古代の城です。



鞠智城東京シンポジウム
日 程:2017年1月28日(土)13:00~
会 場:明治大学アカデミーコモン(東京都千代田区神田駿河台1-1)
定 員:1100名(要申込み)
〇テーマ鞠智城の終焉と平安社会~古代山城の退場
報告 「平安時代の鞠智城」西住欣一郎氏(熊本県教育委員会)
発表 「古代山城の真実-鞠智城はなんのためにつくられたのか-」井上和人氏(明治大学大学院特任教授)
「東アジア世界の変貌と山城」榎本淳一氏(大正大学文学部教授)
「平安時代の大宰府と古代山城」松川博一氏(九州歴史資料館)
シンポジウム
コーディネーター 佐藤信氏(東京大学大学院教授)
問合せ
〒860-0031 
熊本市中央区魚屋町2丁目サンコミビル
鞠智城シンポジウム事務局
 mail : kikuchijo@sanko-com.jp

小田急 [鉄道]

小田急です。

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小田原城八幡山古郭から見ました。

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小田原駅のコンコースにある小田原提灯です。

大きいです。

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小田原銘菓 北条 虎朱印です。

お土産に買いました。

小田原北条氏が使用していた虎の朱印がデザインされています。

小田原市の正榮堂の販売です。

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小田原駅で買った駅弁です。

はこね幕の内弁当です。

ご飯は赤飯です。

小田原城 その10 [お城踏査]

小田原城の続きです。

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小田原城の八幡山古郭です。

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この付近にマンションが建つ計画がありましたが、小田原城の景観を守るために小田原市が買取して保護されました。

広場と説明板があります。

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説明板です。

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八幡山古郭から見た天守です。

イメージが変わります。

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小田原城三の丸元蔵堀の跡です。

発掘調査により障子堀が見つかっています。

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障子堀の写真です。

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小田原市のマンホールです。

小田原城の天守と二の丸平櫓がデザインされています。

(終わり)

小田原城 その9 [お城踏査]

小田原城の続きです。

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小田原城の天守を降りて再び眺めます。

付け櫓が大きいです。

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横から見ると出窓の大きさが目立ちます。

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下から見上げた天守です。

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天守台の石垣は二段になっています。

どうしてこういう形なのでしょうか。

小田原城の天守は三回建て替えられているので、当初の形でしょうか。

それとも高石垣を築く技術がなかったのでしょうか。

絵図によると二段になっている石垣には登る階段が描かれていますが、かつてのここを通って天守に登ったのでしょうか。

今は石段はありません。

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天守台の北の石垣です。

天守台の北は土塁になっているので石垣は低いです。

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常盤木門です。

(続き)

小田原城 その8 [お城踏査]

小田原城の続きです。

まだまだ続きます。

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最上階の高欄です。

江戸時代の天守には高欄はなかったけど、観光目的のために昭和の天守には取り付けられました。

このような事例は岡崎城の天守でもありました。

やはり天守は高いところに登って景色を眺めるというのが目的だったのでしょうか。

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天守から見た本丸です。

白い建物は常盤木門です。

遠くには相模湾が見えます。

かつての小田原城の本丸には動物園があり、象もいました。

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天守から見た石垣山一夜城の方向です。

一夜城は豊臣秀吉が小田原城攻めのために築いた陣城です。

建物が出来てから山の樹を切ったので、小田原城からは一夜にして城が出来たように見えて驚き、戦意を消失したと伝えられています。

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小田原城の小峯台方向です。

後北条氏時代の本丸でした。

広大な城域でした。

(続く)

小田原城 その7 [お城踏査]

小田原城の続きです。

今回のリニューアルが最も変わったのは、最上階の4階です。

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4階には江戸時代の天守にまつられていたとされる、摩利支天像の安置空間を再現されました。

