膳所城の移築門 [移築城門]

膳所城は滋賀県大津市にあった近世城郭です。

膳所城の城門は多く近くに移築されています。

IMG_5029.JPG

草津市野路の新宮神社に移築されている門です。

城の門としては小ぶりです。

水門と伝えられます。

IMG_5033.JPG

扉は透かし門になっています。

IMG_5030.JPG

門の屋根瓦の家紋瓦です。

膳所城の城主であった本多氏の家紋、立葵です。

IMG_5031.JPG

屋根の上には小さいながらシャチが載っています。

長島城の城門 [移築城門]

長島城の移築城門です。

IMG_4601.JPG

桑名市長島町の蓮生寺に移築されています。

明治9年に移築されました。

現在は桑名市指定文化財となっています。

IMG_4605.JPG

裏から見た図です。

本瓦葺きの高麗門です。

IMG_4603.JPG

長島城の大手門でした。

移築した際に切り詰められています。

また、門扉は取り払われています。

IMG_4606.JPG

屋根瓦です。

瓦には長島城主の増山氏の家紋が入っています。

IMG_4608.JPG

門の柱です。

移築したために柱にはほぞ穴がみられます。

IMG_4610.JPG

門の屋根部分の小屋組です。

補強材が入れられています。

IMG_4613.JPG

横から見た図です。

高麗門の特徴がよわかります。


犬山城の移築門 [移築城門]

犬山城の移築門です。

IMG_4467.JPG

愛知県丹羽郡大口町の徳林寺にあります。

徳林寺の山門として使われています。

IMG_4469.JPG

立派な門です。

犬山城の第一黒門でした。

明治9年に23円で徳林寺が購入しました。

IMG_4470.JPG

門扉です。

扉は新しく感じました。

IMG_4471.JPG

屋根の見上げです。

黒門は薬医門です。

IMG_4472.JPG

扉の壺金と肘金です。

城門にしては少し小さく感じました。

IMG_4473.JPG

門柱の下部です。

門の下にある横木を抜き取った跡があります。

礎石は新しそうです。

犬山城の移築城門 [移築城門]

犬山城の移築城門です。

IMG_4441.JPG

愛知県扶桑町の専修院にあります。

IMG_4447.JPG

裏から見た図です。

犬山城二の丸矢来門で、明治九年に移築されました。

IMG_4449.JPG

城の門に特有な高麗門という形式です。

扶桑町の指定文化財です。

IMG_4445.JPG

門扉です。

透かし扉になっています。

IMG_4451.JPG

屋根瓦です。

軒丸瓦です。

巴紋です。

巴の模様が3つとも異なります。

IMG_4458.JPG

門柱です。

城門らしく太いです。

IMG_4459.JPG

門の壺金と肘金です。

重厚です。

佐和山城の門 [移築城門]

佐和山城の城門が彦根市内の寺院に移築されています。

IMG_3675.JPG

宗安寺にあります。

大きな門です。

IMG_3676.JPG

彦根城の表門を移築したと伝えられます。

薬医門です。

IMG_3681.JPG

門の朱色が映えます。

赤門と呼ばれています。

IMG_3678.JPG

門の礎石です。





赤目城の城門 [移築城門]

赤目城の城門と伝えられる門が一心寺に移築されています。

赤目城と言っても、無名の城ですが、愛知県愛西市赤目にあった城です。

城の遺構はほとんどありません。

IMG_3326.JPG

一心寺は赤目城のすぐ近くにある寺です。

これがその城門です。

IMG_3327.JPG

内側からの写真です。

薬医門です。

IMG_3328.JPG

扉は新しくなっていました。

IMG_3329.JPG

束も寺院の門のように代えられていました。

IMG_3331.JPG

柱は城門らしくしっかりとした太い部材でした。



竹谷松平家大手門の移築門 [移築城門]

