浅尾陣屋@岡山県総社市 [お城踏査]
浅尾陣屋は岡山県総社市門田にあった陣屋です。
石碑です。
なかなか立派な石碑です。
土塀です。
復元されたものです。
浅尾陣屋はそれほど有名な陣屋ではありません。
私も岡山に行くまで知りませんでした。
説明板です。
蒔田氏の陣屋です。
藩祖蒔田広定は尾張国下津出身の豊臣恩顧の大名です。
関ケ原合戦で西軍に与したため改易となりましたが、浅野長政らの尽力で慶長8年(1603)に1万石で浅尾藩を立藩しました。
第2代藩主の定正は弟の長広に3,000石を分与したため、7000石の旗本になりました。
幕末の文久3年(1863)に蒔田氏は江戸市中警備の功績で、1万石に戻りました。
浅尾陣屋の絵図です。
浅尾陣屋は小高い丘の上に位置します。
絵図でみてもわかるように、陣屋とは言っても1万石でかなり大きな規模でした。
現在は神社、山林、宅地となっていますが、山中に土塁や堀の遺構も残っています。
本丸に建つ神社です。
土塀の遺構です。
かなり崩れていますが、貴重な総社市の文化財です。
同じく土塀です。
藪の中にあり、崩壊が進みます。
このままだといずれ崩壊してしまうでしょう。
御殿の跡です。
現在は宅地になっています。
藩校集義館の跡です。
浅尾陣屋は小さな陣屋ですが、石碑や説明板が多く、土塀も復元されるなど地元からは愛されているようです。
石碑です。
なかなか立派な石碑です。
土塀です。
復元されたものです。
浅尾陣屋はそれほど有名な陣屋ではありません。
私も岡山に行くまで知りませんでした。
説明板です。
蒔田氏の陣屋です。
藩祖蒔田広定は尾張国下津出身の豊臣恩顧の大名です。
関ケ原合戦で西軍に与したため改易となりましたが、浅野長政らの尽力で慶長8年(1603)に1万石で浅尾藩を立藩しました。
第2代藩主の定正は弟の長広に3,000石を分与したため、7000石の旗本になりました。
幕末の文久3年(1863)に蒔田氏は江戸市中警備の功績で、1万石に戻りました。
浅尾陣屋の絵図です。
浅尾陣屋は小高い丘の上に位置します。
絵図でみてもわかるように、陣屋とは言っても1万石でかなり大きな規模でした。
現在は神社、山林、宅地となっていますが、山中に土塁や堀の遺構も残っています。
本丸に建つ神社です。
土塀の遺構です。
かなり崩れていますが、貴重な総社市の文化財です。
同じく土塀です。
藪の中にあり、崩壊が進みます。
このままだといずれ崩壊してしまうでしょう。
御殿の跡です。
現在は宅地になっています。
藩校集義館の跡です。
浅尾陣屋は小さな陣屋ですが、石碑や説明板が多く、土塀も復元されるなど地元からは愛されているようです。