井伊直親の墓 [歴史雑話]
井伊直親の墓です。
浜松市北区細江町にあります。
井伊谷とは少し離れています。
井伊直親は直満の子で、直満が家臣の讒言のため今川義元に殺されたときは9歳で、信州の松源寺に逃れました。
大河ドラマでは亀の丞です。
弘治元年(1555)20歳の時井伊谷に戻り、直盛の養子となり、奥山因幡守の娘と結婚し、祝田に住みます。
ところが、永禄5年(1562)家臣の小野但馬(鶴)が今川氏真に讒言したため、弁明のため駿河に向かったが途中で朝比奈備中守に殺されます。
遺体はここに運ばれて都田河畔で火葬されて墓が建てられました。
法名は大藤寺殿剣峯宗恵大居士です。
直親の子が井伊直政です。
彦根藩主井伊直弼が寄進した灯篭です。
直弼は直政の子孫です。
灯篭には井伊家の家紋である橘が刻まれています。
井伊直親の墓は以前は200mほど東にありましたが、河川改修のため移設されました。
現在は都田川の堤防の下にあり、とても行きにくいところです。
堤防上の道路から降りれますが、堤防の道路は狭く、堤防上に駐車するしかありませんが、とても困ります。
今後はさらに観光客が増えるので込み合いそうです。
浜松市北区細江町にあります。
井伊谷とは少し離れています。
井伊直親は直満の子で、直満が家臣の讒言のため今川義元に殺されたときは9歳で、信州の松源寺に逃れました。
大河ドラマでは亀の丞です。
弘治元年(1555)20歳の時井伊谷に戻り、直盛の養子となり、奥山因幡守の娘と結婚し、祝田に住みます。
ところが、永禄5年(1562)家臣の小野但馬(鶴)が今川氏真に讒言したため、弁明のため駿河に向かったが途中で朝比奈備中守に殺されます。
遺体はここに運ばれて都田河畔で火葬されて墓が建てられました。
法名は大藤寺殿剣峯宗恵大居士です。
直親の子が井伊直政です。
彦根藩主井伊直弼が寄進した灯篭です。
直弼は直政の子孫です。
灯篭には井伊家の家紋である橘が刻まれています。
井伊直親の墓は以前は200mほど東にありましたが、河川改修のため移設されました。
現在は都田川の堤防の下にあり、とても行きにくいところです。
堤防上の道路から降りれますが、堤防の道路は狭く、堤防上に駐車するしかありませんが、とても困ります。
今後はさらに観光客が増えるので込み合いそうです。