南禅院 [寺院]
京都市左京区の南禅院です。
南禅寺ではありません。
方丈です。
南禅院は南禅寺の別院です。
南禅寺の発祥地ともいわれています。
ここはかつては亀山上皇の離宮・禅林寺殿がありました。
離宮に弘安10年(1287)に建立された持仏堂を南禅院と号したことが南禅院の始まりです。
庭園です。
見事な庭園です。
南禅院のみどころの一つです。
夢想礎石が作庭しました。
池泉回遊式庭園です。
国の史跡および名勝に指定されています。
方丈と庭園です。
なかなかいい景色です。
方丈の軒です。
飛燕垂木です。
方丈は、元禄16年(1703)に徳川綱吉の母桂昌院によって再建されました。
方丈の襖絵は狩野派の絵師によるものです。
方丈の中は撮影禁止でした。
南禅寺ではありません。
方丈です。
南禅院は南禅寺の別院です。
南禅寺の発祥地ともいわれています。
ここはかつては亀山上皇の離宮・禅林寺殿がありました。
離宮に弘安10年(1287)に建立された持仏堂を南禅院と号したことが南禅院の始まりです。
庭園です。
見事な庭園です。
南禅院のみどころの一つです。
夢想礎石が作庭しました。
池泉回遊式庭園です。
国の史跡および名勝に指定されています。
方丈と庭園です。
なかなかいい景色です。
方丈の軒です。
飛燕垂木です。
方丈は、元禄16年(1703)に徳川綱吉の母桂昌院によって再建されました。
方丈の襖絵は狩野派の絵師によるものです。
方丈の中は撮影禁止でした。
永観堂禅林寺 [寺院]
永観堂禅林寺です。
京都市左京区の東山にあります。
総門です。
立派な高麗門です。
永観堂禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山で大伽藍なので、塔頭もたくさんあります。
正式名称は、聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺ですが、一般には永観堂と呼ばれています。
玄関です。
書院です。
古方丈と呼ばれています。
長谷川等伯らの障壁画があります。
唐門です。
勅使門とも呼ばれ、勅使を迎える専門の門です。
四足門です。
庭園です。
回廊です。
永観堂は広い境内に多くの建物が点在しているので、回廊で結ばれています。
回廊の船肘木です。
山の斜面に張り付くように回廊がめぐっています。
永観堂は紅葉の名所なので、秋はもっと素晴らしいです。
カーブしながら登る階段です。
京都市左京区の東山にあります。
総門です。
立派な高麗門です。
永観堂禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山で大伽藍なので、塔頭もたくさんあります。
正式名称は、聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺ですが、一般には永観堂と呼ばれています。
玄関です。
書院です。
古方丈と呼ばれています。
長谷川等伯らの障壁画があります。
唐門です。
勅使門とも呼ばれ、勅使を迎える専門の門です。
四足門です。
庭園です。
回廊です。
永観堂は広い境内に多くの建物が点在しているので、回廊で結ばれています。
回廊の船肘木です。
山の斜面に張り付くように回廊がめぐっています。
永観堂は紅葉の名所なので、秋はもっと素晴らしいです。
カーブしながら登る階段です。
一色大提灯 [神社]
愛知県西尾市一色町にある諏訪神社です。
鳥居です。
本殿です。
建御名方神です。
諏訪神社では毎年8月26日と27日に大提灯まつりが開催されます。
大きな提灯があげられます。
起源は戦国時代の永禄年間にさかのぼります。
海魔を鎮めるために諏訪神社を勧請して、海岸でかがり火を焚いたことがはじまりと言われています。
