井伊直親の墓 [歴史雑話]

井伊直親の墓です。

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浜松市北区細江町にあります。

井伊谷とは少し離れています。

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井伊直親は直満の子で、直満が家臣の讒言のため今川義元に殺されたときは9歳で、信州の松源寺に逃れました。

大河ドラマでは亀の丞です。

弘治元年(1555)20歳の時井伊谷に戻り、直盛の養子となり、奥山因幡守の娘と結婚し、祝田に住みます。

ところが、永禄5年(1562)家臣の小野但馬(鶴)が今川氏真に讒言したため、弁明のため駿河に向かったが途中で朝比奈備中守に殺されます。

遺体はここに運ばれて都田河畔で火葬されて墓が建てられました。

法名は大藤寺殿剣峯宗恵大居士です。

直親の子が井伊直政です。

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彦根藩主井伊直弼が寄進した灯篭です。

直弼は直政の子孫です。

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灯篭には井伊家の家紋である橘が刻まれています。

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井伊直親の墓は以前は200mほど東にありましたが、河川改修のため移設されました。

現在は都田川の堤防の下にあり、とても行きにくいところです。

堤防上の道路から降りれますが、堤防の道路は狭く、堤防上に駐車するしかありませんが、とても困ります。

今後はさらに観光客が増えるので込み合いそうです。

城郭談話会特別例会 『織豊系城郭とは何か』 [お城情報]

城郭談話会特別例会 『織豊系城郭とは何か』発刊記念シンポジウム-「織豊系城郭研究~30年の総括とその未来を見据えて~」-が開催されます。

■ シンポジウム
○日 程:平成29年4月8日(土)
○会 場:クロスパル高槻(高槻市市民交流センター)7F 第6会議室
○定 員:100名(先着順・申込必要)  
○参加費:1000円(飲み物付)
○タイムスケジュール
12:45 受付開始
13:30 内野和彦〔城郭談話会〕「開会挨拶」
13:35 髙田徹〔城郭談話会〕「趣旨説明」
13:40 村田修三〔城郭談話会〕「報告①戦国期織豊期城郭の防御施設」
14:10 千田嘉博〔奈良大学〕「報告②世界のなかの織豊系城郭-法則性と普遍的価値-」
14:40 宮武正登〔佐賀大学〕「報告③(仮)織豊系城郭の石垣の新たな追究視点」
15:10 休憩
15:20 小谷徳彦〔甲賀市教育委員会〕「報告④瓦から見た織豊系城郭」
15:35 金松誠〔三木市教育委員会〕「報告⑤織豊系城郭の陣城」
15:50 中川貴皓〔知立市教育委員会〕「報告⑥「初期織豊系城郭の特徴‐運用論と遺構論から‐」
16:05 中井均〔滋賀県立大学〕「報告⑦織豊系城郭を考古学から読み解く」
16:35 休憩
16:45 シンポジウム(司会進行・多田暢久[城郭談話会])
17:55 周藤匡範〔城郭談話会〕「閉会挨拶」
18:00 谷允伸〔城郭談話会〕「記念写真撮影」
18:15 撤収
※ 各報告者・演題は都合により変更する場合があります。また、一般向けの講演会ではなく専門性の高い
内容となりますことをご了承下さい。
■ 懇親会
○日 時:同日(4月8日)19:00~21:00
○会 場:URGE 高槻店(大阪府高槻市高槻町15-3 URGE高槻ビル1F  TEL 072-690-7729)
○定 員:70名(先着順・申込必要)
○参加費:5000円 (立食ビュッフェ形式・飲み放題)
■ 参加申込方法 ※下記情報は当シンポジウムでの利用に限ります。
○申込期限:3月30日(木)
○下記6項目をご記入のうえ、jyoudan_jimukyoku@yahoo.co.jp(城郭談話会メールアドレス)へ送信。
① 氏 名(ふりがな)
② 住 所 
③ 連絡先電話番号 ④ 所属団体(特にない場合は記入しなくてよい)
⑤ シンポジウム 参加及び不参加
⑥ 懇親会    参加及び不参加
※ 注意事項シンポジウム会場に駐車場はございません、また当事務局では宿泊施設の御案内も致しておりません。必要である場合は、個人での御手配よろしくお願いします。
□主催・お問合せ:城郭談話会 jyoudan_jimukyoku@yahoo.co.jp  □協力:サンライズ出版

