名胡桃城 その2 [お城踏査]

名胡桃城の続きです。

名胡桃城は室町時代に沼田城の支城として沼田氏が築きました。

天正7年に武田勝頼が沼田城を攻めるために真田昌幸に命じて改修して築きました。

名胡桃城の馬出はこの時に築かれたと思われます。

その後真田氏は沼田城を攻略します。

天正15年に豊臣秀吉が戦争を禁じる総無事令を出します。

その時に名胡桃城を含む三分の一を真田氏に、沼田城を含む残りを北条氏の領地としました。

これを不服に思った北条氏は名胡桃城を奪取して、これをきっかけに小田原合戦に向かいます。

名胡桃城が秀吉の小田原攻めの始まりになりました。

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幟にも歴史を変えた城 名胡桃城と書かれています。

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三郭の前の丸馬出です。

発掘調査の結果見つかりましたが、堀は復元されていません。

薄い色の舗装が曲輪です。

丸馬出なので孤を描いています。

濃い色の舗装は橋を示しています。

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馬出の説明です。

丸馬出は武田氏の築城術の一つです。

武田勝頼の命で真田昌幸が築いた時に使われたと思われます。

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馬出部分の発掘調査の図です。

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馬出から見た三郭です。

門は柱で示されています。

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三郭から見た丸馬出です。

馬出は比較的小さな曲輪です。

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三郭の堀です。

(続く)

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