駿府城 その5 [お城踏査]

今年もあと一日となりました。

最後の記事です。

駿府城の続きです。

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二之丸の坤櫓です。

ひつじさる櫓と読みます。

坤は方角を表します。

南西です。

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二重三階櫓です。

隅櫓ですが、結構大きいです。

平成26年に復元されました。

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木造で建てられています。

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二階の床が一部張られておらず下から見えます。

実は坤櫓は三階ですが、一階しか入れません。

これは消防法の関係で木造の建物は二階以上には入れなくなりました。

残念ですが仕方ありません。


今年もお城がメインと言うマニアックなブログを訪問していただきありがとうございます。

一年間お世話になりました。

よいお年をお迎えください。
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駿府城 その4 [お城踏査]

駿府城の続きです。

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大手門の跡です。

今は石垣が残るのみです。

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説明です。

枡形門でした。

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石垣の隅石は大きな石画使われています。

さすが大手門です。

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歩道のタイルに色が付けられています。

素薄い色の四角が大手門の柱の跡を示します。

こういう表示の仕方もいいですね。

(続く)

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駿府城 その3 [お城踏査]

駿府城の続きです。

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東御門の内部です。

石落しの部分です。

人型が防御している様子を示しています。

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渡り櫓の内部です。

廊下と細かく区切られた部屋になっています。

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内部は資料が展示されています。

駿府城の天守の模型です。

天守は江戸の初期に燃えてしまったので、史料がなくどんな形だったのかわかりません。

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駿府城の模型です。

天守台の部分です。

江戸時代には天守はなく、天守台の石垣のみがありました。

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巽櫓の内部です。

一階です。

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内部はいくつかの部屋に分かれています。

部屋は畳敷です。

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二階です。

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二階から見上げた三階です。

巽櫓は二重三階です。

二階までは入れますが、三階は入れません。

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渡り櫓から見た櫓門です。

このアングルは櫓の中からしか撮れません。

(続く)
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駿府城 その2 [お城踏査]

駿府城の続きです。

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東御門の高麗門です。

柱が太いです。

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枡形内からみた高麗門です。

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桝形内の渡り櫓門です。

渡り櫓(多聞櫓)がコの字状に桝形を囲んでいます。

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正面の渡り櫓です。

よく見ると石垣の積み方が異なります。

正面の方がきれいに隙間なく積まれています。

切り込みハギです。

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左手の渡り櫓です。

こちらの石垣の方が少し積み方が荒いです。

打ち込みハギです。

でも野面積みのような荒々しさはありません。

高麗門を突破しても桝形に入ると三方から攻撃されるので、鉄壁の守りです。

石垣と城壁の櫓に囲まれて威圧感がすごいです。

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城内から見た渡り櫓門です。

内部は見学できます。

(続く)
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駿府城@静岡県静岡市 [お城踏査]

駿府城は静岡県静岡市葵区にありました。

駿府と言うのは駿河の府中という意味です。

室町時代には今川氏の館でした。

今川氏滅亡後は徳川家康の居城となりましたが、小田原役後は中村一氏が入り、関ヶ原合戦後は隠居した徳川家康の居城となりました。

現在の駿府城は家康の隠居城の姿です。

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二の丸の巽櫓です。

平成元年に木造にて復元されたものです。

平面はL字形になっています。

これは櫓を大きく見せるためです。

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巽櫓と東御門です。

東御門は平成8年に復元されました。

巽櫓はL字形のため大きく立派に見えます。

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巽櫓です。

東御門付近から見たところです。

二重櫓ですが内部は三階です。

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東御門です。

高麗門と渡り櫓からなる桝形門です。

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正面から見た高麗門です。

(続く)
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光明寺 [寺院]

