宗良親王墓 [歴史雑話]

浜松市北区引佐町井伊谷にある宗良親王墓です。

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宮内庁の看板です。

宗良親王は後醍醐天皇の皇子で、南北朝時代に南朝方として井伊谷を拠点に活躍しました。

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井伊谷宮の裏にあります。

宗良親王の墓は明治維新後に作られました。

彦根藩最後の藩主井伊直憲が宗良親王を祭神とする井伊谷宮と親王の墓の創建を願い出て、すべて井伊家の負担で建てられました。

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宗良親王の肖像画です。

大河ドラマ「おんな城主直虎」ダイジェスト展 [歴史雑話]

大河ドラマ「おんな城主直虎」ダイジェスト展を名古屋鉄道の鳴海駅のコンコースで開催しています。

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「おんな城主直虎」は静岡県浜松市が舞台ですが、関係する地域でも便乗PRに必死です。

「真田丸」は上田市をはじめ沼田市、大阪市、和歌山など全国に広がっていますが、井伊直虎はほとんど舞台が静岡県内に収斂しています。

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主演の柴咲コウらのパネルです。

展示はパネルが中心ですが、出演者のサイン、鼓や笛などの小道具も展示されています。

鳴海駅で開催されたのは、第9回で放送される「桶狭間に死す」の近くだからです。

鳴海駅の近くには鳴海城跡や善照寺砦跡があります。

このダイジェスト展は、2月からは豊明市役所で開催されます。

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観覧無料です。

近くの人は訪ねてみてはいかがでしょうか。

西尾市岩瀬文庫企画展「火事―火事と日本人のかかわり1000年」 [歴史雑話]

西尾市岩瀬文庫で企画展「火事―火事と日本人のかかわり1000年」が始まりました。

岩瀬文庫の企画展のあいさつです。

建物に木材を多用してきた日本の人々にとって、火事は常に身近な存在でした。

現在の私達は、火事にいつもおびえる生活をしているわけではありません。

しかし、いつの時代もそうであったのではなく、現在にいたるまでには、多くの人々の努力や犠牲、苦労がありました。

本企画展では、そのような火事と日本人とのかかわりを、平安時代から明治時代までの、およそ1000年間の歴史をおってみていきます。

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期間は、2016年11月12日(土)~1月29日(日)です。

西尾市岩瀬文庫
〒445-0847 
愛知県西尾市亀沢町480
℡0563-56-2459

西尾市消防本部との共催です。

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お城関係の史料としては、江戸城大手門の火事の際の火消しの配置図がありました。

大手門の形はいいですが、三の丸の堀の形が省略されています。

真田幸村戦死の地 [歴史雑話]

大阪市天王寺区にある安居神社です。

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入口です。

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真田幸村戦死の地の碑が建ちます。

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真田幸村戦没地の碑です。

元和元年5月7日戦死です。

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説明板です。

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真田幸村はこの松の下で戦死しました。

今は碑と像が建てられています。

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真田幸村像です。

真田幸村は夏の陣の戦いで疲労困憊していて安居神社にいたころには座り込んでいたそうです。

その疲れた姿を表したものです。

越前の松平忠直軍の家臣の西尾宗次に討たれました。

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さなだ松です。

初代は枯れたので二代目です。

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安居神社の本殿です。

祭神は少彦名神と菅原道真です。

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安居神社の絵馬です。

万治の石仏 [歴史雑話]

万治の石仏です。

諏訪大社下社春宮から歩いてすぐのところにあります。

長野県下諏訪町字石仏にあります。

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ずっと以前から一度来たかった。

大きな自然石の上に頭を載せたそのユーモラスな姿は必見です。

癒されます。

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万治の石仏は、諏訪大社下社春宮の石鳥居を作るときにこの石を材料にしようとノミを入れたら傷口から血が流れ出たので、恐れて仕事を止めました。

その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石があると告げられ、鳥居が完成しました。

石工はこの石に阿弥陀如来を祀って記念としました。

万治とは年号で万治3年(1660)11月1日に作られました。

願主名誉浄光心誉廣春

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後からみたところです。

自然石の様子がよくわかります。

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遠くから見るとこんな感じです。

田の中にあります。

岡本太郎も絶賛しています。

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旗が建てられています。

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参拝の仕方です。

正面で一礼、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる

石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する

正面に戻り「よろずおさめました」と唱えて一礼する

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諏訪大社下社にお参りしたら是非一緒に訪ねたいところです。

神長官守矢史料館 [歴史雑話]

