公開講座唐津城大解剖「石垣修理から見えてきた唐津城の真実」 [お城情報]
お城のイベントの案内です。
公開講座唐津城大解剖「石垣修理から見えてきた唐津城の真実」
日 時:2017年9月17日(日)13時~
場 所:唐津市高齢者ふれあい会館りふれ(佐賀県唐津市二夕子3丁目)
参加費 無料
定 員 200名(申込不要)
内 容
基調講演
「石垣変遷から見た唐津城の魅力」北垣聰一郎氏(金沢城調査研究所名誉所長)
報告
「文化財調査から見た唐津城」坂井清春氏(唐津市教育委員会生涯学習文化財課)
「土木調査から見た唐津城」木本聖氏(唐津市都市整備部まちづくり課)
「修理現場から見た唐津城」山下公一氏(松本建設株式会社)
パネルディスカッション
コーディネーター
田島龍太氏(前唐津城天守閣館長)
パネリスト
北垣聰一郎氏、坂井清春氏、木本聖氏、山下公一氏
問合せ
唐津市教育委員会生涯学習文化財課
℡0955-72-9195
公開講座唐津城大解剖「石垣修理から見えてきた唐津城の真実」
日 時:2017年9月17日(日)13時~
場 所:唐津市高齢者ふれあい会館りふれ(佐賀県唐津市二夕子3丁目)
参加費 無料
定 員 200名(申込不要)
内 容
基調講演
「石垣変遷から見た唐津城の魅力」北垣聰一郎氏(金沢城調査研究所名誉所長)
報告
「文化財調査から見た唐津城」坂井清春氏(唐津市教育委員会生涯学習文化財課)
「土木調査から見た唐津城」木本聖氏(唐津市都市整備部まちづくり課)
「修理現場から見た唐津城」山下公一氏(松本建設株式会社)
パネルディスカッション
コーディネーター
田島龍太氏(前唐津城天守閣館長)
パネリスト
北垣聰一郎氏、坂井清春氏、木本聖氏、山下公一氏
問合せ
唐津市教育委員会生涯学習文化財課
℡0955-72-9195
こまき信長・夢フォーラム5「小牧から岐阜へ―信長が居た4年間」 [お城情報]
お城関係のイベントです。
小牧山城では毎年行われているイベントで今年で5回目です。
やはり信長と付くと人が集まりますね。
こまき信長・夢フォーラム5「小牧から岐阜へ―信長が居た4年間」
日 時:2017年9月17日(日)13時~
場 所:小牧市市民会館山(小牧市小牧2-107)
参加費 無料
定 員 1,300名
内 容
史蹟小牧山主郭地区第9次発掘調査成果報告 小野友記子 氏(小牧市教育委員会)
記念講演
「小牧から天下統一の城へ」中井均氏(滋賀県立大学)加藤理文氏(日本城郭協会理事)
トークセッション
「信長が居た4年間、信長に追いかけられた18年間」
中井均氏・加藤理科文氏・小野友紀子氏・渡邊あゆみ氏(NHK)
問合せ
小牧市教育委員会生涯学習課
℡0568-76-1189
小牧山城では毎年行われているイベントで今年で5回目です。
やはり信長と付くと人が集まりますね。
こまき信長・夢フォーラム5「小牧から岐阜へ―信長が居た4年間」
日 時:2017年9月17日(日)13時~
場 所:小牧市市民会館山(小牧市小牧2-107)
参加費 無料
定 員 1,300名
内 容
史蹟小牧山主郭地区第9次発掘調査成果報告 小野友記子 氏(小牧市教育委員会)
記念講演
「小牧から天下統一の城へ」中井均氏(滋賀県立大学)加藤理文氏(日本城郭協会理事)
トークセッション
「信長が居た4年間、信長に追いかけられた18年間」
中井均氏・加藤理科文氏・小野友紀子氏・渡邊あゆみ氏(NHK)
問合せ
小牧市教育委員会生涯学習課
℡0568-76-1189
名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年9月上旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]
名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。
素屋根の解体の足場は組まれていますが、まだ作業は始まっていません。
素屋根の内の公開は終わりましたので、工事の様子はわかりません。
現場の説明会はもうないようですが、秋くらいになにかイベントを行ってもらえるといいですね。
天守から見た御殿の素屋根です。
手前の屋根は小天守です。
本丸御殿の玄関です。既に完成した部分です。
現在三分の二が完成公開されています。
表書院の上段之間です。
全体の完成は平成30年3月です。
公開は平成30年春の予定です。
本丸御殿の平面図です。
左側の上洛殿、黒木書院、湯殿書院などが工事中です。
名古屋市の消火栓の蓋です。
名古屋城がデザインされています。
素屋根の解体の足場は組まれていますが、まだ作業は始まっていません。
素屋根の内の公開は終わりましたので、工事の様子はわかりません。
現場の説明会はもうないようですが、秋くらいになにかイベントを行ってもらえるといいですね。
天守から見た御殿の素屋根です。
手前の屋根は小天守です。
本丸御殿の玄関です。既に完成した部分です。
現在三分の二が完成公開されています。
表書院の上段之間です。
全体の完成は平成30年3月です。
公開は平成30年春の予定です。
本丸御殿の平面図です。
左側の上洛殿、黒木書院、湯殿書院などが工事中です。
名古屋市の消火栓の蓋です。
名古屋城がデザインされています。
岡崎城月見櫓発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]
岡崎城月見櫓発掘調査現地説明会に行ってきました。
月見櫓は本丸の南端にありました。
石垣と礎石が見つかりました。
月見櫓に接続して脇多門櫓がありましたが、この多門櫓の石垣も見つかっています。
多門櫓の手前に排水溝がありました。
多門櫓の櫓台の基礎です。
同じく石組の溝が見つかりました。
脇多門櫓の端です。
手前の大きな石は階段ではなく、明治以降に据えられたものです。
月見櫓付近の図です。
オレンジ色の部分を発掘しています。
月見櫓と脇多門の絵です。
脇多門は二重の多門でした。
二重にしては桁行は短い櫓でした。
月見櫓の絵図です。
月見櫓は風流な名前です。
月見櫓の古写真です。
珍しい重箱櫓でした。
二階には高欄がめぐり、月見をしたことがわかります。
一階は格子窓と狭間が見えます。
