妙雲寺 [寺院]
妙雲寺は井伊氏ゆかりの寺院です。
浜松市北区引佐町神宮寺町にあります。
山門です。
浩徳山妙雲寺です。
井伊直虎と南渓和尚のゆかりの寺です。
本堂です。
今までは訪ねる人もいないひっそりとして寺院でしたが、今回の直虎ブームでずいぶんにぎやかになりました。
新しい看板も設置されました。
臨済宗妙心寺派の寺院で、かつては自耕庵と呼ばれていました。
妙雲寺の名は次郎法師の法名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」によります。
こちらの看板も新しそうです。
本堂には直虎と南渓和尚の位牌と南渓和尚の肖像画があります。
拝観は無料です。
ボランティアの人が常駐して案内してくれます。
妙雲寺の付近は神宮寺町といいます。
かつては神宮寺があり、神宮寺遺跡がありました。
妙雲寺の北方に100mほどにある井伊直虎の墓です。
近年、覆い屋根が作られました。
直虎の墓です。
宝篋印塔ですが、墓石の一部は失われています。
浜松市北区引佐町神宮寺町にあります。
山門です。
浩徳山妙雲寺です。
井伊直虎と南渓和尚のゆかりの寺です。
本堂です。
今までは訪ねる人もいないひっそりとして寺院でしたが、今回の直虎ブームでずいぶんにぎやかになりました。
新しい看板も設置されました。
臨済宗妙心寺派の寺院で、かつては自耕庵と呼ばれていました。
妙雲寺の名は次郎法師の法名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」によります。
こちらの看板も新しそうです。
本堂には直虎と南渓和尚の位牌と南渓和尚の肖像画があります。
拝観は無料です。
ボランティアの人が常駐して案内してくれます。
妙雲寺の付近は神宮寺町といいます。
かつては神宮寺があり、神宮寺遺跡がありました。
妙雲寺の北方に100mほどにある井伊直虎の墓です。
近年、覆い屋根が作られました。
直虎の墓です。
宝篋印塔ですが、墓石の一部は失われています。
河野善龍寺 [寺院]
法蓮寺 [寺院]
蛸薬師 [寺院]
今年の初詣の最後は蛸薬師に参拝しました。
蛸薬師の入り口です。
蛸薬師は、京都市中京区新京極通蛸薬師下ル東側町503にあります。
新京極の中にあります。
蛸薬師は正式には永福寺です。
蛸薬師は浄瑠璃山永福寺といい、本堂に蛸薬師と呼ばれる薬師如来の石像を安置しています。
昔、二条室町にあったころに近くに池があり、水上薬師又は澤薬師と呼ばれ、それが訛って蛸薬師と呼ばれるようになったと言われます。
また、善光という僧侶が戒律に背いて病気の母のため蛸を買って帰るところを視咎められ、薬師如来に念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経に変わり難を逃れたという。
その後母は薬も飲まず病気が全快したため、本尊の霊験として、本尊の薬師如来を蛸薬師と呼ばれ、病気平癒の祈願の人で賑わうようになりました。
薬師如来です。
蛸薬師如来の旗が並ぶ参道です。
蛸薬師の絵馬でする
京極稲荷です。
願掛けの狐です。
祈願を書いて奉納します。
三社稲荷にお供えする油揚げです。
蛸薬師の入り口です。
蛸薬師は、京都市中京区新京極通蛸薬師下ル東側町503にあります。
新京極の中にあります。
蛸薬師は正式には永福寺です。
蛸薬師は浄瑠璃山永福寺といい、本堂に蛸薬師と呼ばれる薬師如来の石像を安置しています。
昔、二条室町にあったころに近くに池があり、水上薬師又は澤薬師と呼ばれ、それが訛って蛸薬師と呼ばれるようになったと言われます。
また、善光という僧侶が戒律に背いて病気の母のため蛸を買って帰るところを視咎められ、薬師如来に念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経に変わり難を逃れたという。
その後母は薬も飲まず病気が全快したため、本尊の霊験として、本尊の薬師如来を蛸薬師と呼ばれ、病気平癒の祈願の人で賑わうようになりました。
薬師如来です。
蛸薬師如来の旗が並ぶ参道です。
蛸薬師の絵馬でする
京極稲荷です。
願掛けの狐です。
祈願を書いて奉納します。
三社稲荷にお供えする油揚げです。
誓願寺 [寺院]
京都市中京区寺町にある誓願寺です。
門は鉄筋コンクリート造りです。
誓願寺は天智天皇の勅願により創建された古刹です。
もとは奈良にあったけど、鎌倉初期に京都一条小川に移転して、天正19年に豊臣秀吉の命により現在地に移転した。
当時は大伽藍で境内は6,500坪で、18もの山内寺院がありました。
清少納言、和泉式部、松の丸殿(秀吉の側室)が帰依したことにより女人往生の寺としても名高い。
現在は浄土宗西山深草派の総本山です。
本堂です。
広大な境内を誇った誓願寺ですが、明治時代に新京極を作るために、4800坪の土地を失い、度重なる火事で多くの堂宇を失いました。
現在の本堂は昭和39年に鉄筋コンクリート造りで建てられました。
門は鉄筋コンクリート造りです。
誓願寺は天智天皇の勅願により創建された古刹です。
もとは奈良にあったけど、鎌倉初期に京都一条小川に移転して、天正19年に豊臣秀吉の命により現在地に移転した。
当時は大伽藍で境内は6,500坪で、18もの山内寺院がありました。
清少納言、和泉式部、松の丸殿(秀吉の側室)が帰依したことにより女人往生の寺としても名高い。
現在は浄土宗西山深草派の総本山です。
本堂です。
