彦根城 その3 [お城踏査]
彦根城の続きです。
馬屋です。
佐和山口の内側にあります。
重要文化財です。
L字型をしています。
東端には12畳の小部屋があり、西端には門があります。
内部は馬立場と馬繋ぎ場になっています。
21頭の馬を収容することができます。
ここは藩主などの馬を飼っていました。
馬屋は屋根の修復中で中には入れませんでした。
以前に行った時には、等身大の馬の模型がありました。
近世城郭で大規模な馬屋の残っているものは彦根城だけです。
内堀です。
土居が上下の石垣で挟まれているために鉢巻石垣と呼ばれています。
御殿にかかる橋です。
この橋から城内に入ります。
表門です。
この奥に櫓門がありました。
表門の左手にある竪堀と竪石垣です。
見過ごしがちですが、彦根城には竪石垣が5ケ所あります。
彦根城は小高い山にあるので、竪石垣により山頂の曲輪と山麓の曲輪を結ぶものです。
この表門の石垣の奥が表御殿です。
彦根城の絵図です。
表御殿の玄関です。
復元されたものです。
彦根城と言えばひこにゃんです。
表御殿で出迎えてくれました。
しぐさがかわいい。
ひこにゃんは猫です。
猫と彦根城の関係はなにでしょうか。
彦根城の城主は井伊氏です。
彦根藩二代藩主の井伊直孝を猫が豪徳寺(東京都世田谷区)の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられます。
この"招き猫”は豪徳寺では有名です。
この招き猫と井伊氏の赤備えを組み合わせたのがひこにゃんです。
(続く)
馬屋です。
佐和山口の内側にあります。
重要文化財です。
L字型をしています。
東端には12畳の小部屋があり、西端には門があります。
内部は馬立場と馬繋ぎ場になっています。
21頭の馬を収容することができます。
ここは藩主などの馬を飼っていました。
馬屋は屋根の修復中で中には入れませんでした。
以前に行った時には、等身大の馬の模型がありました。
近世城郭で大規模な馬屋の残っているものは彦根城だけです。
内堀です。
土居が上下の石垣で挟まれているために鉢巻石垣と呼ばれています。
御殿にかかる橋です。
この橋から城内に入ります。
表門です。
この奥に櫓門がありました。
表門の左手にある竪堀と竪石垣です。
見過ごしがちですが、彦根城には竪石垣が5ケ所あります。
彦根城は小高い山にあるので、竪石垣により山頂の曲輪と山麓の曲輪を結ぶものです。
この表門の石垣の奥が表御殿です。
彦根城の絵図です。
表御殿の玄関です。
復元されたものです。
彦根城と言えばひこにゃんです。
表御殿で出迎えてくれました。
しぐさがかわいい。
ひこにゃんは猫です。
猫と彦根城の関係はなにでしょうか。
彦根城の城主は井伊氏です。
彦根藩二代藩主の井伊直孝を猫が豪徳寺(東京都世田谷区)の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられます。
この"招き猫”は豪徳寺では有名です。
この招き猫と井伊氏の赤備えを組み合わせたのがひこにゃんです。
(続く)
彦根城 その2 [お城踏査]
彦根城佐和山口多聞櫓の続きです。
佐和山口多聞櫓は彦根城築城時に建てられたと思われますが、明和4年(1767)の火事で焼失してしまいましたが、明和6年から8年に再建されました。
城内から見た二重櫓です。
同じく城内から見た多聞櫓です。
重要文化財ですが、内部を公開しています。
以前は普段は公開してしなくて、何かのイベントのときのみの公開でしたが、近年は常時公開なのでうれしいですね。
内部の様子です。
荒壁で、7つの部屋に分かれています。
中から見た鉄砲狭間です。
窓の下の三角や四角のものが狭間です。
三角と四角が交互に配置されています。
今は蓋がされてあります。
二重櫓への階段の見上げです。
二重櫓には入れません。
佐和山口多聞櫓内から見た佐和山口の枡形虎口です。
正面にいろは松の松並木がよく見えます。
同じく多聞櫓内から見た二重櫓です。
こちらは昭和35年に再建されたもので、内部は開国記念館になっています。
鉄砲狭間が1つだけ再現されています。
この左に二重二階の櫓門が続いていました。
そのために左は切妻になっています。
多聞櫓から見た彦根城です。
右は佐和山口多聞櫓で、内部は広い階段になっています。
手前の茶色の屋根が馬屋、その奥の入母屋の大きな屋根は御殿です。
その上の櫓は天秤櫓で、その右上にかすかに見えるのが天守です。
同じく彦根城を眺めた景色です。
上の写真の拡大です。
天守の右に石垣が見えますが、かつてはここに二重の月見櫓がありました。
古写真もあるので、この月見櫓を復元すれば、さらに城跡の景観がよくなるでしょう。
(続く)
佐和山口多聞櫓は彦根城築城時に建てられたと思われますが、明和4年(1767)の火事で焼失してしまいましたが、明和6年から8年に再建されました。
城内から見た二重櫓です。