この写真は新たに見つかったものです。
天守と月見櫓の古写真です。
別のアングルの天守と月見櫓です。
右が月見櫓です。
本丸図の中の月見櫓です。
位置関係がよくわかります。
平櫓です。
溝が出ていましたが、櫓の遺稿は見つかっていません。
月見櫓の石垣です。
この部分はきれいな算木積みです。
新しく積みなおされたようです。
風呂屋門の跡です。
発掘中ですが、門の遺構は見つかっていません。
説明会には多くの見学者がいました。
発掘調査で見つかった軒丸瓦です。
立葵紋で、本多氏の時代のものです。
発掘調査は9月22日までです。
岡崎市のマンホールです。
岡崎城と帆かけ船がデザインされています。
月見櫓は本丸の南端にありました。
石垣と礎石が見つかりました。
月見櫓に接続して脇多門櫓がありましたが、この多門櫓の石垣も見つかっています。
多門櫓の手前に排水溝がありました。
多門櫓の櫓台の基礎です。
同じく石組の溝が見つかりました。
脇多門櫓の端です。
手前の大きな石は階段ではなく、明治以降に据えられたものです。
月見櫓付近の図です。
オレンジ色の部分を発掘しています。
月見櫓と脇多門の絵です。
脇多門は二重の多門でした。
二重にしては桁行は短い櫓でした。
月見櫓の絵図です。
月見櫓は風流な名前です。
月見櫓の古写真です。
珍しい重箱櫓でした。
二階には高欄がめぐり、月見をしたことがわかります。
一階は格子窓と狭間が見えます。
この写真は新たに見つかったものです。
天守と月見櫓の古写真です。
別のアングルの天守と月見櫓です。
右が月見櫓です。
本丸図の中の月見櫓です。
位置関係がよくわかります。
平櫓です。
溝が出ていましたが、櫓の遺稿は見つかっていません。
月見櫓の石垣です。
この部分はきれいな算木積みです。
新しく積みなおされたようです。
風呂屋門の跡です。
発掘中ですが、門の遺構は見つかっていません。
説明会には多くの見学者がいました。
発掘調査で見つかった軒丸瓦です。
立葵紋で、本多氏の時代のものです。
発掘調査は9月22日までです。
岡崎市のマンホールです。
岡崎城と帆かけ船がデザインされています。
南禅寺 [寺院]
南禅寺です。
臨済宗総本山です。
京都東山の中心的寺院です。
その境内の広さにびっくりです。
三門です。
三門とは仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない空、無相、無作の三つの関門を表します。
この三門は。寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣の戦死した家臣の菩提を弔うために再建したものです。
歌舞伎の石川五右衛門の伝説でも有名です。
三門の柱です。
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、高さは約22メートルです。
本当に大きいです。
中門です。
伏見城松井邸の門を移築したものです。
松井康之の邸です。
勅使門です。
寛永18年(1641)に明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したものです。
庫裡です。
ここから拝観します。
大玄関です。
唐破風の屋根が優雅です。
書院の滝ノ間です。
ここで庭を見ながらお茶を飲むことができます。
庭の滝が見えます。
滝ノ間の由来です。
庭園です。
小方丈の庭です。
別名「如心庭」と呼ばれています。
枯山水の石庭です。
六道庭です。
「六道庭」は六道輪廻の戒めの庭です。
六道とは、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界です。
小方丈の庭園とは対照的な庭園です。
小方丈です。
小方丈は伏見城の遺構と伝えられます。
狩野探幽の筆と伝えられる群虎図があります。
小方丈の間取り図です。
内部は撮影不可です。
方丈です。
内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間が並んでいます。
方丈は、天正年間に御所から移築したと伝えられますが、慶長16年(1611)に再建されました。
臨済宗総本山です。
京都東山の中心的寺院です。
その境内の広さにびっくりです。
三門です。
三門とは仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない空、無相、無作の三つの関門を表します。
この三門は。寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣の戦死した家臣の菩提を弔うために再建したものです。
歌舞伎の石川五右衛門の伝説でも有名です。
三門の柱です。
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、高さは約22メートルです。
本当に大きいです。
中門です。
伏見城松井邸の門を移築したものです。
松井康之の邸です。
勅使門です。
寛永18年(1641)に明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したものです。
庫裡です。
ここから拝観します。
大玄関です。
唐破風の屋根が優雅です。
書院の滝ノ間です。
ここで庭を見ながらお茶を飲むことができます。
庭の滝が見えます。
滝ノ間の由来です。
庭園です。
小方丈の庭です。
別名「如心庭」と呼ばれています。
枯山水の石庭です。
六道庭です。
「六道庭」は六道輪廻の戒めの庭です。
六道とは、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界です。
小方丈の庭園とは対照的な庭園です。
小方丈です。
小方丈は伏見城の遺構と伝えられます。
狩野探幽の筆と伝えられる群虎図があります。
小方丈の間取り図です。
内部は撮影不可です。
方丈です。
内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間が並んでいます。
方丈は、天正年間に御所から移築したと伝えられますが、慶長16年(1611)に再建されました。