以前は売店がありましたが、売店は1階に移りました。

なかなかの英断で、いい復元だと思います。

天守4階の雰囲気がガラッと変わりました。

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正面から見たところです。

摩利支天は三面六臂(3つの顔も6本の腕)でイノシシに乗っています。

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右側は摩利支天像厨子です。

天守の形をしています。

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天井の見上げです。

格天井になっています。

天井板が黒くなっているのはなぜでしょうか。

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近すぎて全体が収まれませんが、こんな感じです。

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小田原城の天守模型です。

これを元にして今の天守は再建しました。

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天守4階の平面図です。

正面に摩利支天像が安置されていました。

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正面図です。

天守の最上階には武士の守り本尊として信仰された摩利支天像が安置されていました。

大久保忠朝が貞享3年(1686)に佐倉城から転封になった際に天守に祀りました。

「御天守摩利支天」と呼ばれ、元禄16年(1703)の地震にも焼失を免れたために更に尊崇を集めました。

摩利支天は明治に天守が壊された際に永久寺(小田原市城山)に移されましたが、昭和35年に天守が復元されたおりに返還されました。

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天守には摩利支天の他に天守七尊と呼ばれる仏像も安置されていました。

現在残るのは阿弥陀如来、如意輪観音、大日如来、弁財天、地蔵菩薩、薬師如来です。

(続く)

小田原城 その6 [お城踏査]

再び小田原城の続きです。

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天守に入ります。

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全国の天守の高さ比べです。

一位は大坂城、二位は名古屋城です。

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小田原城は第7位です。

高さ27.2mです。

意外と大きいですね。

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小田原城は江戸時代を通じて三度天守が建て替えられています。

初代の慶長期の天守です。

相州小田原古絵図に描かれていて望楼型の天守でした。

寛永7年(1630)までに失われていました。

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二代目天守です。

寛永地震後に再建されました。

相模国小田原絵図(正保絵図)に描かれ、層塔式の天守でした。

三重目には高欄がめぐらされています。

天守台には犬走があり、階段で登れるようになっています。

元禄16年(1703)の元禄地震で倒壊してしまいました。

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三代目天守です。

宝永2年(1705)に再建されました。

初重と二重目に唐破風と千鳥破風が付けられています。

天守台の犬走りは同じです。

現在再建されている天守です。

天守が三度も建替えられた城は珍しいです。

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小田原城の模型です。

本丸部分のアップです。

模型を見るとお城の構造がよくわかります。

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模型の全体です。

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本丸御殿の平面図です。

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江戸時代の小田原城の縄張を現在の地形図に投影したものです。

主要部だけではなく、総構えが広くあります。

下の半円形のものは幕末に作られた台場です。

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南曲輪にあった二重櫓の古写真です。

天守は昨年リニューアルされた際に内部の展示が一新されました。

展示も見やすくなっています。

(続く)

大雪 [四方山話]

今日は名古屋でも今年初めての雪でした。

天気予報では数年に一度の大雪と不安を煽っていたいたけど、また気象庁が保険のために大袈裟に言っているのだろうと思っていた。

早朝は南の空は青空が見えていたけど、次第に雪となって思ったより降った。

今日は仕事だったけど、大雪になる前に会社に着くことが出来てよかったけど、今晩凍ると明日の朝の路面状態が心配。

早起きしないといけないので、ブログの更新はこれくらいで。

小田原城の記事は明日アップします。

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小田原城 その5 [お城踏査]

小田原城の続きです。

常盤木門を潜るといよいよ本丸です。

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小田原城の天守です。

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本丸の絵図です。

本丸は常盤木門と鉄門の二つの門と天守がありました。

天守だけで櫓はありませんでした。

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別の絵図です。

同じく常盤木門と鉄門と天守が描かれています。

常盤木門と鉄門が桝形門である様子がよく分かります。

この絵図には本丸御殿と七本松が描かれています。

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本丸御殿の拡大図です。

玄関、書院、大広間、台所など最低限の建物があります。

和歌山城の本丸御殿に構成が似ています。

将軍が上洛の時に宿泊する専用だったようです。

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天守です。

天守は三重四階で、付櫓が付属しています。

明治5年頃に取り壊されましたが、昭和35年に復元されました。

古写真はありませんでしだか、木型があったので、比較的忠実に再現されています。

しかし、最上階には高欄がありますが、これは観光のため付け加えられたものです。

平成28年に耐震工事などがされてリニューアルオープンしました。

そのためとてもきれいです。

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天守の入り口です。

長い階段を登ります。

(続く)

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