吉田城@愛知県豊橋市 [お城踏査]
吉田城は愛知県豊橋市今橋町にある近世城郭です。
本丸の東虎口です。
石垣造りの枡形虎口です。
説明です。
吉田城は永正2年(1505)に牧野古白が築いたと言われます。
その後、戸田氏と争奪を繰り返しますが、三河に進出してきた今川氏の支配下に入ります。
桶狭間合戦後は徳川家康の家臣酒井忠次が入りますが、天正18年に徳川氏が関東に移ると池田輝政が入ります。
関ケ原合戦後は深溝松平氏が入りますが、その後は譜代大名が目まぐるしく変わりました。
吉田城の絵図です。
基本的には輪郭式の縄張りです。
本丸東虎口の石列です。
この上に土塀があったと思われます。
本丸堀です。
空堀でした。
堀には石垣はありません。
本丸の内側です。
本丸の外の堀には石垣はありませんが、内側には石垣が築かれています。
本丸鉄櫓です。
かつてはなぜか間違えられて入道櫓と呼ばれていました。
昭和29年に模擬櫓として建てられました。
(続く)
本丸の東虎口です。
石垣造りの枡形虎口です。
説明です。
吉田城は永正2年(1505)に牧野古白が築いたと言われます。
その後、戸田氏と争奪を繰り返しますが、三河に進出してきた今川氏の支配下に入ります。
桶狭間合戦後は徳川家康の家臣酒井忠次が入りますが、天正18年に徳川氏が関東に移ると池田輝政が入ります。
関ケ原合戦後は深溝松平氏が入りますが、その後は譜代大名が目まぐるしく変わりました。
吉田城の絵図です。
基本的には輪郭式の縄張りです。
本丸東虎口の石列です。
この上に土塀があったと思われます。
本丸堀です。
空堀でした。
堀には石垣はありません。
本丸の内側です。
本丸の外の堀には石垣はありませんが、内側には石垣が築かれています。
本丸鉄櫓です。
かつてはなぜか間違えられて入道櫓と呼ばれていました。
昭和29年に模擬櫓として建てられました。
(続く)