足守藩陣屋 その2 [お城踏査]
足守藩陣屋の続きです。
長屋門です。
一部二階になっています。
二階部分は蔵です。
これは明治時代に家臣の長屋門を移築されたものです。
門の正面です。
まだ開館前で閉まっています。
吟風閣です。
宝永5年(1708)、京都御所の普請を担当した足守藩5代藩主木下公定が残った建材を利用して建てました。
近水園の池に面しています。
吟風閣からは庭園が眺められます。
一部二階建てです。
開館前でしたので、中は見れませんでした。
残念です。
近水園から見た吟風閣です。
近水園です。
5代藩主木下公定のころに築造されたと推定されています。
小堀遠州流の池泉回遊式庭園です。
池には鶴島、亀島の2つの島があります。
木下氏はそれほど大きな大名ではなかったのにこれほど立派な庭園を造ったのは豊臣秀吉の親戚だからでしょうか。
格式を感じます。
そういえば、群馬県の小幡藩も小さな陣屋ですが、立派な庭園(楽山園)があります。
ここも織田家の陣屋で格式があります。
紅葉の頃はより美しいでしょうね。
(終わり)
長屋門です。
一部二階になっています。
二階部分は蔵です。
これは明治時代に家臣の長屋門を移築されたものです。
門の正面です。
まだ開館前で閉まっています。
吟風閣です。
宝永5年(1708)、京都御所の普請を担当した足守藩5代藩主木下公定が残った建材を利用して建てました。
近水園の池に面しています。
吟風閣からは庭園が眺められます。
一部二階建てです。
開館前でしたので、中は見れませんでした。
残念です。
近水園から見た吟風閣です。
近水園です。
5代藩主木下公定のころに築造されたと推定されています。
小堀遠州流の池泉回遊式庭園です。
池には鶴島、亀島の2つの島があります。
木下氏はそれほど大きな大名ではなかったのにこれほど立派な庭園を造ったのは豊臣秀吉の親戚だからでしょうか。
格式を感じます。
そういえば、群馬県の小幡藩も小さな陣屋ですが、立派な庭園(楽山園)があります。
ここも織田家の陣屋で格式があります。
紅葉の頃はより美しいでしょうね。
(終わり)