同じく城内から見た多聞櫓です。
重要文化財ですが、内部を公開しています。
以前は普段は公開してしなくて、何かのイベントのときのみの公開でしたが、近年は常時公開なのでうれしいですね。
内部の様子です。
荒壁で、7つの部屋に分かれています。
中から見た鉄砲狭間です。
窓の下の三角や四角のものが狭間です。
三角と四角が交互に配置されています。
今は蓋がされてあります。
二重櫓への階段の見上げです。
二重櫓には入れません。
佐和山口多聞櫓内から見た佐和山口の枡形虎口です。
正面にいろは松の松並木がよく見えます。
同じく多聞櫓内から見た二重櫓です。
こちらは昭和35年に再建されたもので、内部は開国記念館になっています。
鉄砲狭間が1つだけ再現されています。
この左に二重二階の櫓門が続いていました。
そのために左は切妻になっています。
多聞櫓から見た彦根城です。
右は佐和山口多聞櫓で、内部は広い階段になっています。
手前の茶色の屋根が馬屋、その奥の入母屋の大きな屋根は御殿です。
その上の櫓は天秤櫓で、その右上にかすかに見えるのが天守です。
同じく彦根城を眺めた景色です。
上の写真の拡大です。
天守の右に石垣が見えますが、かつてはここに二重の月見櫓がありました。
古写真もあるので、この月見櫓を復元すれば、さらに城跡の景観がよくなるでしょう。
(続く)
彦根城 その1 [お城踏査]
彦根城は滋賀県彦根市にある近世城郭です。
佐和山口多聞櫓です。
これは現存建物で重要文化財です。
佐和山口です。
佐和山とは石田三成の居城佐和山城があった方角です。
かつてはここに門がありました。
左が佐和山口多聞櫓です。
右の二重櫓は復元されたものです。
二重櫓に続く長大な多聞櫓です。
こちらも復元です。
中は開国記念館です。
多聞櫓を反対から見た図です。
端にも二重櫓があります。
なかなか壮観な景色です。
佐和山口です。
桝形虎口になっています。
この奥に本来は櫓門がありました。
門を復元すると車の通行に支障があるので、復元されていません。
写真のように途切れています。
この石垣の上に櫓門がありました。
佐和山口多聞櫓です。
右端が切れていますが、ここに櫓門がつながっていました。
子細に見ると多聞櫓には窓の下に三角や四角の鉄砲狭間が切られています。
この狭間から鉄砲を放って守っていたのですね。
櫓門の礎石です。
礎石には柱穴があり、石の大きさからも雄大な門であったことが想像されます。
ここに門があったことがわかります。
城を歩くときには足元にも注意が必要ですね。
(続く)
佐和山口多聞櫓です。
これは現存建物で重要文化財です。
佐和山口です。
佐和山とは石田三成の居城佐和山城があった方角です。
かつてはここに門がありました。
左が佐和山口多聞櫓です。
右の二重櫓は復元されたものです。
二重櫓に続く長大な多聞櫓です。
こちらも復元です。
中は開国記念館です。
多聞櫓を反対から見た図です。
端にも二重櫓があります。
なかなか壮観な景色です。
佐和山口です。
桝形虎口になっています。
この奥に本来は櫓門がありました。
門を復元すると車の通行に支障があるので、復元されていません。
写真のように途切れています。
この石垣の上に櫓門がありました。
佐和山口多聞櫓です。
右端が切れていますが、ここに櫓門がつながっていました。
子細に見ると多聞櫓には窓の下に三角や四角の鉄砲狭間が切られています。
この狭間から鉄砲を放って守っていたのですね。
櫓門の礎石です。
礎石には柱穴があり、石の大きさからも雄大な門であったことが想像されます。
ここに門があったことがわかります。
城を歩くときには足元にも注意が必要ですね。
(続く)
ヤナガ谷砦@滋賀県彦根市 [お城踏査]
キドラ谷城@滋賀県彦根市 [お城情報]
菖蒲嶽城@滋賀県彦根市 [お城踏査]
清瀧寺 [寺院]
清瀧寺は滋賀県米原市にあります。
本堂です。
霊通山清瀧寺徳源院です。
鎌倉時代から近江の守護であった佐々木氏の一族の京極氏の菩提寺です。
墓所の入り口です。
宝篋印塔が立ち並びます。
壮観です。
覆屋根に入っている墓もあります。
京極高次の石廟です。
京極高次は大津城主です。
石廟の中の宝篋印塔です。
笠が大きいです。
京極高次は、京極高吉と京極マリアの長男として小谷城の京極丸で生まれました。
マリアは浅井久政の娘(長政の姉)です。
高次は、浅井長政の三人姉妹の次女初を妻に迎えました。
初の姉は茶々(淀君)、妹は江、徳川秀忠の妻でした。
本能寺の変では明智光秀に組して一時は没落します。
しかし、高次の妹の京極竜子が豊臣秀吉の側室となっていたため、許されて大名となりました。
女性のおかげで京極家は大名になったようなものでした。
妹や妻の尻の光で出世したために、高次は陰で蛍大名と言われたそうです。
京極高次です。
三重塔です。
本堂です。
霊通山清瀧寺徳源院です。
鎌倉時代から近江の守護であった佐々木氏の一族の京極氏の菩提寺です。
