南宮大社 [神社]
南宮大社です。
岐阜県不破郡垂井町にあります。
美濃一之宮です。
創建は崇神天皇の時代と伝えられます。
楼門です。
朱色が映えます。
重要文化財です。
南宮大社は関ヶ原合戦で焼失しましたが、徳川家光が再建しました。
関ケ原合戦の時には南宮神社の裏山の南宮山に毛利氏が陣を置きました。
楼門の前の石橋です。
アーチ状の橋が美しい。
寛永19年の建設です。
楼門の中には、右大臣、左大臣の木像があります。
楼門の彫刻です。
鹿でしようか。
鶴の上に乗っているのは誰でしょう。
楼門を入ると高舞殿があります。
舞楽を奉納する場所です。
手水舎です。
こちらも朱色です。
手水舎の屋根の見上げです。
色鮮やかです。
拝殿です。
主祭神に金山彦命を祀っています。
相殿に見野命、彦火火出見命が祀られています。
金属に関する神様です。
絵馬です。
犬張り子がかわいいです。
椿の絵馬です。
円形のは珍しいです。
岐阜県不破郡垂井町にあります。
美濃一之宮です。
創建は崇神天皇の時代と伝えられます。
楼門です。
朱色が映えます。
重要文化財です。
南宮大社は関ヶ原合戦で焼失しましたが、徳川家光が再建しました。
関ケ原合戦の時には南宮神社の裏山の南宮山に毛利氏が陣を置きました。
楼門の前の石橋です。
アーチ状の橋が美しい。
寛永19年の建設です。
楼門の中には、右大臣、左大臣の木像があります。
楼門の彫刻です。
鹿でしようか。
鶴の上に乗っているのは誰でしょう。
楼門を入ると高舞殿があります。
舞楽を奉納する場所です。
手水舎です。
こちらも朱色です。
手水舎の屋根の見上げです。
色鮮やかです。
拝殿です。
主祭神に金山彦命を祀っています。
相殿に見野命、彦火火出見命が祀られています。
金属に関する神様です。
絵馬です。
犬張り子がかわいいです。
椿の絵馬です。
円形のは珍しいです。
八幡神社 [寺院]
猪鼻城@滋賀県米原市 [お城踏査]
高屋城@滋賀県米原市 [お城踏査]
岩谷山第1号墳 [歴史雑話]
西尾市塩田体験館 [四方山話]
西尾市塩田体験館が28年4月16日にオープンしました。
愛称は饗庭塩の里です。
饗庭は「あいば」と読みます。
復元塩田です。
入浜式塩田です。
桝です。
ここで灌水(濃い塩水)を作ります。
海水をまいているところです。
入浜式塩田保存会の皆さんの実演です。
復元された塩焼き小屋です。
塩焼き釜です。
ここで塩を煮詰めて作りました。
これはイミテーションです。
塩を入れておく樽です。
岡崎市の八丁味噌の寄贈です。
ところで忠臣蔵の原因がこの塩田にあったという説がありました。
赤穂の塩は白くて評判がよかったけど、吉良の塩は黒くて売れなかった。
そこで吉良上野介が浅野内匠頭に製塩方法を尋ねたが、浅野氏が教えなかったので、恨んで勅使接待の時に意地悪をして内匠頭に恥をかかせたというのである。
そもそも、当時は塩田は吉良氏の領地ではなく、この説は否定されています。
また、吉良上野介は指導役なので、浅野内匠頭の失敗は指南役の責任になるので、嘘を教えるとかありえません。
荻生徂徠は、浅野内匠頭は吉良上野介を殺そうとしたが、浅野内匠頭を殺したのは吉良ではないので、浅野家の家来が吉良上野介を殺すのは仇討ちではない、と明確に論じています。
殿中で刀を抜けば、大事な勅使饗応をぶち壊し、お家断絶になるということもわからず、一時の感情に左右されて後先を考えない短慮な性格は内匠頭の性格だったこともわかってきました。
