堀川城@静岡県浜松市 [お城踏査]

堀川城は静岡県浜松市北区細江町にあった中世城郭です。

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石碑です。

堀川城跡の下に古戦場と刻まれているのは珍しいです。

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城跡は小公園になっています。

入り口には首塚とあります。

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これが首塚です。

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ここにも井伊家ゆかりの地の看板がありました。

伝堀川城跡とあります。

城跡ですが、とくに堀や土塁の遺構はありません。

ここが確かな城と言うのではなく、首塚があったので、この付近ということでしようか。

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桶狭間合戦後、今川氏から独立した徳川家康は、今川氏の領地の遠江を攻めます。

永禄11年12月、家康は遠江に攻め入ります。

気賀の住民は今川氏について堀川城に籠りました。

掛川城に籠城した今川氏真の抵抗が長引き、武田氏の遠江侵攻の動きもあり、家康は一旦三河に引き上げました。

態勢を立て直して再度堀川城を攻めた家康は徹底的に攻めて落城させて、首を獄門畷に晒したといわれます。

家康の数ある戦いの中でも最も残虐な戦いと言われます。

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石碑と首塚です。

伝承に従うと堀川城は特定の城主の城ではなく、村人が籠った城のようにも見えますが、通常は住民が領主とは別に立て籠もる例は少ないです。

立て籠もった住民の内訳などを知ることでこの戦いの意義や家康がどうしてこのような残虐な戦いをしたのか、これは事実だったのかを検証する必要があるでしょう。

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