かがり火は100年ほど続きましたが、江戸時代には大きな提灯を上げるようになりました。
しかし、江戸時代になると次第に提灯の大きさを競い、巨大化しました。
そのために西尾藩より質素倹約のため胴回りを2間以内とするように通達が出されました。
守らない組も出て、入牢される事件も起こりました。
しかし、明治になると再び大きくなりました。
提灯には様々な画題が描かれています。
6組12張りの提灯があげられます。
提灯の内部を見上げたところです。
大きさを実感できます。
夜になると提灯に火が入れられます。
蝋燭も大きいです。
諏訪神社の参道です。
両側に屋台が並びます。
西尾市旧一色町のマンホールです。
鳥居です。
本殿です。
建御名方神です。
諏訪神社では毎年8月26日と27日に大提灯まつりが開催されます。
大きな提灯があげられます。
起源は戦国時代の永禄年間にさかのぼります。
海魔を鎮めるために諏訪神社を勧請して、海岸でかがり火を焚いたことがはじまりと言われています。
かがり火は100年ほど続きましたが、江戸時代には大きな提灯を上げるようになりました。
しかし、江戸時代になると次第に提灯の大きさを競い、巨大化しました。
そのために西尾藩より質素倹約のため胴回りを2間以内とするように通達が出されました。
守らない組も出て、入牢される事件も起こりました。
しかし、明治になると再び大きくなりました。
提灯には様々な画題が描かれています。
6組12張りの提灯があげられます。
提灯の内部を見上げたところです。
大きさを実感できます。
夜になると提灯に火が入れられます。
蝋燭も大きいです。
諏訪神社の参道です。
両側に屋台が並びます。
西尾市旧一色町のマンホールです。
熊野若王子神社 [神社]
織豊期城郭研究会2017年度集会 [お城情報]
お城のイベントの案内です。
最近では8月の全国城郭研究者セミナー、9月の織豊期城郭研究会研究集会が恒例となっています。
どちらも少し専門的なシンポジウムです。
少し専門的にお城を研究したい方は参加してはいかがでしょうか。
織豊期城郭研究会2017年度集会
【テーマ】
日 時 2017年9月9日(土)~10日(日)
場 所 甲賀市碧水ホール(滋賀県甲賀市水口町水口5671)
① 現地見学会
【開催日時】 9月9日(土)13時30分~16時00分頃(13時30分集合)
【案 内 者】 甲賀市教育委員会歴史文化財課職員
【集合場所】 史跡水口岡山城跡本丸跡(山頂)
【参 加 費】 無料(当日資料代を徴収する可能性もあります、要申込)
② 情報交換会
【開催日時】 9月9日(土)18時00分開始 寿賀蔵(スガクラ)
【参 加 費】 一般5,000円・学生3,500円を予定
③ 研究集会
【開催日時】 9月10日(日)10時30分~15時30分(10時開場・受付開始)
【参 加 費】 資料代等を含め、2,500~3,000円を予定
【開催テーマ】織豊期城郭瓦研究の新視点
【開催日程】※報告タイトルや順番などは変更になる場合もあります。
9月10日(日)
10:30~ 開 場・受付開始
10:30~10:35 開催地挨拶
10:35~10:40 趣旨説明(事務局)
10:40~11:30 開催地報告「瓦が語る水口岡山城の変遷と背景」 小谷徳彦 氏(甲賀市教育委員会)
11:30~12:10 報 告①「瓦製作技法痕跡の再整理―伊予織豊期城郭資料の分析から―」広瀬岳志 氏(宇和島市教育委員会)
12:10~13:20 〈 昼 食 ・ 休 憩 〉
13:20~14:00 報 告②「山陰におけるコビキ技法の転換期―西伯耆を中心に―」伊藤 創 氏(江津市教育委員会)
14:00~14:40 報 告③「(仮)瓦製作とその背景―蛍光X線分析等を用いた瓦研究―」池谷信之・木村聡氏(沼津市教育委員会)
