彦根城 その4 [お城踏査]
少し間が空きましたが、彦根城の続きに戻ります。
表御殿です。
彦根市制50周年を記念して昭和62年に復元されました。
書院です。
発掘調査や指図に基づいて復元されています。
表向きは彦根城博物館として外観復元されています。
書院の屋根です。
博物館では、藩主井伊家の調度品や武具がせ展示されています。
奥向きは木造復元されています。
茶室天光室です。
藩主の茶室です。
炉が切られています。
奥向きから庭園越しに見た書院です。
隣は蔵です。
天光室です。
茶室らしい外観です。
手前に手水鉢があります。
御座の間の床と違い棚です。
藩主の奥の居室です。
落ち着いた雰囲気です。
次の間から見た御座の間です。
御亭です。
藩主がくつろぐ部屋部屋です。
廊下の奥は局です。
奥向きの女中がいた空間です。
奥向きの建物です。
こちらは非公開です。
御寝之間です。
藩主の寝室です。
奥だけでも広くて迷ってしまいそうです。
御殿の現存している城は、二条城、掛川城、川越城、高知城の4城ですが、復元された城は、彦根城の他に名古屋城、熊本城、佐賀城、篠山城、徳島城があります。徳島城は内部は博物館です。
他に飫肥城、佐土原城、出石城も御殿風の建物が建てられていますが、厳密なものではありません。
(続く)
表御殿です。
彦根市制50周年を記念して昭和62年に復元されました。
書院です。
発掘調査や指図に基づいて復元されています。
表向きは彦根城博物館として外観復元されています。
書院の屋根です。
博物館では、藩主井伊家の調度品や武具がせ展示されています。
奥向きは木造復元されています。
茶室天光室です。
藩主の茶室です。
炉が切られています。
奥向きから庭園越しに見た書院です。
隣は蔵です。
天光室です。
茶室らしい外観です。
手前に手水鉢があります。
御座の間の床と違い棚です。
藩主の奥の居室です。
落ち着いた雰囲気です。
次の間から見た御座の間です。
御亭です。
藩主がくつろぐ部屋部屋です。
廊下の奥は局です。
奥向きの女中がいた空間です。
奥向きの建物です。
こちらは非公開です。
御寝之間です。
藩主の寝室です。
奥だけでも広くて迷ってしまいそうです。
御殿の現存している城は、二条城、掛川城、川越城、高知城の4城ですが、復元された城は、彦根城の他に名古屋城、熊本城、佐賀城、篠山城、徳島城があります。徳島城は内部は博物館です。
他に飫肥城、佐土原城、出石城も御殿風の建物が建てられていますが、厳密なものではありません。
(続く)
名古屋城西北隅櫓特別公開 [お城踏査]
名古屋城西北隅櫓が特別公開されています。
5月5日まで。
西北隅櫓は名古屋城の深井丸にある三重櫓です。
清洲城の天守を移築したと伝えられており、別名を清洲櫓といいます。
一重目の千鳥破風です。
入り口です。
一重の出窓にある石落しです。
一階の内部です。
回りは武者走りになっています。
清洲櫓の入り口は二つあります。
もう一つは閉じられていますが、中から見たところです。
一階から二階への階段です。
途中に踊り場があります。
そのためそれほど急に感じません。
二階の内部です。
同じく武者走りです。
二階から三階への階段です。
三階です。
桟があります。
ここに建具を入れるようになっています。
部屋として使えるようになっていました。
三階の屋根の見上げです。
天井がないので梁が見えます。
太いです。
西北隅櫓の説明です。
堀越しに見た西北隅櫓です。
窓が開いているとイメージが変わります。
こちらは窓を閉じたところです。
白さが目立ちます。
天守と西北隅櫓のコラボです。
なかなかの景観です。
外堀の広さがよくわかる写真です。
5月5日まで。
西北隅櫓は名古屋城の深井丸にある三重櫓です。
清洲城の天守を移築したと伝えられており、別名を清洲櫓といいます。
一重目の千鳥破風です。
入り口です。
一重の出窓にある石落しです。
一階の内部です。
回りは武者走りになっています。
清洲櫓の入り口は二つあります。
もう一つは閉じられていますが、中から見たところです。
一階から二階への階段です。
途中に踊り場があります。
そのためそれほど急に感じません。
二階の内部です。
同じく武者走りです。
二階から三階への階段です。
三階です。
桟があります。
ここに建具を入れるようになっています。
部屋として使えるようになっていました。
三階の屋根の見上げです。
天井がないので梁が見えます。
太いです。
西北隅櫓の説明です。
堀越しに見た西北隅櫓です。
窓が開いているとイメージが変わります。
こちらは窓を閉じたところです。
白さが目立ちます。
天守と西北隅櫓のコラボです。
なかなかの景観です。
外堀の広さがよくわかる写真です。