佐和山城 その5 [お城踏査]

佐和山城の続きです。

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千貫井です。

本丸の直下にあります。

今も満々と水を湛えています。

城には井戸が不可欠です。

このような高い山に水が出るとは驚きです。

千貫の価値があるということでこの名が付けられています。

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千貫井付近です。

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太鼓丸です。

この付近は石垣はなく、土造りです。

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法華丸です。

櫓台ですが、こうして写真にするとただの山にしか見えません。

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女郎谷への案内です。

落城の際に女性たちが飛び降りたという谷です。

落城伝説ではよくある話ですが、やはりちょっと怖いですね。

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法華丸から見た本丸です。

高さが際立ちます。

(終わり)





佐和山城 その4 [お城踏査]

佐和山城の本丸です。

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石碑です。

山頂の本丸は広いですが、石碑があるだけです。

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少し地表が凹んでいますが、虎口の跡でしょうか。

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佐和山城の本丸から見た彦根城です。

佐和山城は標高212mの山頂にあります。

比高も145mあります。

彦根城を見下ろす高さで、如何にも中世城郭です。

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本丸にある本丸の測量図です。

地形が微妙に凸凹があり、それを子細に辿れば輪郭を復元できるかもしれません。

井伊氏は彦根城を築城する際に佐和山城を徹底的に破壊しました。

特に本丸は念入りに破壊して、山を数メートルも削ったと言われています。

これは佐和山城が石田三成の居城だったために石田色を消すために徹底的に破壊したためです。

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本丸の石垣です。

下の2つ石のみ残っています。

かなり大きな石で、初期の算木積みになっています。

これから推測すると佐和山城の本丸は総石垣だったと思われます。

これを見ても徹底的に破壊されたことがわかります。

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下から見た石垣です。

この角度で石を積み上げるとかなりの高さになります。

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本丸跡では発掘調査が行われていました。

白い線は土層です。

本丸を築く際に造成されたことがわかります。

小さい石は石垣の裏込めでしょうか。

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本丸跡です。

本当に広い平坦地で、徹底的に破壊されたために何もありません。

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佐和山城の縄張図です。

本丸が一際高く起立していたことがわかります。


(続く)

佐和山城 その3 [お城踏査]

佐和山城の西の丸です。

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曲輪跡です。

結構広いです。

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説明です。

佐和山城は説明板が充実しています。

西の丸は本丸に至る途中にある曲輪です。

井伊家に伝わる絵図には3段の曲輪が書かれていて、上段に焔硝櫓、下段に塩櫓と書かれています。

今は下段が焔硝曲輪と言われています。

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西の丸の周囲は土塁がめぐっています。

土塁が巡っている曲輪は佐和山城のなかでも、少なく、ここが重要な曲輪であったことがわかります。

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西の丸から見上げた本丸です。

まだまだ登ります。

(続く)

佐和山城 その2 [お城踏査]

佐和山城に登ります。

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一般的な登り口はかつての大手口とは反対の彦根城からです。

龍潭寺などがあるほうです。

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龍潭寺の脇の山道をしばらく登ると尾根筋にでます。

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佐和山城山頂付近の縄張り図です。

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塩硝櫓跡の入り口です。

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中は凹んでいます。

土塁状にも見えます。

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この付近は西の丸で、三段になっていました。

その一番下の曲輪に塩櫓がありました。

塩は大切なので、特別な蔵がありました。

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測量図が色付けされてつけられているので、わかりやすいです。

(続く)

佐和山城@滋賀県彦根市 [お城踏査]

佐和山城は滋賀県彦根市佐和山にあった中世城郭です。

佐和山城は石田三成の居城として有名ですが、それ以前は浅井氏の家臣磯野氏の居城でした。

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佐和山城の大手口です。

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大手口にある説明です。

関ヶ原合戦で滅んだ石田三成の居城佐和山城を廃止して、徳川家康はここに家臣の井伊直政を配置しました。

井伊直政は新たに彦根城を築きました。

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佐和山城の古絵図です。

城下に堀と土塁に囲まれた侍屋敷があり、その外に城下町があったことがわかります。

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大手口付近の縄張図です。

土塁が残ることがわかります。

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今も残る土塁(左)と堀(右)です。

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大手口から見た佐和山城です。

正面の山が本丸です。

左手に土塁の一部が見えます。

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手前の沼地はかつての侍屋敷の跡です。

面影は全くありません。

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大手口の堀跡です。

堀跡は水路となっています。

城下町もかつては中山道沿いに本町や内町があり、多くの町屋が並んでいたと思われますが、今は田園となり、家は一軒もありません。

井伊氏により徹底的に破壊されて、屋敷もすべて移転されたことがわかります。

彦根城は、佐和山城の城下とは反対に作られて、佐和山城の城下町は廃れました。

(続く)

