小諸城の足柄門 [移築城門]
小諸城の足柄門が城下に移築されています。
光岳寺の山門として残っています。
北陸街道沿いにあって非常に目立ちます。
足柄門は慶長元年(1596)に建てられましたが、寛保2年(1742)の水害により流失し、明和2年(1872)に再建されました。
廃城後の明治5年に光岳寺に移築されました。
寺から見た足柄門です。
高麗門です。
城門としては間口が少し狭いと感じました。
門扉です。
屋根には樋が付けられています。
光岳寺は徳川家康の母於大の方ゆかりの寺院です。
於大の方は、松平広忠と離縁後に、久松(松平)佐渡守俊勝と再婚しました。
息子の松平因幡守康元が、菩提所として千葉県関宿に建立された事が最初です。
その後久松松平の転封とともに、大垣、小諸へと移りました。
光岳寺は於大の方の法号・傳通院殿蓉譽光岳智香大弾定尼に由来します。
光岳寺の山門として残っています。
北陸街道沿いにあって非常に目立ちます。
足柄門は慶長元年(1596)に建てられましたが、寛保2年(1742)の水害により流失し、明和2年(1872)に再建されました。
廃城後の明治5年に光岳寺に移築されました。
寺から見た足柄門です。
高麗門です。
城門としては間口が少し狭いと感じました。
門扉です。
屋根には樋が付けられています。
光岳寺は徳川家康の母於大の方ゆかりの寺院です。
於大の方は、松平広忠と離縁後に、久松(松平)佐渡守俊勝と再婚しました。
息子の松平因幡守康元が、菩提所として千葉県関宿に建立された事が最初です。
その後久松松平の転封とともに、大垣、小諸へと移りました。
光岳寺は於大の方の法号・傳通院殿蓉譽光岳智香大弾定尼に由来します。
黒田藩蔵屋敷長屋門 [移築城門]
古河藩陣屋の移築門 [移築城門]
高島城の移築門 [移築城門]
織田陣屋の書院 その2 [移築城門]
橿原神宮に移築されている織田陣屋の書院の続きです。
三の間からみた上段の間です。
残念ながら二の間にはガラスが入れられています。
上段之間です。
これはガラスがない写真です。
三の間から二の間は一段高くなり、上段之間は更に一段高くなっています。
柳本織田陣屋は1万石ですが、この格式にびっくりです。
上段之間を望みます。
甲冑の置かれている場所は二の間です。
上段之間は床の間、違い棚、付書院がある帳台構になっています。
武家風書院造りの様式で、名古屋城や二条城の御殿と同じです。
上段の間の欄間も素晴らしいです。
二の間の天井は格天井です。
二の間の欄間です。
極彩色です。
今は少し色あせていますが、当時はさらに素晴らしかったでしょうね。
1万石の大名でこの造りです。
織田氏だったからでしょうか。
襖の引手金具です。
細工が細かいです。
板戸の金具です。
釘隠しです。
こちらは新しそうです。
三の間前の畳廊下です。
廊下からは庭も見えます。
現存する城の御殿は、二条城、掛川城、高知城が有名ですが、この織田陣屋書院も負けていません。
ただ、普段は非公開なので、あまり知られていないことは残念です。
時々公開しているので、是非機会があれば見学して欲しいです。
三の間からみた上段の間です。
残念ながら二の間にはガラスが入れられています。
上段之間です。
これはガラスがない写真です。
三の間から二の間は一段高くなり、上段之間は更に一段高くなっています。
柳本織田陣屋は1万石ですが、この格式にびっくりです。
上段之間を望みます。
甲冑の置かれている場所は二の間です。
上段之間は床の間、違い棚、付書院がある帳台構になっています。
武家風書院造りの様式で、名古屋城や二条城の御殿と同じです。
上段の間の欄間も素晴らしいです。
二の間の天井は格天井です。
二の間の欄間です。
極彩色です。
今は少し色あせていますが、当時はさらに素晴らしかったでしょうね。
1万石の大名でこの造りです。
織田氏だったからでしょうか。
襖の引手金具です。
細工が細かいです。
