岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会 その2 [発掘調査現地説明会]

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会の続きです。

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居館の主要部を下から見上げたところ。

裏込め石が散乱しています。

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信長居館である千畳敷の模型です。

中央部が主要部です。

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居館の主要部への入り口です。

礎石が確認されています。

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居館部から入り口を見下ろしたところです。

主な石材は撤去されていて、裏込め石が残るのみなので、とても分かりにくいですが、穴蔵状の通路を登ったようです。

巨石列というのが大きな石を使った石垣を想定しています。

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現地説明会の配布された資料から通路部分の模式図です。

通路を登ると巨石列があったようです。

突き当たると左に折れて登ります。

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この部分の御殿を復元したCGです。

二階の御殿が石垣の上に建てられていました。

中央の唐破風の下にあるのが、御殿への入り口です。

熊本城の本丸御殿に似ています。

闇り通路のようなイメージです。

御殿の一部は懸け造りになっています。

狭隘な地形を有効利用するための工夫でしょう。

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居館のCGの全体図です。

発掘調査を行っても、御殿の明確な礎石はほとんど出土せず、CGはフロイスの記述などを参考にしたあくまでも想像図です。

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スロープの部分です。

スロープの途中で平たん部があり、踊り場だったのでしょうか。

兎に角破壊が激しく、不明確です。

岐阜城は関ヶ原合戦の前哨戦で落城して、御殿も焼け落ちたとされています。

江戸時代には御留め山として入山が禁止されていたので、廃城直後か明治以降に破壊されたようです。

地表の石材はかなり撤去されて、礎石もないほど表土も削られていたようです。

明治期にある程度石垣が残っていたならば、もう少し保存が図られていた気もしますが・・。

IMG_9241.JPG

裏込め石がほとんどなので、よく説明を聴かないとなかなか理解が難しい現場でした。

IMG_9242.JPG

スロープ部分です。

階段だったのか、坂だったのかは不明です。

(続く)
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コメント 5

hatumi30331

今週は寒くなりそうです。^^;
by hatumi30331 (2017-02-06 19:59) 

green_blue_sky

明日から気温が下がります。
今日は気温が上がりすぎて暑かった(^_^;)
by green_blue_sky (2017-02-06 20:45) 

skekhtehuacso

発掘調査って、おもしろいですね。
中学生のときに、見晴台遺跡の発掘に参加したことを思い出しましたよ。
by skekhtehuacso (2017-02-07 00:18) 

川崎工場長

素人の私には建物を想像するのは難しいですね。
by 川崎工場長 (2017-02-07 07:34) 

夏炉冬扇

見学者、興味津々というところですね。
by 夏炉冬扇 (2017-02-07 18:18) 

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