備中松山城 その4 [お城踏査]

備中松山城の続きです。

最近では天空の城としても人気が出ています。

備中松山城は、延応2年(1240)、相模の豪族秋庭三郎重信が築いたと言われています。

その後高橋氏や上野氏が入りましたが、戦国時代には毛利氏が領していました。

山中鹿之助が上月城に立て籠もった時に毛利氏が本陣を置いたのが備中松山城でした。

江戸時代には、小堀遠州、池田長幸、水谷勝隆が入ります。

水谷勝隆の子の勝宗の時に、城の大修復を行い、現存する二重櫓や大手門を築きました。

次いで、安藤氏、石川氏が入りましたが、その後に入った板倉氏が幕末まで城主でした。

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本丸への入り口です。

五の平櫓は平成9年の復元です。

石落としが目立ちます。

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本丸の石垣と土塀です。

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本丸門です。

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平櫓が二つ並びます。

五の平櫓と六の平櫓です。

管理事務所と休憩所になっています。

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六の平櫓です。

中は休憩所になっています。

こちらも平成9年の復元です。

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木造で復元されています。

屋根の小屋組みです。

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本丸の土塀です。

復元されたものです。

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本丸東御門です。

裏門にあたります。

平成9年に復元されました。

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本丸から見た天守です。

次はいよいよ天守です。

(続く)


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