鳥取城フォーラム2017 [お城情報]

鳥取城に関するイベントです。

鳥取城は現在復元整備を行っています。


鳥取城フォーラム2017
日 時 2017年2月26日(日)
場 所 鳥取市歴史博物館(鳥取市上町88)
参加費 無料
定 員 100名(申込不要)
内 容
基調講演
「家紋瓦の普及と背景」加藤理文氏(日本城郭協会理事)
報告
「鳥取城の瓦と焼物」坂田邦彦氏(鳥取市教育委員会文化財課)
トークイベント
テーマ 「鳥取城のこれから」
問合せ
鳥取市歴史博物館
℡0857-23-2140

伝井伊共保出生井 [歴史雑話]

伝井伊共保出生井です。

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寛弘7年(1010)に井伊家初代共保が生まれたと伝わる井戸です。

田の中にあります。

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井戸です。

共保は遠江国司として志津城を居城とした藤原共資の養子となり、井伊谷に移り、姓を井伊としました。

この井戸は井伊氏の聖地とされて、歴代彦根藩主が整備を繰り返し行っています。

井戸の傍らに橘の木が生えていたため、井伊氏は橘を家紋としました。

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新しい説明が建てられていました。

龍潭寺のすぐ近くにあり、去年まではほとんど訪ねる人もいなかったであろうここにも観光客が押し寄せていました。

大河ドラマおんな城主直虎でも井戸が大きなモチーフとして使われていましたが、こういう謂れがあったために使用したのですね。
なるほど。

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井戸の傍らにある供養塔です。

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旧引佐町のマンホールです。

龍潭寺 その2 [寺院]

龍潭寺の続きです。

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本堂から見た本堂前の庭園です。

砂を中心とした庭園です。

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本堂の裏の庭園です。

裏の建物は井伊家霊屋です。

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小堀遠州作の庭園です。

江戸時代初期に築かれた池泉鑑賞式庭園です。

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見事な庭園です。

季節が冬なので樹々の緑がいまひとつです。

春になるとより見事になるでしょう。

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井伊家霊屋です。

元祖井伊共保公、二十二代井伊直盛公、二十四代井伊直政公の木像を安置しています。

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井伊直盛公です。

井伊直虎の父です。

永禄3年5月19日逝去。

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元祖井伊共保公です。

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井伊直政公の木像です。

徳川四天王の一人です。

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井伊家の墓です。

左から井伊直政、直親夫人、井伊直親、井伊直虎(次郎法師)、井伊直盛夫人です。

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井伊直盛(左)、井伊共保(右)の墓です。

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井伊家歴代の墓です。

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龍潭寺には井伊家の他に井伊家の家臣や付近の国人の墓もあります。

奥山氏の墓です。

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中野氏の墓です。

形のきれいな五輪塔です。

井伊氏の一族で、三代目の中野信濃守は井伊谷城代を務めました。

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小野氏の墓です。

井伊氏の家老でしたが、ドラマでは敵役です。

そのためか五輪塔や宝篋印塔はまともな形をとどめるものはありません。

適当に寄せ集められています。

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鈴木重時の墓です。

井伊直政の祖父です。

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新野左馬助の墓です。

井伊家の家老でした。

井伊直親が今川氏真により殺害されて、子の直政の命まで取ろうとしたときに左馬助が命に代えて守りました。

ちなみに彦根市にも龍潭寺があります。

(終わり)

龍潭寺 [寺院]

静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある龍潭寺です。

りょうたんじと読みます。

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山門です。

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横から見た山門です。

薬医門です。

門を入るとすぐに壁に当たり右に折れるようになっています。

お城の枡形のような構造です。

龍潭寺は井伊谷城を守る砦の役割をしたとも言われますが、この辺りもその名残でしょうか。

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龍潭寺は井伊家と宗良親王の菩提寺です。

萬松山龍潭寺です。

龍潭寺の創建は古く、天平5年(733)行基菩薩開創八幡山地蔵寺に始まると伝えられます。

もともとは井伊八幡宮の境内でしたが、500年前に井伊氏が龍泰寺を造営しました。

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仁王門です。

中に仁王像があります。

昭和62年に建てられました。

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鐘楼です。

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本堂です。

延宝4年(1676)再建されました。

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庫裏です。

文化12年建設です。

ここから拝観します。

大河ドラマおんな城主直虎の放映以来、多くの観光客が殺到しています。

まだまだ季節的には寒い時期でこの人出なので、春になって気候がよくなればどれだけの人が来るのでしょうか。

井伊谷の観光スポットとしては龍潭寺が最も充実しているので、一番人気です。

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玄関の衝立です。

富士の絵です。

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大仏です。

黄金です。

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書院です。

蟻壁が美しい。

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本堂の襖絵です。

龍潭寺らしく龍です。

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こちらの襖は虎です。

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龍の彫り物です。

甚五郎作です。

(続く)