『栗崎道有記録』は、浅野内匠頭長矩は癇癪持ちであったとしています。
ドラマでは若い殿さまのように見えますが、実際には34歳で、おまけに勅使饗応も二度目なので、作法を知らないということはありませんでした。
夜中に武装して大勢で寝込みを襲うことは卑怯であり、当時のこころある武士の中では、忠義でも仇討ちでもないとするものも多かったそうです。
しかし、日清・日露戦争から第二次世界大戦の時代には、軍国主義者にとっては「忠臣蔵」は、国民の、忠義、忠臣の精神を高揚するにはぴったりの物語でした。
そのため、過大に評価されてきました。
それが今日まできています。
今こそ忠臣蔵を見直す時期です。
そもそも忠臣蔵という呼び方も歌舞伎のなかのことで、本来は赤穂事件とよぶことが正しいでしょう。
だいぶ脱線しましたが、塩田体験館では、塩焼き体験もできます。
一日コースとショートコースの2つがあります。
いずれも自分で作った塩を持ち帰れます。
西尾市塩田体験館
〒444-0514
愛知県西尾市吉良町白浜新田宮前59-1
℡0563-32-3373
愛称は饗庭塩の里です。
饗庭は「あいば」と読みます。
復元塩田です。
入浜式塩田です。
桝です。
ここで灌水(濃い塩水)を作ります。
海水をまいているところです。
入浜式塩田保存会の皆さんの実演です。
復元された塩焼き小屋です。
塩焼き釜です。
ここで塩を煮詰めて作りました。
これはイミテーションです。
塩を入れておく樽です。
岡崎市の八丁味噌の寄贈です。
ところで忠臣蔵の原因がこの塩田にあったという説がありました。
赤穂の塩は白くて評判がよかったけど、吉良の塩は黒くて売れなかった。
そこで吉良上野介が浅野内匠頭に製塩方法を尋ねたが、浅野氏が教えなかったので、恨んで勅使接待の時に意地悪をして内匠頭に恥をかかせたというのである。
そもそも、当時は塩田は吉良氏の領地ではなく、この説は否定されています。
また、吉良上野介は指導役なので、浅野内匠頭の失敗は指南役の責任になるので、嘘を教えるとかありえません。
荻生徂徠は、浅野内匠頭は吉良上野介を殺そうとしたが、浅野内匠頭を殺したのは吉良ではないので、浅野家の家来が吉良上野介を殺すのは仇討ちではない、と明確に論じています。
殿中で刀を抜けば、大事な勅使饗応をぶち壊し、お家断絶になるということもわからず、一時の感情に左右されて後先を考えない短慮な性格は内匠頭の性格だったこともわかってきました。
『栗崎道有記録』は、浅野内匠頭長矩は癇癪持ちであったとしています。
ドラマでは若い殿さまのように見えますが、実際には34歳で、おまけに勅使饗応も二度目なので、作法を知らないということはありませんでした。
夜中に武装して大勢で寝込みを襲うことは卑怯であり、当時のこころある武士の中では、忠義でも仇討ちでもないとするものも多かったそうです。
しかし、日清・日露戦争から第二次世界大戦の時代には、軍国主義者にとっては「忠臣蔵」は、国民の、忠義、忠臣の精神を高揚するにはぴったりの物語でした。
そのため、過大に評価されてきました。
それが今日まできています。
今こそ忠臣蔵を見直す時期です。
そもそも忠臣蔵という呼び方も歌舞伎のなかのことで、本来は赤穂事件とよぶことが正しいでしょう。
だいぶ脱線しましたが、塩田体験館では、塩焼き体験もできます。
一日コースとショートコースの2つがあります。
いずれも自分で作った塩を持ち帰れます。
西尾市塩田体験館
〒444-0514
愛知県西尾市吉良町白浜新田宮前59-1
℡0563-32-3373