津山城 その2 [お城踏査]
津山城の続きです。
津山城は、別名鶴山城です。
慶長8年(1603)に森忠政が18万石で入り、築城します。
森忠政は、森可成の息子で、森可隆、長可、蘭丸、力丸、坊丸の弟です。
忠政は、6人兄弟でしたが、忠政以外の5人は全員戦死しているという正に戦国のすごい兄弟です。
プライベートライアンもびっくりですね。
忠政は77棟の櫓が立ち並ぶ名城を築きました。
備中櫓です。
横から見た図です。
備中櫓は、平成17年に木造で復元されました。
二重櫓です。
内部は見学できます。
狭間が見えます。
備中櫓の内部は畳が敷かれていました。
通常の隅櫓は、倉庫などに使われるため、中は板敷が多いのですが、備中櫓は違いました。
津山城の本丸には御殿が建てられていました。
しかし、山上のため狭かったために、櫓を御殿の一部として使いました。
そのために畳が敷かれました。
二階の部屋です。
御上段です。
城主の座る特別な間です。
櫓では珍しく天井も張られています。
一階の部屋です。
床の間です。
櫓の中に床の間があるのは珍しい。
入口付近です。
城内に対しても狭間があります。
一部は天井が張られていないので、屋根の小屋組が見れます。
太い梁が使われています。
(続く)
津山城は、別名鶴山城です。
慶長8年(1603)に森忠政が18万石で入り、築城します。
森忠政は、森可成の息子で、森可隆、長可、蘭丸、力丸、坊丸の弟です。
忠政は、6人兄弟でしたが、忠政以外の5人は全員戦死しているという正に戦国のすごい兄弟です。
プライベートライアンもびっくりですね。
忠政は77棟の櫓が立ち並ぶ名城を築きました。
備中櫓です。
横から見た図です。
備中櫓は、平成17年に木造で復元されました。
二重櫓です。
内部は見学できます。
狭間が見えます。
備中櫓の内部は畳が敷かれていました。
通常の隅櫓は、倉庫などに使われるため、中は板敷が多いのですが、備中櫓は違いました。
津山城の本丸には御殿が建てられていました。
しかし、山上のため狭かったために、櫓を御殿の一部として使いました。
そのために畳が敷かれました。
二階の部屋です。
御上段です。
城主の座る特別な間です。
櫓では珍しく天井も張られています。
一階の部屋です。
床の間です。
櫓の中に床の間があるのは珍しい。
入口付近です。
城内に対しても狭間があります。
一部は天井が張られていないので、屋根の小屋組が見れます。
太い梁が使われています。
(続く)