宗良親王墓 [歴史雑話]

浜松市北区引佐町井伊谷にある宗良親王墓です。

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宮内庁の看板です。

宗良親王は後醍醐天皇の皇子で、南北朝時代に南朝方として井伊谷を拠点に活躍しました。

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井伊谷宮の裏にあります。

宗良親王の墓は明治維新後に作られました。

彦根藩最後の藩主井伊直憲が宗良親王を祭神とする井伊谷宮と親王の墓の創建を願い出て、すべて井伊家の負担で建てられました。

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宗良親王の肖像画です。

井伊谷宮 [神社]

浜松市北区引佐町井伊谷にある井伊谷宮です。

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入り口です。

官幣中社井伊谷宮とあります。

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神門です。

鳥居と神門が続いています。

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拝殿です。

祭神は一品中務卿宗良親王です。

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絵馬です。

次郎法師 井伊直虎と虎松です。

今年から新たに作られたのでしょうね。

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こちらは井伊直虎と井伊直政です。

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こちらは従来の絵馬です。

宗良親王です。

趣があります。

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交通安全の絵馬です。

井伊谷宮の祭神宗良親王は後醍醐天皇の皇子で南北朝時代に一品中務卿征東将軍として井伊谷を本拠として戦いました。

井伊谷宮は明治5年に明治天皇の勅旨により建てられました。

宗良親王は武だけではなく、和歌にも秀でて、歌集「李花集」を残し、「新葉和歌集」の編纂をするなど文化面でも活躍されました。

親王のどんな逆境でも不撓不屈の精神は、多くの人々に慕われて、学問、心願成就、開運の神として信仰を集めています。

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御神籤です。

いろいろな種類の御神籤があります。

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摂社の井伊社です。

祭神は井伊家の第十二代井伊道政とその息子高顕です。

道政と高顕は宗良親王に仕えました。

また、井伊道政の娘の重子(駿河姫)と宗良親王の間には尹良親王が生まれています。

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願いことを書いて奉納する札です。

井伊社の神紋を書いて奉納します。

丸毛サミット~関ケ原合戦と福束城主・丸毛兼利 [お城情報]

丸毛兼利とはあまり有名ではないけど、関ケ原合戦のころの武将です。

こうした地元の武将が取り上げられることはうれしいことです。



丸毛サミット~関ケ原合戦と福束城主・丸毛兼利
日 時 2017年2月26日(日) 13時~16時30分
場 所 輪之内町文化会館(岐阜県輪之内町)
定 員 300名
参加費 無料(申込要)
内 容
「決戦!関ケ原~前哨戦からの動向を踏まえて~」小和田哲男氏(静岡大学)
パネルディスカッション
パネリスト
小和田哲男氏 静岡大学
草野道雄 関ケ原町歴史民俗資料館館長
山田昭彦 岐阜県歴史博物館
問合せ
輪之内町産業課
℡0584-68-3111

渭伊神社 [神社]

渭伊神社は浜松市北区引佐町井伊谷字天白にあります。

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深い森の中にあります。

大河ドラマおんな城主直虎の影響で、にぎわっています。

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祭神は息長帯比売命、品陀和気命、玉依比売命です。

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渭伊神社は創立の年代は不明ですが、三代実録に記載があり、風土記には延喜式神名帳にもあります。

井伊氏の祖先の井伊共保が寛弘7年にその神井より出生以来産神として信仰しました。

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渭伊神社で有名なのは、背後にある天白磐座遺跡です。

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渭伊神社の本殿の背後にある薬師山の頂上にあります。

40m四方に散在する巨石群で神の磐座とする古代祭祀遺跡です。

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平成元年に発掘調査が行われて4世紀から平安時代に至る祭祀遺跡であることが確認されました。

手こね土器や鉄鉾、勾玉など祭祀に使われた遺物が出土しました。

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巨石が林立する様子は厳かな雰囲気を感じます。

今でいうパワースポットです。

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