勝龍寺城 その2 [お城踏査]
勝龍寺城の続きです。
本丸跡の説明です。
本丸は東西105m、南北70mでした。
堀は幅15m、深さ3mで土塁の裾には石垣が築かれていました。
勝龍寺城は、発掘調査が行われて、それに基づいて復元整備されています。
発掘調査結果に基づいて作成された勝龍寺城の復元図です。
四隅に櫓があり、堀と石垣が巡らされていました。
整備された土塁です。
本丸の隣の沼田丸です。
公園になっていますが、周囲より一段高くなっています。
沼田丸の井戸跡です。
沼田丸の説明です。
沼田丸は本丸に南西に隣接していて、東西50m、南北65mの規模でした。
周囲には堀と土塁が巡らされていました。
堀は深さ2m、幅5mでした。
沼田丸の名は細川藤孝の妻の旧姓に因んだものです。
沼田氏の屋敷がありました。
堀跡です。
わずかに低くなっていることが堀を偲ばせます。
本丸と沼田丸の間の堀です。
用水路として堀がわずかに残っています。
(続く)
本丸跡の説明です。
本丸は東西105m、南北70mでした。
堀は幅15m、深さ3mで土塁の裾には石垣が築かれていました。
勝龍寺城は、発掘調査が行われて、それに基づいて復元整備されています。
発掘調査結果に基づいて作成された勝龍寺城の復元図です。
四隅に櫓があり、堀と石垣が巡らされていました。
整備された土塁です。
本丸の隣の沼田丸です。
公園になっていますが、周囲より一段高くなっています。
沼田丸の井戸跡です。
沼田丸の説明です。
沼田丸は本丸に南西に隣接していて、東西50m、南北65mの規模でした。
周囲には堀と土塁が巡らされていました。
堀は深さ2m、幅5mでした。
沼田丸の名は細川藤孝の妻の旧姓に因んだものです。
沼田氏の屋敷がありました。
堀跡です。
わずかに低くなっていることが堀を偲ばせます。
本丸と沼田丸の間の堀です。
用水路として堀がわずかに残っています。
(続く)