14:40~15:20 報 告④「(仮)遺物としての瓦と陶磁器―九州の視点から―」中山 圭 氏(天草市観光文化部)
15:20~15:30 まとめ・事務連絡および閉会挨拶(事務局)
5.申込方法(参加には申し込みが必要です。)
①郵便番号・②住所・③氏名(ふりがな)・④所属(勤務先・研究会等)・⑤Eメールアドレス・⑥電話番号(なるべく携帯電話)・⑦研究集会・現地見学会・情報交換会の出欠(学生の方はその旨記載)・⑧図書交換書籍の有無(有の場合その詳細も)をお知らせ下さい。
・申込み は、 専用メールアドレス <shokuhoujoken@gmail.com
締め切り 9月6日(水)22時
最近では8月の全国城郭研究者セミナー、9月の織豊期城郭研究会研究集会が恒例となっています。
どちらも少し専門的なシンポジウムです。
少し専門的にお城を研究したい方は参加してはいかがでしょうか。
織豊期城郭研究会2017年度集会
【テーマ】
日 時 2017年9月9日(土)~10日(日)
場 所 甲賀市碧水ホール(滋賀県甲賀市水口町水口5671)
① 現地見学会
【開催日時】 9月9日(土)13時30分~16時00分頃(13時30分集合)
【案 内 者】 甲賀市教育委員会歴史文化財課職員
【集合場所】 史跡水口岡山城跡本丸跡(山頂)
【参 加 費】 無料(当日資料代を徴収する可能性もあります、要申込)
② 情報交換会
【開催日時】 9月9日(土)18時00分開始 寿賀蔵(スガクラ)
【参 加 費】 一般5,000円・学生3,500円を予定
③ 研究集会
【開催日時】 9月10日(日)10時30分~15時30分(10時開場・受付開始)
【参 加 費】 資料代等を含め、2,500~3,000円を予定
【開催テーマ】織豊期城郭瓦研究の新視点
【開催日程】※報告タイトルや順番などは変更になる場合もあります。
9月10日(日)
10:30~ 開 場・受付開始
10:30~10:35 開催地挨拶
10:35~10:40 趣旨説明(事務局)
10:40~11:30 開催地報告「瓦が語る水口岡山城の変遷と背景」 小谷徳彦 氏(甲賀市教育委員会)
11:30~12:10 報 告①「瓦製作技法痕跡の再整理―伊予織豊期城郭資料の分析から―」広瀬岳志 氏(宇和島市教育委員会)
12:10~13:20 〈 昼 食 ・ 休 憩 〉
13:20~14:00 報 告②「山陰におけるコビキ技法の転換期―西伯耆を中心に―」伊藤 創 氏(江津市教育委員会)
14:00~14:40 報 告③「(仮)瓦製作とその背景―蛍光X線分析等を用いた瓦研究―」池谷信之・木村聡氏(沼津市教育委員会)
14:40~15:20 報 告④「(仮)遺物としての瓦と陶磁器―九州の視点から―」中山 圭 氏(天草市観光文化部)
15:20~15:30 まとめ・事務連絡および閉会挨拶(事務局)
5.申込方法(参加には申し込みが必要です。)
①郵便番号・②住所・③氏名(ふりがな)・④所属(勤務先・研究会等)・⑤Eメールアドレス・⑥電話番号(なるべく携帯電話)・⑦研究集会・現地見学会・情報交換会の出欠(学生の方はその旨記載)・⑧図書交換書籍の有無(有の場合その詳細も)をお知らせ下さい。
・申込み は、 専用メールアドレス <shokuhoujoken@gmail.com
締め切り 9月6日(水)22時
後水尾天皇皇女昭子内親王墓 [歴史雑話]
大豊神社 [神社]
霊鑑寺門跡 [寺院]
安楽寺 [寺院]
安楽寺は京都市の東山にあります。
浄土宗の寺院です。
山門です。
茅葺の寄棟屋根が風情あります。
山門を入ると参道の両サイドに砂の庭があります。
見事な砂庭です。
庭には大きな池があり、橋が架けられています。
橋を渡って山門を振り返った図です。
庫裏の玄関です。
玄関の衝立です。
雅楽の絵でしょうか。
水盤です。
椿がおしゃれです。
松虫と鈴虫の墓です。