板戸の金具です。
釘隠しです。
こちらは新しそうです。
三の間前の畳廊下です。
廊下からは庭も見えます。
現存する城の御殿は、二条城、掛川城、高知城が有名ですが、この織田陣屋書院も負けていません。
ただ、普段は非公開なので、あまり知られていないことは残念です。
時々公開しているので、是非機会があれば見学して欲しいです。
織田陣屋の書院 その1 [移築城門]
奈良県橿原市の橿原神宮の境内に織田陣屋の書院が移築されています。
右が玄関、奥が書院です。
重要文化財です。
書院の外観です。
玄関です。
入母屋の屋根が格式を感じます。
文華殿と呼ばれています。
昭和42年に、織田家旧柳本藩邸の表向御殿を移築したものです。
玄関の蟇股です。
玄関の内側です。
船肘木です。
玄関の式台です。
玄関を入ったすぐの部屋です。
遠侍の間でしょうか。
正面には長大な床の間があります。
掛川城の御殿にも確か入ってすぐに床の間がありました。
文華殿は普段は非公開ですが、この時は特別公開していました。
いよいよ書院に向かいます。
と、その前にお茶と干菓子の接待がありました。
お茶を一服飲んでからいよいよ書院です。
続く。
右が玄関、奥が書院です。
重要文化財です。
書院の外観です。
玄関です。
入母屋の屋根が格式を感じます。
文華殿と呼ばれています。
昭和42年に、織田家旧柳本藩邸の表向御殿を移築したものです。
玄関の蟇股です。
玄関の内側です。
船肘木です。
玄関の式台です。
玄関を入ったすぐの部屋です。
遠侍の間でしょうか。
正面には長大な床の間があります。
掛川城の御殿にも確か入ってすぐに床の間がありました。
文華殿は普段は非公開ですが、この時は特別公開していました。
いよいよ書院に向かいます。
と、その前にお茶と干菓子の接待がありました。
お茶を一服飲んでからいよいよ書院です。
続く。
名張陣屋太鼓門 [移築城門]
永原御殿の移築門 [移築城門]
永原御殿の移築書院 [移築城門]
滋賀県草津市の芦浦観音寺に永原御殿の書院が移築されています。
重要文化財です。
書院の外観です。
永原御殿は同じく滋賀県にあり、徳川家康が上洛の時に使用するために建てた御殿です。
元々は足利義昭が建てた御殿を豊臣秀吉が伏見城に移築して、それを徳川家康が永原御殿に移築したと伝えられます。
かなり由緒のある邸物で、かつては国宝だったそうです。
中の書院です。
普段は非公開です。
年に数回公開されています。
床の間と違い棚があり、書院造りになっています。
付書院はありません。
欄間です。
筬欄間です。
書院の隣の部屋です。
二間続きになっています。
奥の部屋です。
茶室でしょうか。
引手金具です。
細工が見事です。
こちらは釘隠しです。
戸袋です。
雨戸が付いていました。
書院の天井です。
竿縁天井です。
軒の見上げです。
こちらが入り口です。
もともとは一連の建物だったものを移築したため正式な玄関ではありません。
屋根は杮葺きです。
屋根の破風です。
重要文化財です。
書院の外観です。
永原御殿は同じく滋賀県にあり、徳川家康が上洛の時に使用するために建てた御殿です。
元々は足利義昭が建てた御殿を豊臣秀吉が伏見城に移築して、それを徳川家康が永原御殿に移築したと伝えられます。
かなり由緒のある邸物で、かつては国宝だったそうです。
中の書院です。
普段は非公開です。
年に数回公開されています。
床の間と違い棚があり、書院造りになっています。
付書院はありません。
欄間です。
筬欄間です。
書院の隣の部屋です。
二間続きになっています。
奥の部屋です。
茶室でしょうか。
引手金具です。
細工が見事です。
こちらは釘隠しです。
戸袋です。
雨戸が付いていました。
書院の天井です。
竿縁天井です。
軒の見上げです。
こちらが入り口です。
もともとは一連の建物だったものを移築したため正式な玄関ではありません。
屋根は杮葺きです。
屋根の破風です。