駿府城@静岡県静岡市 [お城踏査]

駿府城は静岡県静岡市葵区にありました。

駿府と言うのは駿河の府中という意味です。

室町時代には今川氏の館でした。

今川氏滅亡後は徳川家康の居城となりましたが、小田原役後は中村一氏が入り、関ヶ原合戦後は隠居した徳川家康の居城となりました。

現在の駿府城は家康の隠居城の姿です。

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二の丸の巽櫓です。

平成元年に木造にて復元されたものです。

平面はL字形になっています。

これは櫓を大きく見せるためです。

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巽櫓と東御門です。

東御門は平成8年に復元されました。

巽櫓はL字形のため大きく立派に見えます。

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巽櫓です。

東御門付近から見たところです。

二重櫓ですが内部は三階です。

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東御門です。

高麗門と渡り櫓からなる桝形門です。

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正面から見た高麗門です。

(続く)
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羽豆崎城@愛知県知多郡南知多町 [お城踏査]

羽豆崎城は愛知県知多郡南知多町師崎にあった中世城郭です。

知多半島の先端部、師崎にありました。

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石碑です。

今は石碑が残るだけです。

今も小高い丘になっていて、羽豆神社がありますが、城の遺構と思われるものはありません。

千秋氏の城でしたが、半島の先端の要地にあったために、後に一色氏、佐治氏、千賀氏が入りました。

千賀氏は水軍を持つ武士でした。

関が原合戦の時にもこの羽豆崎城でも戦いがありました。
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河和城@愛知県知多郡美浜町 [お城踏査]

河和城は愛知県知多郡美浜町河和にあった中世城郭です。

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渥美半島の田原城の戸田氏によって作られました。

田原から海を隔てたここ河和まで戸田氏の勢力は及んでいました。

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お城山と呼ばれる小高い山に築かれていました。

乗り口に説明板が建てられています。

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主郭は広場になっています。

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主郭の看板です。

あまり整備はされていません。

大きな堀も残っていますが、夏は雑草が繁茂していて見学は困難です。

堀は横堀となりその規模には圧倒されます。

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城跡近くにある城口観音です。

今は城跡を偲ぶ唯一のものです。

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富貴城@愛知県武豊町 [お城踏査]

富貴城は愛知県知多郡武豊町富貴にあった中世城郭です。

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城跡にある白山神社です。

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白山神社の社殿です。

素朴な造りです。

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社殿の裏に回ると土塁が残っていました。

高さ1mほどでしょうか。

藪になっています。

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白山神社の隣にある円観寺です。

富貴城は白山神社と円観寺の境内を含めた範囲でした。

円観寺は新四国88ケ所の寺の一つなので、参拝者が多いです。

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円観寺の遠景です。

城跡は周囲より少し小高くなっています。

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境内に城跡の説明がありました。

富貴城は室町時代後期に長尾城主の岩田氏が築きました。

長尾城は先日紹介した城です。

戦国時代に戸田法雲が城主となり、館を城北の東大高字光明寺付近に建てたので大高殿と呼ばれたそうです。

戸田氏は田原市の田原城を本拠としていた国人です。

徳川家康が今川氏に人質に行く際に奪って織田信長に売ったという伝説のある国人です。

もっとも、家康を売ったというのは史実ではないという説が最近は有力です。

ともかくも戸田氏は海を支配していたようで、三河湾を挟んで、田原城から知多半島の河和城や一色城などにも勢力を伸ばしていたようです。

富貴城はその名が示すようにこの土地が豊かな土地だったために戸田氏も欲しがった城だったようです。
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長尾城@愛知県知多郡武豊町  [お城踏査]

長尾城は愛知県武豊町金下にあった中世城郭です。

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少し前まで城跡の一部と堀跡が残されていましたが、現在はJRの施設となっています。

JR武豊線の電化のための施設です。

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左が城跡です。

完全に破壊されて残っていません。

右の住宅との間が堀跡でしょうか。

長尾城は、戦国時代に岩田果貞が城主で、今川氏の支配下にありましたが、水野氏に攻められて落城したと伝えられます。

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JR武豊線です。

今は電化されています。

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武豊町のマンホールです。

武豊町は競馬の武豊さんと同じ字です。

ただし、読み方はたけとよです。
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名古屋城 二の丸東門 [お城踏査]