光明寺は愛知県知多郡南知多町にある寺院です。

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浄土宗の寺院です。

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三門です。

本瓦葺きの二階門です。

少し変わった形態の門であまり類例をみたことがありません。

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本堂です。

寄棟造りで桟瓦葺きです。

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薬師堂です。

寄棟造りで本瓦葺きです。

入り口には立派な唐破風が付いています。

本堂より薬師堂の方が立派です。

光明寺は南知多三十三観音の十八番です。

とら薬師と呼ばれています。

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手水鉢はタコの形をしています。

ユニーク。

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初雪 [四方山話]

今日は名古屋でも初雪でした。

東北や北海道は爆弾低気圧の影響で大荒れでしたが、名古屋も寒かった。

風が冷たくて凍えそうでした。

雪は降ったけど、幸いにも積もるほどではなく、夕刻には消えていました。


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羽豆岬 [四方山話]

愛知県の知多半島の先端にある羽豆岬です。

SKE48のthirdシングル、2010年に発売されたごめんね、SUMMERのカップリング曲に「羽豆岬」という曲があります。

SKE48は名古屋地区を活動拠点としているアイドルグループです。

SKE48初のご当地ソングとして親しまれています。

それを記念して歌碑が建てられています。

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襟裳岬などご当地ソングは数多くあり、歌碑も建てられていますが、アイドルグループの歌碑は珍しいです。

それだけ地元にも愛されている証拠でしょうか。

羽豆岬はアンダーガールズBが歌っています。

メンバーはチームS:大矢真那、中西優香、平田璃香子、平松可奈子
チームKII:内山命、小木曽汐莉、古川愛李、松本梨奈

7年前ですが、この8人のメンバーのなかで今も現役なのは内山命のみです。

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歌碑の隣にはこの歌の由来が書かれています。

師崎まちづくり協議会が作詞家の秋元康氏依頼して建てられました。

さびれていた羽豆岬をの輝きを取り戻そうと想いで作詞、地元も老朽化していた展望台を建て直すなどして観光スポットとしてよみがえりました。

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羽豆神社 [神社]

羽豆神社は愛知県知多郡南知多町師崎にあります。

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羽豆大明神の旗がひらめいています。

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社殿です。

祭神は建稲種命です。

尾張氏の祖神です。

創立は白鳳年中(700~)です。

1300年頃熱田大宮司摂津守親昌の猶子昌能が羽豆崎城を築き、羽豆神社を修復しました。

1370年に宗良親王が御奉幣。

ところで、三河湾を挟んだ対岸の西尾市にも幡頭神社があります。

幡頭神社ははず神社と読みます。

幡頭神社も創建は白鳳時代と伝えられ、祭神は同じ建稲種命です。

なんらかの関係があると思われます。

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絵馬がたくさん奉納されています。

ハート形などのかわいい絵馬が多くあります。

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よく見るとほとんど名古屋のアイドルグループSKE48関係のものです。

ファンが推しメンの昇格やヒット祈願の絵馬を奉納しています。

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SKE48のごめんねsummerのカップリング曲で羽豆岬という曲が作られました。

SKE48で初めての唯一のご当地ソングです。

そのPVの撮影がこの羽豆神社などで行われたり、メンバーが訪れたり、番組で取り上げられてここが聖地化されました。

それから羽豆神社がファンの聖地となり、羽豆神社詣でが始まりました。

それまでは絵馬もなかったような神社でしたが、ハート形の絵馬が出来たりして盛んになりました。
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羽豆崎城@愛知県知多郡南知多町 [お城踏査]

羽豆崎城は愛知県知多郡南知多町師崎にあった中世城郭です。

知多半島の先端部、師崎にありました。

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石碑です。

今は石碑が残るだけです。

今も小高い丘になっていて、羽豆神社がありますが、城の遺構と思われるものはありません。

千秋氏の城でしたが、半島の先端の要地にあったために、後に一色氏、佐治氏、千賀氏が入りました。

千賀氏は水軍を持つ武士でした。

関が原合戦の時にもこの羽豆崎城でも戦いがありました。
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