矢沢陣屋@長野県上田市 [お城踏査]
矢沢陣屋は長野県上田市殿城にあった陣屋です。
仙石氏の陣屋でした。
仙石忠政の子の政俊の弟正勝が2千石で分地されて陣屋を築きました。
仙石忠政は豊臣秀吉の家臣仙石秀久の三男でした。
仙石秀久の秀吉の古参の家臣として順調に出世して讃岐国1国の大名となりましたが、天正14年に九州攻めの際の戸次川の戦いで敗戦のため秀吉から改易されました。
天正18年の小田原合戦では家臣と三男忠政とともに参陣して徳川家康に陣借りをして戦功を立てて、戦後に小諸城に5万国で復帰しました。
関ヶ原合戦では、秀吉恩顧の大名でしたが、東軍に属しました。これは小田原合戦の時に陣借りした恩があったためです。
しかし、この時秀久の次男秀範は西軍に属しています。
父に無断で西軍に属したとされていますが、真田氏が親子で東軍と西軍に分かれたように保険を掛けたとも言えるでしょう。
秀範は大坂の陣でも豊臣秀頼に属しています。
仙石氏は忠政の時に上田城に移封されました。
石垣がよく残っています。
石垣の上に建つ蔵が櫓のように見えるので、迫力満点です。
まだまだこんな城があるとは驚きです。
日本はまだまだ広いですね。
蔵の登り口です。
この辺りは石垣の積み方が新しく感じました。
後世に改修されたのでしょうか。
内から見た蔵です。
矢沢陣屋は明治に廃止されて、門や御殿は取り壊されました。
現在は宅地となっています。
入り口は枡形になっています。
矢沢城の麓にあります。
仙石氏の陣屋でした。
仙石忠政の子の政俊の弟正勝が2千石で分地されて陣屋を築きました。
仙石忠政は豊臣秀吉の家臣仙石秀久の三男でした。
仙石秀久の秀吉の古参の家臣として順調に出世して讃岐国1国の大名となりましたが、天正14年に九州攻めの際の戸次川の戦いで敗戦のため秀吉から改易されました。
天正18年の小田原合戦では家臣と三男忠政とともに参陣して徳川家康に陣借りをして戦功を立てて、戦後に小諸城に5万国で復帰しました。
関ヶ原合戦では、秀吉恩顧の大名でしたが、東軍に属しました。これは小田原合戦の時に陣借りした恩があったためです。
しかし、この時秀久の次男秀範は西軍に属しています。
父に無断で西軍に属したとされていますが、真田氏が親子で東軍と西軍に分かれたように保険を掛けたとも言えるでしょう。
秀範は大坂の陣でも豊臣秀頼に属しています。
仙石氏は忠政の時に上田城に移封されました。
石垣がよく残っています。
石垣の上に建つ蔵が櫓のように見えるので、迫力満点です。
まだまだこんな城があるとは驚きです。
日本はまだまだ広いですね。
蔵の登り口です。
この辺りは石垣の積み方が新しく感じました。
後世に改修されたのでしょうか。
内から見た蔵です。
矢沢陣屋は明治に廃止されて、門や御殿は取り壊されました。
現在は宅地となっています。
入り口は枡形になっています。
矢沢城の麓にあります。
2017-05-01 00:32
nice!(70)
コメント(4)
トラックバック(0)
立派な石垣です。
by 夏炉冬扇 (2017-05-01 06:54)
おはようございます!
暦は早くも5枚目、5月です。
各地お出かけ、暑さ対策が必要に
なってきました。
by Take-Zee (2017-05-01 08:18)
仙石氏といえば、私にとっては、赤穂浪士に出てくる大目付・仙石伯耆守が思い出されます。この仙石氏の分家の分家に当たるみたいですね。
by えくりぷす (2017-05-01 13:29)
この石垣も面白い!^^
明日は暑いかな?
by hatumi30331 (2017-05-01 19:45)