名古屋城の二の丸東門跡です。

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今は石垣のみ残ります。

かつては櫓門と高麗門がありました。

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門の南側の石垣です。

石垣の石が斜めに積まれています。

落とし積みという積み方です。

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北側の石垣です。

石垣が均等に横並びに積まれていて、横目地が通っています。

一般的に落とし積みは新しい積み方と言われます。

門の南側の石垣は後世積み直されたことがわかります。

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櫓門の石垣です。

右手には桝形門を構成する桝の石垣です。

この上には土塀がありました。

兵が塀に登りやすいように雁木になっています。

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櫓門の石垣です。

隅石は巨石が使われていて、きれいな算木積みになっています。

二之丸には城主が普段住む御殿がありました。

そのために威厳を示すために特に大きな石が使われていました。

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同じく二の丸東門の舛形部分の石垣です。

よく見ると斜めに石が切られています。

とても不自然です。

でも観光客の大半は石垣には見向きもしません。

これは石垣が昭和になって削り取られたためです。

名古屋城の二の丸には愛知県体育館が建てられています。

大相撲名古屋場所はここで開催されるため、場所中は多くの人で賑わいます。

しかし、そのため車で二の丸に入る必要があります。

東の門は桝形になっているので、車の出入りには不便でした。

そのために桝形の石垣が一部撤去されてしまいました。

二の丸東門の高麗門も残っていましたが、車両の通行の邪魔になると言うことで、本丸の東門に移築されました。

特別史跡の名古屋城なので、現在ならばとても許されない行為ですが、戦後の混乱期は仕方なかったのでしょうか。

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東門前に建設中の金シャチ横丁です。

飲食店や土産物店が入ります。

平成30年春にオープン予定です。
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犬山城 その5 [お城踏査]

犬山城の続きです。

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本丸の土塁です。

石垣で固められています。

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弓矢櫓跡です。

犬山城は建物は天守のみなので、櫓や土塀を復元して整備すると魅力が増すでしょう。

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正面の石垣の上には櫓があったのですが、現在は針綱神社の建物が建てられています。

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針綱神社です。

桐の丸に明治以降に建てられました。

今は犬山城に溶け込んでいますが、城跡としてはやはり神社があると整備に支障があります。

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針綱神社の絵馬です。

やはり犬山城がデザインされています。

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松の丸門の跡です。

礎石が残っています。

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矢来門跡です。

礎石が残ります。

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犬山城の模型です。

本丸と杉の丸です。

かつてはこのように多くの櫓がありました。

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同じく模型です。

桐の丸、松の丸です。

(終わり)
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犬山城 その4 [お城踏査]

犬山城の続きです。

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いよいよ最上階、四階です。

最上階は高欄があります。

花灯窓になっていますが、デザインのみでダミーです。

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高欄はとても狭いです。

四階を一周できます。

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最上階は天井が張られています。

天守で天井があるのは珍しいです。

また、犬山城は赤い絨毯が敷いてあります。

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天守から見た本丸です。

小銃櫓と本丸門です。

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天守からの眺めです。

木曽川です。

中央に見える山は伊木山城という中世城郭がありました。

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同じく天守からの眺め。

木曽川の上流です。

木曽川は日本ラインと呼ばれています。

犬山城は別名を白帝城と呼ばれています。

これは木曽川河畔に聳え立つ形が中国の白帝城に似ていたためにそう呼ばれます。

(続く)

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犬山城 その3 [お城踏査]

犬山城の続きです。

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地下二階です。

穴藏部分なのでとても狭いです。

階段は急です。

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地下一階です。

ここも穴藏部分です。

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同じく地下一階です。

穴藏が深いので、踊り場になっています。

この部分はとても暗いです。

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付櫓部分です。

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城主の間です。

床の間、違い棚があり、畳が敷かれています。

家来が控えている武者隠しの間もあります。

普段城主がここに住んでいるわけではなく、籠城の際に城主が座る場所です。

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城主の間の天井です。

通常天守には天井は張られていませんが、この部屋のみです。

天守に城主の間のような畳敷の部屋があるものは古い形式です。

犬山城が最古の天守と言われる所以です。

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部屋の一方が斜めになっていることがわかるでしょうか。

犬山城の天守台は正方形ではなく、台形です。

これは石垣を四角形に積むことができなかったためです。

初期の天守は一階部分が台形や多角形の城が多いです。

安土城や岡山城がそうです。

そのため望楼式の天守が作られました。

層塔式の天守は天守台が方形でないとうまく積み上げることができませんが、望楼式は大屋根で誤差を調整できます。

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二階です。

太い梁が見えます。

武者走り(廊下)も広いです。

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三階です。

屋根裏部屋にあります。

(続く)
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犬山城 その2 [お城踏査]

犬山城の続きです。

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本丸内です。

櫓が建てられています。

かつてはここに小銃櫓がありましたが、現在建てられている櫓は模擬復元されたもので、本来の物ではありません。

本丸には他に大砲櫓、弓矢櫓、多聞櫓、

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天守です。

国宝です。

国宝の天守は5つあります。

犬山城、姫路城、彦根城、松本城、松江城です。

その中でも犬山城は最古と言われます。

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近くで見た犬山城天守です。

望楼式天守です。

三重四階地下二階です。

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天守には付櫓があります。

南の付櫓は大きいです。

天守の入り口に横矢をかけるためです。

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西側にも小さな付櫓があります。

こちらは石落しが付いています。

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天守の東側です。

付櫓はありませんが、石落しがあります。

窓は外側に開きます。

このように石落しを多用しており、犬山城の天守は実戦的な構造です。

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天守の入り口です。

入り口は屋根が付けられているので、写真が撮りにくくなっています。

天守台は穴藏があり、そこから入ります。

いよいよ天守に登閣です。

(続く)
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