慈雲寺 [寺院]
慈雲寺は長野県下諏訪町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
正安2年(1300)に大祝金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて開山しました。
山門です。
安永8年(1779)に建設です。
楼門で立派な門です。
本堂です。
本堂の棟に武田菱と梶の葉紋を掲げています。
武田信玄と諏訪氏にゆかりの寺院です。
玄関と庫裏です。
庫裏の屋根の傾斜が結構急です。
伽藍はかなり大きいです。
本堂の前の庭園です。
枯山水です。
砂の模様が美しいです。
高島城主日根野高吉の供養塔です。
大きな五輪塔です。
日根野高吉は豊臣秀吉の家臣で、徳川家康が関東に移ると諏訪の領主となり高島城を築きました。
慶長五年に病没して慈雲寺に葬られました。
子の日根野吉明は関ヶ原合戦の後に壬生城に移り、後に大分の国府城に移りました。
高吉の50回忌に五輪塔を建てました。
正安2年(1300)に大祝金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて開山しました。
山門です。
安永8年(1779)に建設です。
楼門で立派な門です。
本堂です。
本堂の棟に武田菱と梶の葉紋を掲げています。
武田信玄と諏訪氏にゆかりの寺院です。
玄関と庫裏です。
庫裏の屋根の傾斜が結構急です。
伽藍はかなり大きいです。
本堂の前の庭園です。
枯山水です。
砂の模様が美しいです。
高島城主日根野高吉の供養塔です。
大きな五輪塔です。
日根野高吉は豊臣秀吉の家臣で、徳川家康が関東に移ると諏訪の領主となり高島城を築きました。
慶長五年に病没して慈雲寺に葬られました。
子の日根野吉明は関ヶ原合戦の後に壬生城に移り、後に大分の国府城に移りました。
高吉の50回忌に五輪塔を建てました。
2016-10-08 20:21
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コメント(1)
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武田信玄と諏訪氏にゆかりの寺院なので、立派になっているのですね。
by green_blue_sky (2016-10-08 21:18)