吉田城 その3 [お城踏査]

吉田城の続きです。

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吉田城の縄張り図です。

本丸には鉄櫓、千貫櫓、入道櫓、辰巳櫓と帯曲輪には川手櫓がありました。

他に雷櫓、着到櫓、評定櫓、太鼓櫓がありました。

本丸に櫓が林立する割に二の丸以下には櫓が少ないです。

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吉田城の本丸図です。

先に吉田城には天守はなかったと書きましたが、この絵図だけは今の鉄櫓の位置に五重の天守が描かれています。

他の絵図では入道櫓のみが二重櫓で他は三重櫓でした。

しかし、この絵図は入道櫓も三重櫓に描かれています。

この絵図をもとに、吉田城には天守があったという説もありますが、この絵図は理想の吉田城を描いたとする説が有力です。

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牧野氏時代の吉田城を描いた絵図です。

牧野氏時代は中世城郭なので、この絵は江戸時代に近世城郭のように描きました。

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豊川に向けて門を開くなど、吉田城の特徴が描かれています。

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吉田城の絵図です。

この絵図はかなり写実的に描かれています。

入道櫓以外は三重櫓に描かれています。

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鉄櫓のアップです。

絵図によると層塔式の三重櫓で下見板張でした。

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櫓台と鉄櫓は大きさが合っていません。

当時はまだ櫓台を正確に四角に積むことは難しかったようです。

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鉄櫓の出窓です。

石落しを兼ねていました。

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多門櫓下の石垣です。

はらみが見られます。

崩壊が心配です。

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本丸裏門の石垣です。

桝形になっています。

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裏門の石垣です。

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横から見た鉄櫓です。

大きな櫓です。

(続く)

吉田城 その2 [お城踏査]

吉田城の続きです。

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本丸の鉄櫓です。

三重櫓ですが、天守ではありません。

吉田城は江戸時代には天守はありませんでした。

鉄櫓は本丸の四隅にあった櫓の中でも最も石垣が立派です。

池田輝政の時代には天守級の建物があったと思われます。

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鉄櫓は以前は中は公開していませんでしたが、数年前から土日限定で公開しています。

ただ、吉田城はお城の多い愛知県の中でも、あまり有名なほうではなく、日曜日でも観光客は少なめです。

櫓台は穴倉になっています。

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鉄櫓の内部です。

鉄筋コンクリート作りなので、中は味気ないです。

もともとは公開を前提としていない外観復元なので仕方ないですが。

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三階です。

窓から外が眺められますが、あまり見晴らしはよくありません。

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池田輝政の顔出し看板があります。

少し地味です。

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吉田城の古写真です。

手前の三重櫓は川手櫓です。

鉄櫓は川手櫓の背後にありましたが、この写真が撮られた明治初期にはすでに撤去されていたようです。

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吉田城の模型です。

右の櫓が鉄櫓です。

今は望楼式で復元されていますが、この模型では層塔式です。

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模型の千貫櫓です。

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手前が入道櫓、その奥が鉄櫓、その右が川手櫓です。

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模型の全体像です。

吉田城は天守はありませんでしたが、三重櫓が4基もありました。

譜代大名の城で三重櫓が4基もあった城はとても珍しいです。

(続く)

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