安土御膳 [歴史雑話]

近江八幡市安土町の信長の館には安土御膳が展示されています。

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安土御膳は本能寺の変の直前、安土に来た徳川家康を織田信長がもてなした食事です。

当時の献立が残されていて、それを再現しています。

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今の献立と遜色ありません。

豪華ですね。

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1の膳から5の膳まで出されて、菓子もあったそうです。

当然お酒もありました。

次々と料理が運ばれてきたらしく、こんなにも食べれませんね。

西尾市岩瀬文庫に皇太子殿下がお見えになりました。 [歴史雑話]

8月7日、西尾市岩瀬文庫に皇太子殿下の行啓がありました。

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皇太子殿下は後奈良天皇の宸翰般若心経をご覧になりました。

紫地に金泥で書かれていて、とても美しいものです。

9月4日まで岩瀬文庫で展示されています。

皇太子殿下がご覧になったものを見ることができます。

後奈良天皇は戦国時代の天皇で疫病の流行に心を痛めて諸国の平安のために奉納したものです。



西尾市岩瀬文庫

愛知県西尾市亀沢町460

0563-56-2459

岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告 その6 [歴史雑話]

西尾市岩瀬文庫企画展の続きです。

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謎の美女は吉良家の奥方?

西尾市吉良町の華蔵寺は吉良上野介義央の菩提寺です。

近年、華蔵寺から見つかった謎の肖像画です。

禅定尼像です。

吉良氏関係の女性と思われますが、誰か不明です。

吉良氏は足利氏に連なる名族でしたが、戦国時代には徳川氏と争い、没落します。

その吉良氏を再興したのが義定です。

肖像画の女性は、その義定の母(俊継尼)か妻梅松院(今川氏真娘)かと言われています。

俊継尼は徳川家康の父広忠の姉妹です。

梅松院は、今川氏真の娘です。

今川氏真は今川義元の息子です。

どちらにしてもなかなかの女性ですが、決め手はありません。

岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告 その5 [歴史雑話]

岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告の続きです。

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後奈良天皇宸翰の般若心経です。

後奈良天皇宸翰の般若心経は岩瀬弥助が京都の古書店から購入したものです。

紺色の紙に金字で書かれています。
三河の一宮の砥鹿社に収められたものでしょうか。

後奈良天皇は疫病の流行に心を痛めて諸国への般若心経の奉納を思い立ちました。
奉納の際は諸国の領主への関与を求めていて、地方の大名から朝廷への献金の契機とされたという説が末柄豊教授から発表されています。

後奈良天皇はいますが、実は奈良天皇という天皇はいませんでした。

後醍醐天皇は醍醐天皇の治世を理想として、醍醐天皇の名をもらい後醍醐天皇と名乗りましたので、後〇〇天皇は、〇〇天皇がいたように思っていたけど、そうではなかったのですね。

後奈良天皇の奈良というのは平城天皇のことだったそうです。

平城天皇の別名が奈良だったようです。

ところで、8月7日に西尾市岩瀬文庫に皇太子殿下の行啓があり、三河新報によるとこの後奈良天皇の宸翰をご覧になるそうです。

岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告 その4 [歴史雑話]

岩瀬文庫企画展の続きです。

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御剣八幡宮の鰐口です。

永禄7年(1564)に西尾城主となった酒井正家が奉納しました。

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従来は「西尾」の名の由来はこの鰐口に書かれた西尾の字により永禄7年に西尾城主となった酒井氏により西条城から西尾城になったとされていました。

ところが、年不詳10月23日付けの今川義元に「西尾城」の文字があり、この文書は義元から荒川某に宛てたもので、内容から弘治元年(1555)と推定されるので、西尾の始まりが10年遡った。



岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告 その3 [歴史雑話]

岩瀬文庫企画展の続きです。

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寺部城の測量図です。

寺部城は西尾市寺部町にあった中世城郭です。

小笠原氏の居城と言われていて、市の指定史跡です。

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浅野文庫諸国古城之図の寺部城絵図です。

測量の結果、絵図とよく地形が合うことが判明しました。

説明です。

寺部城の防御の要は急勾配の切岸にあり。
主郭の北は逆L字の土塁が見られる。寺部城の特徴の主郭東の大堀切は、主郭土塁までの切岸の比高を形成するために普請された。浅野文庫絵図と形状が一致する。

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説明文です。


岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告展 その2 [歴史雑話]

岩瀬文庫特別展の続きです。

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中之郷古墳(西尾市寺部町)出土の形象埴輪です。

以下は説明です。

石見型埴輪は奈良県石見遺跡出土品を標識遺物として命名された形象埴輪で、円筒部の左右に年度板を貼りつけて盾のような形をしている。

石見型埴輪は古墳時代後期に近畿地方を中心に盛行し、権威の象徴として用いられた儀仗を模した埴輪とされる。

中之郷古墳の石見型埴輪は古墳時代中期後半のもので、大阪地域以外ではほとんど類例がない遺物である。

当時の古墳時代の主は三河湾の海上交通を押さえ、中央政権と特別な関係を有していたと考えられる。


岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告展 [歴史雑話]

愛知県西尾市にある岩瀬文庫企画展西尾市史中間報告展に行って来ました。

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西尾市では新編西尾市史を編さん中です。

第1巻は平成30年度に発刊予定だそうです。

その中間報告です。

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天竺神社の綿壺

以下説明の概略

崑崙人漂着伝説は史実である。
 
西尾市天竹町の天竹神社は綿祖神を祀っている。
崑崙人が小舟で漂着してこの男がもたらした綿の実が日本各地で広まったという伝説がある。
しかし、『日本後紀』の延暦18年7月是月条に記されている。同条には異国人が漂着した場合の報告規定(養老公式令 遠方殊俗条)が書かれているので、疑いのない史実である。


ところで、8月7日(日)に西尾市岩瀬文庫に皇太子殿下の行啓があるそうです。

皇太子殿下がご覧になるものが見学できるかも。

殿下がお越しになるほど岩瀬文庫は貴重な資料がある博物館なのですね。


西尾市岩瀬文庫
愛知県西尾市亀沢町480
℡0563-56-2459

草津本陣 その2 [歴史雑話]

草津本陣の続きです。

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広間の床の間です。

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雪隠です。

男子トイレです。

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大用のトイレです。

畳敷です。

結構広いです。

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お風呂です。

殿様専用です。

五右衛門風呂ではなくて、沸かしたお湯を入れる風呂です。

風呂場が広いのは、外敵から身を守るためです。

槍などが外から届かないように部屋の中央に風呂桶が置かれています。

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茶室です。

壁は赤いです。

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台所です。

かまどです。

五連式なので、一度に30人分の用意ができます。

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当時の料理の例です。

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今とあまり変わりません。

(終)

草津本陣 [歴史雑話]

草津宿は東海道五十三次の52番目の宿場です。

草津温泉とは別です。

滋賀県草津市にあります。

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草津本陣です。

宿場町の雰囲気が漂います。

背後のマンションが邪魔ですが。

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本陣入り口の門です。

本陣とは、参勤交代の大名などが止まった宿です。

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玄関です。

江戸時代の本陣がそのまま残っています。

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玄関を入ると大きな床の間があります。

床の間には江戸時代の大名の名が書かれた札が展示されています。

毛利家、細川家、今川家、近衛家などの名があります。

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上段棟に通じる畳廊下です。

広い廊下で、ここで泊まることもできました。

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広間です。

三間続きです。

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上段之間です。

殿さまの宿泊所です。

一段高くなっていて、御簾があります。

天井は格天井です。

(続く)

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