黒田城@愛知県一宮市 [お城踏査]
黒田城は愛知県一宮市木曽川町黒田城西にあった中世城郭です。
今は公園になっています。
冠木門がありますが、公園整備のため作ったものです。
説明板です。
説明によると黒田城は明応年間(1492-1501)に相模国から尾張に入った五島光正が築いたのが始まりです。
天文年間に岩倉城の織田伊勢守が家老の山内盛豊を黒田城の城代としました。
弘治3年に山内盛豊は夜討ちにあい戦死します。
その後犬山城主の織田信清の弟が城主となるも永禄6年に軽海で戦死すると家老の和田新助が城主となるが、天正2年に伊勢長島の一向一揆で討ち死にして和田定教が城主となった。
天正10年には織田信雄の家臣の沢井雄重が城主となりました。
天正18年には尾張を改易となった織田信雄の後に一柳直盛が城主となります。
関ヶ原合戦後には家康の四男松平忠吉が入ると家臣の富永忠兼が入ります。
このように様々な城主が黒田城に入ります。
しかし、黒田城主として最も有名なのは山内一豊です。
銅像です。
やはり馬と一緒です。
妻のへそくりで買ったという名馬です。
城主の澤井雄重の碑です。
黒田城の絵は想像図です。
犬山城に似ています。
黒田城の石碑です。
愛知県が建てました。
大正6年3月に建てられました。
黒田城の絵図です。
名古屋市のほうさ文庫にあります。
本丸、二の丸が求心的に配列されて、近世的な縄張りです。
縄張りから見て澤井氏が城主の天正10年頃の縄張りでしょうか。
本丸には天守状の櫓台もあります。
今は公園になっています。
冠木門がありますが、公園整備のため作ったものです。
説明板です。
説明によると黒田城は明応年間(1492-1501)に相模国から尾張に入った五島光正が築いたのが始まりです。
天文年間に岩倉城の織田伊勢守が家老の山内盛豊を黒田城の城代としました。
弘治3年に山内盛豊は夜討ちにあい戦死します。
その後犬山城主の織田信清の弟が城主となるも永禄6年に軽海で戦死すると家老の和田新助が城主となるが、天正2年に伊勢長島の一向一揆で討ち死にして和田定教が城主となった。
天正10年には織田信雄の家臣の沢井雄重が城主となりました。
天正18年には尾張を改易となった織田信雄の後に一柳直盛が城主となります。
関ヶ原合戦後には家康の四男松平忠吉が入ると家臣の富永忠兼が入ります。
このように様々な城主が黒田城に入ります。
しかし、黒田城主として最も有名なのは山内一豊です。
銅像です。
やはり馬と一緒です。
妻のへそくりで買ったという名馬です。
城主の澤井雄重の碑です。
黒田城の絵は想像図です。
犬山城に似ています。
黒田城の石碑です。
愛知県が建てました。
大正6年3月に建てられました。
黒田城の絵図です。
名古屋市のほうさ文庫にあります。
本丸、二の丸が求心的に配列されて、近世的な縄張りです。
縄張りから見て澤井氏が城主の天正10年頃の縄張りでしょうか。
本丸には天守状の櫓台もあります。