広大な境内を誇った誓願寺ですが、明治時代に新京極を作るために、4800坪の土地を失い、度重なる火事で多くの堂宇を失いました。
現在の本堂は昭和39年に鉄筋コンクリート造りで建てられました。
花岳寺 [寺院]
花岳寺は赤穂市にあります。
花岳寺の本堂です。
花岳寺は曹洞宗の寺院です。
座禅堂です。
花岳寺は浅野家の菩提寺として有名ですが、実は浅野家が改易以降に赤穂城に入った永井家、森家の菩提寺でもあります。
しかし、そのことはほとんど触れられることはなく、浅野家及び赤穂浪士の墓所として扱われています。
境内にある鳴らずの鐘です。
赤穂浪士46人が切腹をしたことが、赤穂に届くと町民は46士の死を悼み、この鐘を衝きまくりました。
爾来音韻を失すること50年と寛政9年再改鋳の銘に記されています。
本堂です。
奥に浅野家や森家の墓や46士の墓もあります。
本堂の天井画の虎です。
元は端午の節句の幟として描かれたものです。
安政五年に描かれました。
偶然ですが、浅野内匠頭の敵役吉良上野介の領地の西尾市吉良町にも吉良氏ゆかりの花岳寺という同じ名前の寺院があります。
なにか因縁を感じます。
花岳寺の本堂です。
花岳寺は曹洞宗の寺院です。
座禅堂です。
花岳寺は浅野家の菩提寺として有名ですが、実は浅野家が改易以降に赤穂城に入った永井家、森家の菩提寺でもあります。
しかし、そのことはほとんど触れられることはなく、浅野家及び赤穂浪士の墓所として扱われています。
境内にある鳴らずの鐘です。
赤穂浪士46人が切腹をしたことが、赤穂に届くと町民は46士の死を悼み、この鐘を衝きまくりました。
爾来音韻を失すること50年と寛政9年再改鋳の銘に記されています。
本堂です。
奥に浅野家や森家の墓や46士の墓もあります。
本堂の天井画の虎です。
元は端午の節句の幟として描かれたものです。
安政五年に描かれました。
偶然ですが、浅野内匠頭の敵役吉良上野介の領地の西尾市吉良町にも吉良氏ゆかりの花岳寺という同じ名前の寺院があります。
なにか因縁を感じます。
大須観音 [寺院]
四天王寺 [寺院]
四天王寺です。
大阪市天王寺区にあります。
聖徳太子建立の七大寺の一つと言われます。
和宗の総本山です。
中門と五重塔です。
四天王寺は昭和9年の室戸台風と昭和20年の大阪空襲で焼失してしまいました。
五重塔です。
四天王寺の伽藍は昭和38年までに鉄筋コンクリートで再建されたものです。
遠くで見るとよいですが、近くで見るとコンクリート造りでがっかりします。
霊苑です。
講堂です。
修理中でした。
四天王寺はコンクリート造りですが、飛鳥様式で建てられています。
四天王寺は寺院ですが、大きな石鳥居があります。
神仏習合時代の名残です。
奥は西大門です。
石碑には大日本佛法最初四天王寺と書かれています。
西大門は極楽門とも言われ、極楽浄土につながるとして石鳥居を潜って参拝する人も多いようです。
大阪市天王寺区にあります。
聖徳太子建立の七大寺の一つと言われます。
和宗の総本山です。
中門と五重塔です。
四天王寺は昭和9年の室戸台風と昭和20年の大阪空襲で焼失してしまいました。
五重塔です。
四天王寺の伽藍は昭和38年までに鉄筋コンクリートで再建されたものです。
遠くで見るとよいですが、近くで見るとコンクリート造りでがっかりします。
霊苑です。
講堂です。
修理中でした。
四天王寺はコンクリート造りですが、飛鳥様式で建てられています。
四天王寺は寺院ですが、大きな石鳥居があります。
神仏習合時代の名残です。
奥は西大門です。
石碑には大日本佛法最初四天王寺と書かれています。
西大門は極楽門とも言われ、極楽浄土につながるとして石鳥居を潜って参拝する人も多いようです。
一心寺 [寺院]
一心寺は大阪市天王寺区にあります。
本堂です。
浄土宗の寺院です。
大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓です。
本多忠朝は本多忠勝の次男ですが、大坂冬の陣では酒を飲んでいたため敗退して家康の叱責されました。
夏の陣ではその名誉を挽回するため奮戦して、戦死しました。
死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、「酒封じの神」とされています。
山門と仁王像です。
戦災で大坂城の三の丸玉造門を移築した山門などは焼失してしまいました。
戦後、建築家の高木恭行によるコンクリートと鉄の山門と彫刻家神戸峰男氏作の阿形像・吽形像が建てられました。
お寺にしてはあまりに斬新で驚きました。
美術館みたいです。
一心寺の遠景です。
大きな寺院です。
背後のビルはあべのハルカスです。
本堂です。
浄土宗の寺院です。
大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓です。
本多忠朝は本多忠勝の次男ですが、大坂冬の陣では酒を飲んでいたため敗退して家康の叱責されました。
夏の陣ではその名誉を挽回するため奮戦して、戦死しました。
死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、「酒封じの神」とされています。
山門と仁王像です。
戦災で大坂城の三の丸玉造門を移築した山門などは焼失してしまいました。
戦後、建築家の高木恭行によるコンクリートと鉄の山門と彫刻家神戸峰男氏作の阿形像・吽形像が建てられました。
お寺にしてはあまりに斬新で驚きました。
美術館みたいです。
一心寺の遠景です。
大きな寺院です。
背後のビルはあべのハルカスです。