伏見城@京都府伏見区 [お城踏査]
伏見城は京都府伏見区にあったお城です。
伏見城は、指月城が地震で壊れたのちに豊臣秀吉が新たに築城しました。
秀吉の城は大阪城が有名ですが、実際には京に近い伏見城で政治が行われていました。
秀吉の死後も徳川氏によって江戸初期まで使われていました。
別名を桃山城といいます。
安土桃山時代というのはこの伏見城が政治の中心だったことによります。
大手門です。
模擬ですが、大きな門です。
門には秀吉の家紋五七の桐が刻まれています。
なにかさみしく感じます。
天守です。
昭和39年に鉄筋コンクリートで建てられました。
本来の伏見城跡は天皇陵となっているので、立ち入れません。
天守はキャッスルランドという遊園地として建てられたもので、全くの模擬です。
5重6階の大天守と3重4階の小天守からなります。
天守入口です。
伏見城は、経営不振から平成15年に廃園になりましたが、地元から残してほしいという要望が強く形だけは残っていますが、中には入れません。
5重の天守だけあって豪壮です。
他の天守と比べても豪華で浮世放れした感じをうけます。
地元の人が愛着を持つのもわかります。
天守台の石垣です。
切り込みはぎできれいすぎます。
小天守です。
平成19年に映画「茶々」のロケのため、大阪城として外観をリニューアルされました。
一帯は伏見桃山城運動公園として京都府の施設になっています。
伏見城は、指月城が地震で壊れたのちに豊臣秀吉が新たに築城しました。
秀吉の城は大阪城が有名ですが、実際には京に近い伏見城で政治が行われていました。
秀吉の死後も徳川氏によって江戸初期まで使われていました。
別名を桃山城といいます。
安土桃山時代というのはこの伏見城が政治の中心だったことによります。
大手門です。
模擬ですが、大きな門です。
門には秀吉の家紋五七の桐が刻まれています。
なにかさみしく感じます。
天守です。
昭和39年に鉄筋コンクリートで建てられました。
本来の伏見城跡は天皇陵となっているので、立ち入れません。
天守はキャッスルランドという遊園地として建てられたもので、全くの模擬です。
5重6階の大天守と3重4階の小天守からなります。
天守入口です。
伏見城は、経営不振から平成15年に廃園になりましたが、地元から残してほしいという要望が強く形だけは残っていますが、中には入れません。
5重の天守だけあって豪壮です。
他の天守と比べても豪華で浮世放れした感じをうけます。
地元の人が愛着を持つのもわかります。
天守台の石垣です。
切り込みはぎできれいすぎます。
小天守です。
平成19年に映画「茶々」のロケのため、大阪城として外観をリニューアルされました。
一帯は伏見桃山城運動公園として京都府の施設になっています。
2015-10-03 00:19
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コメント(3)
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模擬とはいえ、なかなか立派な天守ですね。
by 川崎工場長 (2015-10-03 05:36)
歴史を不勉強ですから安土桃山がよくわかりません。
どこにどんな城があって政治が行われたのか?
by 斗夢 (2015-10-03 07:50)
懐かしいなあ。
中学校の修学旅行で行きました。
もう45年も前のことですよ。
by ナツパパ (2015-10-03 11:22)