長野県茅野市の神長官守矢史料館に行って来ました。

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入り口です。

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薬医門です。

守矢家の門です。

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史料館の外観です。

特徴的な外観です。

神長官守矢史料館は鎌倉時代より守矢家で伝えてきた文書を保管・公開する史料館です。

守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官」を明治時代まで勤めてきた家柄です。

守矢史料館は守矢家の敷地内に建っています。

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諏訪神社上社において、御柱祭と並んで重要な祭礼である「御頭祭」の復元展示をしています。

ウサギの串刺しの捧げものです。

右は焼皮、左は荒布です。

江戸時代の菅江真澄のスケッチによる再現です。

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諏訪大社への捧げものの鹿や猪です。

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捧げものの鹿の中に耳の欠けた鹿が必ずいました。

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鯉です。

武田信玄などの文書も展示していますが、撮影禁止でした。

信玄塚 [歴史雑話]

武田信玄は三河を攻めている途中に発病して、甲斐に帰る途中の元亀4年4月12日に死去しました。

信玄の死は極秘にされたため、実際に死去した場所はよくわかっていません。

一般的には小山田信茂宛御宿堅物書状写による長野県の駒場説が有力ですが、他に浪合説、根羽説などがあります。

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その有力な説の一つが長野県根羽村です。

現在は信玄塚があります。

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これが信玄塚です。

かなり立派な宝篋印塔です。

こんな山間の地にはめったにありません。

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今は神社となっています。

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説明です。

『甲陽軍鑑』にはねばねの上村で他界とあります。

また、その時に風林火山の旗を横にしたためこの地を横旗といいます。

江戸時代の寛文年間に信玄百回忌に際して供養のためこの宝篋印塔を建てました。

そして、横旗、砦、中野の3つの部落の人により武田神社として祀られました。

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国道の法面に武田軍の絵が描かれています。

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今は立派な国道ですが、かつては細い道でした。

ここから険しい峠を越えて信州につながります。

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信玄塚から信州の山塊を望む。

中央の集落が横旗です。

本当に山中であることがわかります。

信玄もさぞ無念だったでしょう。

飛鳥資料館の石像 [歴史雑話]

奈良県明日香村の飛鳥資料館にはさまざまな石像が展示されています。

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亀石です。

なんとも大きな亀です。

寺領の境界石、陵墓の亀趺、冥界との結界石など説がありますが、真相は不明です。

ただし、これはレプリカです。

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二人の抱き合う石人像です。

口から水を吹いています。

石神遺跡からの出土です。

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これまた不思議な形の石像です。

同じく石上遺跡からのものです。

須弥山をかたどったものと言われます。

これも基部から水が出ています。

いろいろ説はありますが、庭園の噴水施設と言われています。

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岡の酒船石です。

石の上にくぼみとそれをつなぐ溝があります。

酒を造る設備ともいわれますが、庭園の噴水の施設の一部とも考えられています。

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飛鳥資料館の庭園にはこのように石像が配置されています。

レプリカですが、本物は散在しているので、一か所で見られるのはよいです。

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資料館の中にあるキトラ古墳の石室です。

石像は他に鬼のまな板と言われるものもあります。

これは古墳の石室を作りかけのものと言われています。

飛鳥地方は本当に面白いです。

伝飛鳥板蓋宮跡 [歴史雑話]

伝飛鳥板蓋宮跡です。

明日香村は至る所遺跡だらけです。

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7世紀に皇極天皇が営んだ都です。

一般には飛鳥板蓋宮と呼称されています。

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石敷の遺構です。

1959年からの発掘調査によって、多くの掘立柱建物、石組溝、石敷遺構などが検出されました。

この板蓋宮は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺して、大化改新を断行した歴史的な場所でもあります。

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田の中に遺跡が埋もれています。

この付近は、複合遺跡で、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮の跡地です。


藤原京 [歴史雑話]

藤原京跡です。

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藤原京は奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都城です。

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大極殿の跡です。

広大な敷地です。

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大極殿跡に建つ石碑です。

持統天皇文武天皇藤原京跡と刻まれています。

藤原京は持統天皇が690年に着工して飛鳥浄御原宮から遷都しました。

持統天皇・文武天皇・元明天皇の三代の天皇の都城でした。

その後710年に平城京に遷都されました。

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大極殿院閣門の跡です。

大極殿院と朝堂院を区切る門です。

柱列を復元しています。

かなり太い柱で大きな門であったことがわかります。

遺構の保護のため実際の門より南に30mの位置に再現されました。

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模型の写真です。

30m×15mの規模でした。

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柱本当に太いです。

遠くに見える形のいい山は大和三山の一つ畝傍山です。

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本当に広大な敷地です。

特別史跡のため空き地になっています。

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