姫路城 その14 [お城踏査]
姫路城の続きです。
まだまだ続きます。
姫路城は現存建物が多く紹介しきれません。
左からチの櫓、リの一渡櫓です。
上山里曲輪にあります。
上山里曲輪は備前丸の下にある曲輪です。
山里曲輪は大坂城や名護屋城、江戸城にも作られた曲輪です。
数寄屋や茶室などに使われたと思われます。
リの二渡櫓とぬの門です。
リの二渡櫓は二重の渡櫓です。
渡櫓は一重の物が多く、二重のものは金沢城や岡山城など大きな城に限られます。
古墳の石棺です。
姫路城の石垣に使われていたものです。
上山里曲輪から見た天守です。
石垣は備前曲輪です。
かなりの高石垣です。
かつてはこの石垣の上に長局と呼ばれる多聞櫓が建てられていました。
明治15年に失火により焼失してしまいました。
リの二渡櫓内に飾られている明治時代の天守の鯱です。
姫路城の天守は江戸初期から現存していますが、瓦などは消耗品のため何度か取り換えられています。
四代目の鯱のようです。
昭和時代の鯱です。
かなり大きなものです。
平成時代の鯱です。
それぞれ特徴があり、顔など微妙に異なります。
(続く)
まだまだ続きます。
姫路城は現存建物が多く紹介しきれません。
左からチの櫓、リの一渡櫓です。
上山里曲輪にあります。
上山里曲輪は備前丸の下にある曲輪です。
山里曲輪は大坂城や名護屋城、江戸城にも作られた曲輪です。
数寄屋や茶室などに使われたと思われます。
リの二渡櫓とぬの門です。
リの二渡櫓は二重の渡櫓です。
渡櫓は一重の物が多く、二重のものは金沢城や岡山城など大きな城に限られます。
古墳の石棺です。
姫路城の石垣に使われていたものです。
上山里曲輪から見た天守です。
石垣は備前曲輪です。
かなりの高石垣です。
かつてはこの石垣の上に長局と呼ばれる多聞櫓が建てられていました。
明治15年に失火により焼失してしまいました。
リの二渡櫓内に飾られている明治時代の天守の鯱です。
姫路城の天守は江戸初期から現存していますが、瓦などは消耗品のため何度か取り換えられています。
四代目の鯱のようです。
昭和時代の鯱です。
かなり大きなものです。
平成時代の鯱です。
それぞれ特徴があり、顔など微妙に異なります。
(続く)
姫路城 その13 [お城踏査]
姫路城の続きです。
備前丸の下から見上げた石垣です。
四角い石が石垣に組み込まれています。
古墳の石室でしょうか。
天守がわずかに見えます。
切腹丸に降りる虎口です。
穴藏のような石垣の通路を降ります。
しかし、今は切腹丸には降りられません。
上から見た切腹丸です。
切腹丸というのは俗説で、井戸曲輪です。
行き止まりの曲輪でまえの帯曲輪櫓が切腹を見守る番人が座る場所のように見えたためにこう言われていました。
今はここには入れません。
姫路城は世界遺産となり観光客が爆発的に増えて以来、一方通行になり、立入禁止区域が増えて自由に見学できなくなりました。
残念だけどある程度は仕方ないのでしょうね。
への櫓です。
太鼓櫓とも言われます。
への櫓です。
左の門はりの門です。
りの門を出ると上山里曲輪に出ます。
上山里曲輪の井戸です。
この井戸がお菊井戸です。
怪談播州皿屋敷の舞台となった井戸です。
割った皿の数を数えるお菊の幽霊の話で有名です。
これに似た話で江戸の番町皿屋敷の怪談もあります。
(続く)
備前丸の下から見上げた石垣です。
四角い石が石垣に組み込まれています。
古墳の石室でしょうか。
天守がわずかに見えます。
切腹丸に降りる虎口です。
穴藏のような石垣の通路を降ります。
しかし、今は切腹丸には降りられません。
上から見た切腹丸です。
切腹丸というのは俗説で、井戸曲輪です。
行き止まりの曲輪でまえの帯曲輪櫓が切腹を見守る番人が座る場所のように見えたためにこう言われていました。
今はここには入れません。
姫路城は世界遺産となり観光客が爆発的に増えて以来、一方通行になり、立入禁止区域が増えて自由に見学できなくなりました。
残念だけどある程度は仕方ないのでしょうね。
への櫓です。
太鼓櫓とも言われます。
への櫓です。
左の門はりの門です。
りの門を出ると上山里曲輪に出ます。
上山里曲輪の井戸です。
この井戸がお菊井戸です。
怪談播州皿屋敷の舞台となった井戸です。
割った皿の数を数えるお菊の幽霊の話で有名です。
これに似た話で江戸の番町皿屋敷の怪談もあります。
(続く)