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沼田城 その4 [お城踏査]

沼田城の続きです。

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本丸跡の石碑です。

公園となり城跡らしさはありません。

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本丸御門跡です。

こちらも堀が埋められて跡形もありません。

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天守跡です。

石碑のみです。

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天守台です。

盛り土のみで遺構はありません。

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天守の再建のために天守台を発掘調査しましたが、石垣は発見できなかったそうです。

石垣の下部まで徹底的に破壊されたようです。

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平成27年に本丸の堀を発掘すると150センチほどの石垣と瓦が大量に見つかりました。

石垣は上部をかなり破壊されたようです。



ブログの容量を超えてしまいました。

続きは山城踏査日記Ⅲで。


(続く)
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沼田城 その3 [お城踏査]

沼田城の続きです。

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沼田城内にある観光案内所にある沼田城天守のペーパークラフトです。

一重目にある千鳥破風の位置が不自然です。

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別の沼田城の模型です。

天守台は大きいので、土間が作られています。

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別のアングルです。

多くの千鳥破風と唐破風があります。

鯱は金鯱です。

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沼田城本丸の模型です。

五重の天守と三重櫓である巽櫓が並び立ちます。

櫓門の両サイドに天守と三重櫓があり、威容を誇っています。

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天守の前には馬出曲輪があります。

そこにも三重櫓がありました。

硝煙櫓でした。

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沼田城の範囲を地形図に示したものです。

(続く)
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沼田城 その2 [お城踏査]

沼田城の続きです。

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看板です。

城跡に入るとすぐにあります。

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説明です。

歴史が書かれています。

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沼田城の石碑です。

碑としては珍しい形です。

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沼田城跡は公園になっています。

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堀跡はテニスコートになっています。

(続く)
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沼田城@群馬県沼田市 [お城踏査]

沼田城は群馬県沼田市にあった近世城郭です。

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沼田城も一昨年放送の真田丸にて有名になりました。

沼田城は、室町時代の後半の天文初期頃、沼田顕泰が築城しました。

永禄3年(1560)に上杉謙信に攻略されますが、謙信の死後は、北条氏政が支配します。

天正8年に真田昌幸が入ります。

天正10年、武田氏が滅亡すると、織田信長の家臣の滝川一益の支配下となり、甥の滝川儀太夫益氏が沼田城に入入りますが、すぐに起きた本能寺の変により滝川一益は伊勢へ戻ります。

すると再び真田昌幸が入ります。

真田昌幸は嫡子・信之を沼田城に入れました。

天正17年、豊臣秀吉は、沼田城を北条氏に渡すことを真田昌幸に求めます。

しかし、北条氏は沼田城だけではなく、名胡桃城を欲しがり、攻め落としたために秀吉の怒りを買い、小田原の役につながりました。

北条氏滅亡後は、沼田城は再び真田信之の城となります。

関ヶ原合戦では沼田城の真田信之は徳川家康に味方します。

上田城の真田昌幸と信繁は西軍に属したために没収されて、信之は、上田城と沼田城を領有しました。

このころ、信之が沼田城に五重の天守を築きました。

真田氏が松代に移ると沼田城は分家の真田氏が領有しますが、藩政の乱れにより取り潰されて、沼田城も廃城となります。

江戸の中期に本多氏が2万石で再び沼田城を再興しますが、天守は築かれず、本格的な城は築かれませんでした。

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沼田城の入り口です。

門は冠木門で模擬門です。

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三の丸跡です。

侍屋敷がありました。

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三の丸の土塁です。

部分的に残っています。

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三の丸の堀跡です。

道路になっています。

(続く)
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織豊期城郭研究会2018特別研究集会in佐和山城「徹底追及!豊臣の城からみた佐和山城」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。


織豊期城郭研究会2018特別研究集会in佐和山城「徹底追及!豊臣の城からみた佐和山城」
日 時 2018年3月3日(土)~4日(日) 13時~16時30分
場 所 鳥居本地区公民館(滋賀県彦根市鳥居本2)
定 員 100名
参加費 
内 容
登壇予定
中井均
太田浩司
下高大輔
市川創
十文字健
小谷徳彦
古川匠
乗岡実
奥井智子
田附清子
問合せ
佐和山城研究会
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お台場シンポジウム2018「開国後の大阪湾とお台場」 [お城情報]