蒲形陣屋の移築城門です。

愛知県蒲郡市の蒲郡市博物館に移築されています。

IMG_3023.JPG

竹谷松平家の大手門です。

大手門らしい立派な高麗門です。

IMG_3024.JPG

説明です。

竹谷松平氏は蒲郡市竹谷町の竹谷城にいました。

竹谷松平氏は江戸時代には5000石の交代寄合の旗本として蒲形城に居を構えました。

蒲形陣屋と呼ばれます。

IMG_3026.JPG

後から見た大手門です。

高麗門なので、控え柱に扉をしまう屋根が付いています。

IMG_3025.JPG

扉です。

上部は透かし戸になっています。

門扉のほぞに書かれていた墨書から文化15年(1818)に建てられました。

明治初期に宝飯郡御津町の民家に移築されましたが、平成3年に現在地に移築されました。

IMG_3027.JPG

控え柱の屋根です。

木材は新しそうです。

老朽化により取り換えられたようです。

IMG_3028.JPG

屋根の軒丸瓦です。

巴紋です。

瓦は古そうです。


伏見城移築の唐門 [移築城門]

京都市東山区の豊国神社の唐門は伏見城から移築されたと伝えられています。

IMG_3172.JPG

確かに伏見城からの移築と聞いて納得する豪華さです。

全体に黒く感じますが、漆が塗られていたためです。

IMG_3174.JPG

国宝です。

伏見城遺構とされています。

元々は南禅寺塔頭金地院にあった門で、明治時代に豊国神社の再建にあたって金地院から移築されました。

この唐門は、以心崇伝が寛永4年に幕府から二条城の唐門を譲り受けたものと伝えられます。

二条城の前は伏見城にあったとも伝えられています。

伏見城の唐門と伝えられるものに、西本願寺の唐門があります。

また、大徳寺の唐門は聚楽第の唐門を移築したと伝えられます。

そもそも伏見城は、豊臣秀吉により文禄元年に指月山に築かれましたが、慶長地震により倒壊して、木幡山に再び築かれました。

その伏見城は関ケ原合戦で焼失して、江戸時代になってから徳川家康により再建されました。

元和5年(1619)に廃城となりました。

各地に伏見城の移築建物として残っているものは、秀吉の伏見城ではなく、徳川氏の伏見城の遺構のことが多いです。

広島県の福山城の伏見櫓もそのひとつです。

IMG_3162.JPG

豊国神社の唐門は豪華ですが、西本願寺の唐門と比較すると極彩色の塗装がありません。

IMG_3175.JPG

四脚門です。

IMG_3176.JPG

屋根は、前後唐破風造、側面入母屋です。

檜皮葺です。

IMG_3237.JPG

鶴の彫刻です。

当時は極彩色だったでしょうが、色が落ちています。

左甚五郎の作と伝えられています。

鶴の彫刻には目が入れられていません。

あまりに見事な出来栄えだったので、目を入れると飛んで逃げて行ってしまうため入れなかったと言われています。

IMG_3236.JPG

蟇股の彫刻です。

五七の桐紋が入っています。

IMG_3240.JPG

門扉の彫刻です。

鯉の滝登りです。

いわゆる登竜門を表しています。

IMG_3234.JPG

見事な門です。

旧志水家車寄 [移築城門]

旧志水家車寄が名古屋市西区児玉の民家に移築されています。

IMG_2575.JPG

現在は民家の門として利用されています。

ものすごく風格あります。

IMG_2581.JPG

名古屋城三の丸にあった志水甲斐守屋敷の玄関の車寄を移築したものです。

向唐破風のついた素木造りです。

IMG_2578.JPG

門扉です。

IMG_2580.JPG

彫刻もされています。

IMG_2577.JPG

蟇股です。

IMG_2582.JPG

移築されているOさん宅はかなりの豪邸です。

敷地面積もかなり広いです。

また、同家には名古屋城二の丸御殿の茶室風信亭も移築されています。

風信亭は木造で、屋根は桟瓦葺、庇は桧皮葺、平屋建、数寄屋造です。

こちらは非公開です。

IMG_2586.JPG

屋根です。

鬼瓦もすごいです。

伏見城の移築門 [移築城門]

京都市上京区上御霊前通烏丸東入の御霊神社の四脚門は、伏見城の門を移築したと伝えられます。

IMG_2483.JPG

見た感じでは、寺社の楼門で、城の門には見えません。

城内にあった神社の門を移築したのかもしれません。

もしくは、伏見城の門の部材を利用したのかも知れません。

伏見城の移築門と伝えられる建物はかなり多くあります。

そういった伝承自体も大切に伝えたいですね。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。