諏訪原城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]
静岡県島田市にある諏訪原城の発掘調査現地説明会に行ってきました。
諏訪原城は天正元年に武田勝頼によって築城されました。
その後天正3年に徳川家康により攻め落とされ、牧野城と改名されました。
諏訪原城の図です。
二の丸の前に5つの丸馬出があることで有名です。
今年は一番東の馬出、二の丸東馬出の発掘調査です。
馬出内部から礎石が見つかりました。
礎石は2つで、間隔は1.6mでした。
内側の礎石は飛んでいましたが、おそらく門の大きさは1間程度です。
礎石からは藥医門と推定されます。
堀底のトレンチです。
堀は薬研堀でした。
かなり埋まっていました。
深さは7.5mでした。
説明会の様子です。
学芸員のHさんが説明していました。
島田市の学芸員さんも女性です。
大勢の見学者がいました。
遠くは大阪や東京都、栃木県来ていました。
東馬出内の土層です。
二時期が確認されました。
下層が武田氏時代、上が徳川氏です。
考古学的に見ると、馬出は徳川氏によって改修されたことがわかります。
他に鉄砲の弾が多く見つかっています。
ここが激戦地だったことがわかります。
二の丸東内馬出です。
ここもシートがかけられていて発掘されたことがわかりますが、特に説明はありませんでした。
諏訪原城の発掘調査は今年で終了して、来年からは報告書の作成や整備にとりかかるそうです。
諏訪原城は天正元年に武田勝頼によって築城されました。
その後天正3年に徳川家康により攻め落とされ、牧野城と改名されました。
諏訪原城の図です。
二の丸の前に5つの丸馬出があることで有名です。
今年は一番東の馬出、二の丸東馬出の発掘調査です。
馬出内部から礎石が見つかりました。
礎石は2つで、間隔は1.6mでした。
内側の礎石は飛んでいましたが、おそらく門の大きさは1間程度です。
礎石からは藥医門と推定されます。
堀底のトレンチです。
堀は薬研堀でした。
かなり埋まっていました。
深さは7.5mでした。
説明会の様子です。
学芸員のHさんが説明していました。
島田市の学芸員さんも女性です。
大勢の見学者がいました。
遠くは大阪や東京都、栃木県来ていました。
東馬出内の土層です。
二時期が確認されました。
下層が武田氏時代、上が徳川氏です。
考古学的に見ると、馬出は徳川氏によって改修されたことがわかります。
他に鉄砲の弾が多く見つかっています。
ここが激戦地だったことがわかります。
二の丸東内馬出です。
ここもシートがかけられていて発掘されたことがわかりますが、特に説明はありませんでした。
諏訪原城の発掘調査は今年で終了して、来年からは報告書の作成や整備にとりかかるそうです。
2016-02-28 01:17
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コメント(3)
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3月になると、春らしい気温になりそうです。
ただ花粉は・・・(-_-;)
by green_blue_sky (2016-02-28 06:53)
参加される方がずいぶんとたくさんいらっしゃるんですね。
by 川崎工場長 (2016-02-28 07:07)
ありがとうございます。
昨日は、良い天気で良かったです。
少し風が吹いたケぢね。
by ryuyokaonhachioj (2016-02-28 10:41)