お城ではありませんが、お台場のシンポジウムです。

お台場の広義の軍事施設と言う範疇ではお城に含まれるのかな。



お台場シンポジウム2018「開国後の大阪湾とお台場」
日 時 2018年3月4日(日) 13時~16時30分
場 所 堺市博物館(大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2)
定 員 100名
参加費 1000円(申込不要)
内 容

講演1「開港後の大阪湾と台場」後藤敦史氏(京都橘大学准教授)

講演2「堺事件と堺台場」白神典之氏(堺市博物館)

座談会「開港後の大阪湾と堺台場」司会:小林和美氏(堺市文化財課)
問合せ
大阪湾お台場シンポジウム実行委員会・堺台場研究会(山本)
℡090-3840-9217

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名胡桃城 その7 [お城踏査]

名胡桃城の続きです。

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本郭の先端がささ郭です。

深い堀を隔てています。

本郭から見たささ郭です。

今を安全のために堀に通路が作られています。

城跡としてはいただけませんが、このように観光地化した城跡には仕方ないのでしょうね。

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ささ郭の説明です。

土塁を両側に持つ曲輪です。

トレンチ調査が行われ、門跡や石積などが見つかりました。

現在は埋め戻されています。

ささ郭の先には袖郭と物見がありました。

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発掘調査の写真です。

石積などが見つかりました。

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ささ郭です。

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ささ郭からの眺めです。


高い位置にあり、要害地形であることが、よくわかります。

名胡桃城はこのように史上有名な城であり、遺構もよく残り、整備もされています。

交通の便は少し悪いですが、見る価値は十分ありまする

(終わり)

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名胡桃城 その6 [お城踏査]

名胡桃城の続きです。

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いよいよ本郭です。

本郭は全面発掘はされずに部分的にトレンチを入れての調査です。

現在は土塁はありませんが、発掘調査の結果、基底部が見つかっていて、かつては土塁が巡っていました。

両側は川に突き出していて、崩落により大きく崩れています。

かつては今よりも広かったことがわかりました。

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石碑です。

昭和53年に建てられました。

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本丸の全景です。

公園になっています。

ここにも石碑があります。

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なかなか味のある石碑です。

名胡桃城は大正12年に結成された地元の保存会により保存管理されました。

石碑は保存会により建てられ碑文を書いたのは徳富蘇峰でした。

(続く)

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名胡桃城 その5 [お城踏査]

名胡桃城の続きです。

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二郭です。

ほぼ全域が発掘されています。

郭内には多くの建物跡が確認されています。

郭の南北に虎口があります。

共に食い違いになっていて、三郭や本丸より虎口からのみみると上位の郭に見えます。

二郭が実質的な本丸だったようです。

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二郭の復元イラストです。

建物の中には掘立柱建物ではないしっかりした建物もあり、物見櫓もありました。

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二郭の北虎口です。

門は柱のみ表現されています。

右は櫓台です。

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二郭の北虎口の図面です。

橋から入り、土塁にぶつかり、一度左に折れて虎口に入るようになっています。

虎口の隣には櫓台が構えられていて、厳重な構えでした。

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発掘調査の写真です。

石垣や石積みの排水路も見つかっています。

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本丸から橋を通して見た二郭の北虎口です。

正面の土塁に当たると左に折れます。

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北虎口です。

虎口の前には桝形空間があります。

左手に櫓台があり、厳重な構えです。

(続く)
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名胡桃城 その4 [お城踏査]

名胡桃城の続きです。

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二郭の虎口です。

手前の橋は復元です。

後の虎口の門は模擬復元です。

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虎口です。

枡形虎口まではいきませんが、食い違いになっています。

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虎口の図です。

カラーで色分けされており、わかりやすいです。

黄色が橋、赤が門です。

虎口が食い違いになっていることがわかります。

紫は建物跡です。

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二郭の土塁上から見た二郭です。

肌色の舗装は建物跡です。

建物が並んでいた様子がわかります。

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二郭と三郭の間の堀です。

箱堀です。

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二郭の土塁です。

底部に石が並んでいます。

土留め用です。

(続く)
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