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善光寺南沢古墳発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

発掘調査現地説明会に行って来ました。

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お城ではなく古墳です。

愛知県西尾市吉良町岡山の善光寺沢南古墳です。

この古墳は円墳かと思われていましたが、発掘調査の結果方墳であったことがわかりました。

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測量と発掘の成果です。

発掘は地形確認のためなので、石室は掘っていません。

この古墳は4世紀ころの古墳です。

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説明資料の墳丘の測量図です。

確かに方墳に見えます。

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発掘調査で見つかった埴輪です。

壺形埴輪です。

埴輪が古墳の裾などに並んでいたかは不明です。

岡崎城の発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

岡崎城の発掘調査現地説明会です。

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菅生川端の石垣です。

堤防に埋まっていましたが、5メートル以上の高さの石垣が見つかりました。

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岡崎城の絵図です。

矢印が現場です。

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現場の拡大図です。

矢印のところです。

石垣が400mにわたり築かれていたのは日本一だそうです。

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説明会には広島大学の三浦正幸教授が説明を行ったためか、2000人の市民が見学に訪れました。

やはりお城関係は人気です。

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きれいに掃除をして検出した石垣です。

3ケ所の四角い突出部の横矢桝形が築かれていました。

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掘っていない場所の石垣です。

ほとんど埋まっています。




諏訪原城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

静岡県島田市にある諏訪原城の発掘調査現地説明会に行ってきました。

諏訪原城は天正元年に武田勝頼によって築城されました。

その後天正3年に徳川家康により攻め落とされ、牧野城と改名されました。

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諏訪原城の図です。

二の丸の前に5つの丸馬出があることで有名です。

今年は一番東の馬出、二の丸東馬出の発掘調査です。

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馬出内部から礎石が見つかりました。

礎石は2つで、間隔は1.6mでした。

内側の礎石は飛んでいましたが、おそらく門の大きさは1間程度です。

礎石からは藥医門と推定されます。

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堀底のトレンチです。

堀は薬研堀でした。

かなり埋まっていました。

深さは7.5mでした。

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説明会の様子です。

学芸員のHさんが説明していました。

島田市の学芸員さんも女性です。

大勢の見学者がいました。

遠くは大阪や東京都、栃木県来ていました。

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東馬出内の土層です。

二時期が確認されました。

下層が武田氏時代、上が徳川氏です。

考古学的に見ると、馬出は徳川氏によって改修されたことがわかります。

他に鉄砲の弾が多く見つかっています。

ここが激戦地だったことがわかります。

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二の丸東内馬出です。

ここもシートがかけられていて発掘されたことがわかりますが、特に説明はありませんでした。

諏訪原城の発掘調査は今年で終了して、来年からは報告書の作成や整備にとりかかるそうです。


桜井城の発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

桜井城は愛知県安城市桜井町にある中世城郭です。

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発掘現場です。

堀のようになっているのは、雨のため水たまりになったものです。

堀ではありません。

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現場です。

井戸や土孔や溝が出ていました。

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現場の位置です。

赤い部分です。

城跡そのものではなく、隣接する場所です。

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現場の向こうに見える林が桜井城跡です。

現場からは、井戸跡が7基検出されました。

井戸の中からは遺物が見つかっています。

遺物の年代からは戦国期に使われていたことがわかりました。

この場所が居住地域というよりも、生産拠点であったという説明でした。

小牧山城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

愛知県小牧市の小牧山城で発掘調査現地説明会に行って来ました。

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発掘現場です。

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小牧山城は、永禄5年に織田信長が美濃攻めのに際して築城しました。

永禄10年に稲葉山城を攻め落とした後は、美濃に移り岐阜城と改名しました。

その後は小牧山城は廃城になりました。

天正12年の小牧長久手合戦では、徳川家康の本陣となりました。

小牧山城は信長関係の城と言うことで、見学者はとても多かったです。

400人くらいは来ていました。

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説明をする小牧市教育委員会のO女史です。

女性の学芸員さんは最近多いですね。

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発掘調査の資料です。

今回は主郭の虎口を発掘しました。

主郭は古絵図には2つの虎口が描かれていましたが、発掘調査で2つ見つかりました。

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大手の虎口です。

石垣の裏込め石です。

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大手虎口の枡形です。

絵図では桝形に入ると左に曲がるように描かれていましたが、掘ってみると右に曲がっていることがわかりました。

虎口の上には、天正期に家康によって盛り土されていました。

発掘前には完全に埋められていてわかりませんでした。

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永禄期の地表面です。

永禄期は織田信長が小牧山城を築いたときです。

かなり盛り土をされていたことがわかります。

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搦め手の虎口です。

石垣が出ていました。

半分しか掘っていないので、片方の石垣は未検出です。

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礎石です。

搦め手門の礎石と思われます。

門がここにあったことがわかります。

礎石は一つしか見つかっていないので、門の種類はわかりません。

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搦め手口には側溝があったようです。

石垣は崩れています。

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搦め手口の下の石垣です。

石垣は下段だけで、上は崩れていました。

小牧山城の発掘調査は今後も続けられるようです。









岡崎城東曲輪発掘調査 [発掘調査現地説明会]

岡崎城東曲輪発掘調査です。

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数年前に復元された東曲輪の櫓の北を発掘しました。

東櫓の北になります。

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説明会のお知らせ

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全景はこんな感じ。

調査面積としてはそれほど広くはありません。

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石垣(奥)と石段(左下)が見つかりました。

かつては菅生曲輪から切り通しを上がり東曲輪に上る道がありました。

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調査区付近の岡崎城の絵図です。

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そのアップです。

中央の二重櫓が初めの写真の東櫓です。

その上の黒く囲ってある部分が調査区です。

絵図にも道が書かれています。

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石垣がきれいに出ていました。

江戸期の遺構の他に、それ以前の柱穴も見つかったそぅてす。

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下から見上げた東櫓。

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菅生曲輪からの切り通しです。

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切り通しの石垣。

今は塞がれていますが、かつてはこの部分から今回発掘された東曲輪に上がる通路がありました。

子細に見ると石垣の積み方が変わっています。
真ん中あたりから新しいので、この部分から積みなおされたのでしょう。

伏見城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

伏見城発掘調査現地説明会の様子です。

平成27年6月20日に開催された説明会です。

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伏見城といっても、現在、模擬天守がある伏見城ではなく、指月城とよばれる伏見城です。

1592年に豊臣秀吉が隠居城として築城しましたか、4年後の地震で倒壊して廃城となりました。

マンションの建設計画により発掘調査をしたところ、堀と石垣が見つかりました。

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石垣です。

穴太積と言われる自然石を積み上げた工法です。

残っていたのは2.3段です。

先日見つかった京都の聚楽第の石垣と似ているといわれますが、伏見城のほうが石は小さいです。

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石垣の手前は堀です。

深さは2mほど、幅は7mと小さいです。

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多くの瓦も出土しました。

金箔瓦です。

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いろいろな種類の瓦が出ていました。

金箔が今も瓦に残っています。

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桐紋の瓦です。

指月城は秀吉の城らしく、隠居城と言っても豪華な城だったようです。



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