墓所の入り口です。
宝篋印塔が立ち並びます。
壮観です。
覆屋根に入っている墓もあります。
京極高次の石廟です。
京極高次は大津城主です。
石廟の中の宝篋印塔です。
笠が大きいです。
京極高次は、京極高吉と京極マリアの長男として小谷城の京極丸で生まれました。
マリアは浅井久政の娘(長政の姉)です。
高次は、浅井長政の三人姉妹の次女初を妻に迎えました。
初の姉は茶々(淀君)、妹は江、徳川秀忠の妻でした。
本能寺の変では明智光秀に組して一時は没落します。
しかし、高次の妹の京極竜子が豊臣秀吉の側室となっていたため、許されて大名となりました。
女性のおかげで京極家は大名になったようなものでした。
妹や妻の尻の光で出世したために、高次は陰で蛍大名と言われたそうです。
京極高次です。
三重塔です。
大垣まつりのPRなど [四方山話]
名古屋駅のコンコースでは大垣まつりのPRがありました。
親善大使のスピーチです。
きれいなかたです。
水の都おおがき親善大使です。
山車の模型が展示されていました。
名古屋駅西口にある地下街エスカチカのPRにSKE48が起用されました。
SKE48が「ESCA 45th広報大使」に就任しました。
参加メンバーは、松井珠理奈・須田亜香里・東李苑・北川綾巴・古畑奈和・熊崎晴香・後藤楽々の7名。
SKE48オリジナルデザインのスクラッチカード、SKE48×エスカコラボ記念大抽選会が企画されているようです。
名古屋駅からエスカ地下に降りるエスカレータの横にはこのポスターが貼られています。
古畑奈和はサイン入りのポスターです。
盗難に遭わないか心配ですね。
親善大使のスピーチです。
きれいなかたです。
水の都おおがき親善大使です。
山車の模型が展示されていました。
名古屋駅西口にある地下街エスカチカのPRにSKE48が起用されました。
SKE48が「ESCA 45th広報大使」に就任しました。
参加メンバーは、松井珠理奈・須田亜香里・東李苑・北川綾巴・古畑奈和・熊崎晴香・後藤楽々の7名。
SKE48オリジナルデザインのスクラッチカード、SKE48×エスカコラボ記念大抽選会が企画されているようです。
名古屋駅からエスカ地下に降りるエスカレータの横にはこのポスターが貼られています。
古畑奈和はサイン入りのポスターです。
盗難に遭わないか心配ですね。
名古屋城 [お城踏査]
名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成28年4月中旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]
名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。
玄関です。
後に天守が見えます。
まだ素屋根内の公開は中止中でした。
昨年の9月から中止中で、28年春までとのことでしが、もうすっかり春なのですが、いつから公開でしょうか。
待ち遠しいです。
GWには公開して欲しいですね。
台所です。
素屋根が外れて姿を現しました。
台所だけは屋根の一部に瓦が葺かれています。
後は小天守です。
北から見た図です。
まだパーテーションで隠されているので全容は見えません。
アップです。
縦長の部分は出入り口でしょうか。
戸が開いていたので中が少し見えました。
工事が急ピッチで行われています。
暗くてよくわかりません。
小天守から見た台所です。
屋根は一部が瓦葺きですが、まだ完成してはいません。
大天守から見た本丸御殿です。
規模の大きさが実感できます。
これでもまだ半分です。
台所の部分のアップです。
瓦屋根が目立ちます。
対面所、下御膳所の公開まであと39日です。
いよいよです。
本丸御殿の平面図です。
真ん中の青の部分が第二期工事の対面所、下御膳所、台所です。
玄関です。
後に天守が見えます。
まだ素屋根内の公開は中止中でした。
昨年の9月から中止中で、28年春までとのことでしが、もうすっかり春なのですが、いつから公開でしょうか。
待ち遠しいです。
GWには公開して欲しいですね。
台所です。
素屋根が外れて姿を現しました。
台所だけは屋根の一部に瓦が葺かれています。
後は小天守です。
北から見た図です。
まだパーテーションで隠されているので全容は見えません。
アップです。
縦長の部分は出入り口でしょうか。
戸が開いていたので中が少し見えました。
工事が急ピッチで行われています。
暗くてよくわかりません。
小天守から見た台所です。
屋根は一部が瓦葺きですが、まだ完成してはいません。
大天守から見た本丸御殿です。
規模の大きさが実感できます。
これでもまだ半分です。
台所の部分のアップです。
瓦屋根が目立ちます。
対面所、下御膳所の公開まであと39日です。
いよいよです。
本丸御殿の平面図です。
真ん中の青の部分が第二期工事の対面所、下御膳所、台所です。