鎌倉時代に法然上人の弟子の安楽と住蓮は鹿ヶ谷草庵を建てて、昼も夜も美しい声で念仏唱和していました。
この声に惹かれて後鳥羽上皇の松虫と鈴虫という女官が通っていました。
後鳥羽上皇が熊野詣で留守の時に、松虫と鈴虫は御所を抜け出して出家してしまいました。
このことが上皇の逆鱗に触れて、安楽と住蓮は処刑されてしまいました。
後鳥羽上皇は、その後に承久の乱によって隠岐に流されました。
安楽と住蓮の墓です。
安楽寺は安楽と住蓮の供養のために建てられました。
安楽寺は住蓮山安楽寺といいます。
本堂です。
中には鈴虫と松虫の座像が安置されています。
廊下です。
書院の床の間です。
浄土宗の寺院です。
山門です。
茅葺の寄棟屋根が風情あります。
山門を入ると参道の両サイドに砂の庭があります。
見事な砂庭です。
庭には大きな池があり、橋が架けられています。
橋を渡って山門を振り返った図です。
庫裏の玄関です。
玄関の衝立です。
雅楽の絵でしょうか。
水盤です。
椿がおしゃれです。
松虫と鈴虫の墓です。
鎌倉時代に法然上人の弟子の安楽と住蓮は鹿ヶ谷草庵を建てて、昼も夜も美しい声で念仏唱和していました。
この声に惹かれて後鳥羽上皇の松虫と鈴虫という女官が通っていました。
後鳥羽上皇が熊野詣で留守の時に、松虫と鈴虫は御所を抜け出して出家してしまいました。
このことが上皇の逆鱗に触れて、安楽と住蓮は処刑されてしまいました。
後鳥羽上皇は、その後に承久の乱によって隠岐に流されました。
安楽と住蓮の墓です。
安楽寺は安楽と住蓮の供養のために建てられました。
安楽寺は住蓮山安楽寺といいます。
本堂です。
中には鈴虫と松虫の座像が安置されています。
廊下です。
書院の床の間です。
伏見城と淀城 [お城情報]
少し前ですが、京都市考古資料館に「伏見城と淀城」を見てきました。
伏見城も淀城も発掘調査が進んでいます。
伏見城の金箔瓦です。
指月城の推定地です。
今は集合住宅になっています。
伏見城と一口に行っても何度も築かれています。
指月城、向島城、伏見城と三回築かれました。
指月城は発掘調査がされています。
堀と石垣が発掘されました。
向島城の推定地です。
今は住宅地に埋もれています。
向島城の絵図です。
子細に見ると近世城郭らしからぬ不思議な縄張りです。
4つの虎口が内桝形になる二の丸が中心的な曲輪ですが、馬場と三の丸も行き止まりの不思議な曲輪です。
本丸は直接城外につながりますが、二の丸からの虎口はオープンです。
金箔瓦です。
金箔の軒丸瓦です。
伏見城の絵図です。
本丸には天守台も描かれています。
石田三成や増田長盛の屋敷も描かれています。
伏見城下町で見つかった大名屋敷の門跡です。
伊達政宗の屋敷と推定されます。
淀城の現況図です。
淀城天守台の様子です。
穴藏式の天守だったことがよくわかります。
伏見城も淀城も発掘調査が進んでいます。
伏見城の金箔瓦です。
指月城の推定地です。
今は集合住宅になっています。
伏見城と一口に行っても何度も築かれています。
指月城、向島城、伏見城と三回築かれました。
指月城は発掘調査がされています。
堀と石垣が発掘されました。
向島城の推定地です。
今は住宅地に埋もれています。
向島城の絵図です。
子細に見ると近世城郭らしからぬ不思議な縄張りです。
4つの虎口が内桝形になる二の丸が中心的な曲輪ですが、馬場と三の丸も行き止まりの不思議な曲輪です。
本丸は直接城外につながりますが、二の丸からの虎口はオープンです。
金箔瓦です。
金箔の軒丸瓦です。
伏見城の絵図です。
本丸には天守台も描かれています。
石田三成や増田長盛の屋敷も描かれています。
伏見城下町で見つかった大名屋敷の門跡です。
伊達政宗の屋敷と推定されます。
淀城の現況図です。
淀城天守台の様子です。
穴藏式の天守だったことがよくわかります。