養源院 [寺院]
養源院は京都市東山区にある寺院です。
山門です。
養源院は三十三間堂の前、法住寺の隣にあります。
浄土真宗遣迎院派の寺院です。
養源院は浅井長政の院号から付けられました。
玄関です。
養源院は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室である淀殿が父である浅井長政らの二十一回忌の供養のために建てました。
浅井長政は織田信長の妹お市の方を妻に貰って信長と同盟していましたが、裏切って朝倉氏と結んで信長に敵対しました。
姉川の戦いで敗戦した後に、天正元年(1573)、小谷城で自刃しています。
その後、元和5年(1619)に火災により焼失しましたが、元和7年に淀殿の妹である徳川秀忠の正室江により再興されました。
本堂は、伏見城の殿舎を移築したものと伝えられています。
本堂の廊下は関ヶ原合戦の前の戦いで鳥居元忠らが自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものです。
中は撮影禁止なので写真はありませんが、中は薄暗くて天井の血痕の跡はよくわからなった。
本堂です。
中には、俵屋宗達の杉戸絵があります。
象や唐獅子や麒麟などを描いたものです。
これも暗くてよくわからなかった。
廊下は鴬張りになっています。
左甚五郎が作ったと言われています。
中門です。
隣に番所がついています。
山門です。
養源院は三十三間堂の前、法住寺の隣にあります。
浄土真宗遣迎院派の寺院です。
養源院は浅井長政の院号から付けられました。
玄関です。
養源院は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室である淀殿が父である浅井長政らの二十一回忌の供養のために建てました。
浅井長政は織田信長の妹お市の方を妻に貰って信長と同盟していましたが、裏切って朝倉氏と結んで信長に敵対しました。
姉川の戦いで敗戦した後に、天正元年(1573)、小谷城で自刃しています。
その後、元和5年(1619)に火災により焼失しましたが、元和7年に淀殿の妹である徳川秀忠の正室江により再興されました。
本堂は、伏見城の殿舎を移築したものと伝えられています。
本堂の廊下は関ヶ原合戦の前の戦いで鳥居元忠らが自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものです。
中は撮影禁止なので写真はありませんが、中は薄暗くて天井の血痕の跡はよくわからなった。
本堂です。
中には、俵屋宗達の杉戸絵があります。
象や唐獅子や麒麟などを描いたものです。
これも暗くてよくわからなかった。
廊下は鴬張りになっています。
左甚五郎が作ったと言われています。
中門です。
隣に番所がついています。
2016-02-13 23:29
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コメント(7)
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昨日は春の嵐のようなお天気でしたね。
ようやく風も雨も治まって、温い朝。
でも明日は寒くなるとか・・・
お互いに気を付けましょうね。
by hatumi30331 (2016-02-14 06:57)
供養のためのお寺ですね。
4連休、ほとんど仕事をしていました。
今日はお天気が悪く、強風が吹き荒れています。
by green_blue_sky (2016-02-14 07:09)
おはようございます。
外は雨だけど気温高く、変な天気です。
by 川崎工場長 (2016-02-14 07:40)
ココの地天井は迫力がありますね!
by an-kazu (2016-02-14 09:25)
ありがとうございます。
今朝は、気温17℃位でした。気温が安定
しないですね。
by ryuyokaonhachioj (2016-02-14 10:03)
「俵屋宗達の杉戸絵」まじかで見てみたいです!
何かの教材で「唐獅子と麒麟」を見たことは
ありますが・・・。
by マリー (2016-02-14 13:10)
歴史がありますね。
1日強い風て゜゛した。
by 夏炉冬扇 (2016-02-14 18:55)