武田氏研究会第53回研究会 [お城情報]

お城のイベントの案内です。

武田氏研究会による武田氏の城の研究会です。

武田信玄は「人は城、人は石垣、人は堀」と言ったように城は築かなったように言われています。

実際には、天守や高石垣の城は築いていませんが、甲州流築城術といわれるように城はたくさん築いています。
それもかなり優れた城です。

面白そうな研究会です。


武田氏研究会第53回研究会
日 時 2016年6月4日(土) 13:30~
場 所 山梨県立図書館(山梨県甲府市北口2丁目8-1)
定 員 300名(要申込)
参加費 500円
内 容
「馬出とは何か―武田氏・北条氏を中心に」八巻孝夫氏(中世城郭研究会)
「武田氏築城技術と丸馬出」萩原三雄氏(帝京大学文化財研究所)
「武田氏領国の城館跡にみる虎口のかたち―発掘調査事例を素材に」山下孝司氏(韮崎市教育委員会)
問合せ
武田氏研究会
℡055-263-6441

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武田信玄画像

物生山城@滋賀県彦根市 [お城踏査]

物生山城は滋賀県彦根市宮田町にあった中世城郭です。

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遠景です。

中央付近が城跡です。

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堀切です。

凹んでいる部分が堀です。

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主郭です。

土塁はなく、平坦地のみです。

しかし、山城の写真は難しい。

堀や曲輪を写してもただの藪みたいです。

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堀切です。

物生山城は石碑や説明板はありません。

しかし、堀などの遺構で城と判断できます。


物生山城の歴史は記録がなく、よくわかっていません。

しかし、その縄張からは、織田信長が佐和山城攻めのために築いた付け城と言われています。

また、『信長公記』の元亀元年の記事に、
「木下籐吉郎定番として横山に入置かれ、夫より佐和山の城、磯野丹波守楯籠り相候キ、直に信長公。七月□日、佐和山へ御馬を寄せられ、取詰め、鹿垣結はされ、東百々屋敷御取出仰付けられ、丹波五郎左衛門置かれ、北の山に市橋九郎右衛門、南の山に水野下野、西彦根山に河尻与兵衛、四方より取詰めさせ、諸口の通路をとめ。」

とあり、佐和山城の周りに付け城を築いたことがわかります。

このうち、「北の山に市橋九郎右衛門」とあるのが、この物生山城ではないとか言われています。

チャリティシンポジウム「今だからこそ、熊本城を考える」 [お城情報]

先月の熊本地震では、熊本城は未曽有の被害を受けました。

少しでも復興の役に立てばと言うことで、チャリティシンポジウムが開催されます。

是非ご参加ください。


チャリティシンポジウム「今だからこそ、熊本城を考える」
日 時 2016年6月25日(土) 13:00~
場 所 大阪大谷大学博物館(大阪府富田林市錦織北3-11-1)
定 員 170名(申込不要)
参加費 無料 但し要義援金
内 容
「趣旨説明及び熊本城の沿革について」馬部隆弘氏(大阪大谷大学講師)
「熊本城からみた近世城郭」村田修三氏(大阪大学名誉教授)
「熊本城の石垣の魅力」堀口健弐氏(吹田市立博物館)
「東アジア史からみた熊本城」中井均氏(滋賀県立大学教授)
「私が考える熊本城の魅力」高田徹氏(城郭談話会)
問合せ
大阪大谷大学歴史文化学科
℡0721-24-1183  

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丹波福知山明智光秀サミット [お城情報]

明智光秀サミットが開催されます。

光秀ゆかりの福知山市、亀岡市、長岡京市の首長が集まります。

学術的なイベントと言うよりは行政的なイベントのようです。



丹波福知山明智光秀サミット
日 時 2016年5月22日(日) 
場 所 福知山市厚生会館(京都府福知山市字中ノ170)
定 員 800人
内 容
・オープニング(御霊太鼓・福知山踊り)
・基調講演「明智光秀その虚像と実像」小和田哲男氏(静岡大学名誉教授) 
・パネルディスカッション    
 [パネリスト] 小和田哲男氏(静岡大学名誉教授)、松村邦洋氏(タレント)松山正治氏(福知山市長)、桂川孝裕氏(亀岡市長)、中小路健吾氏(長岡京市長) 
 [コーディネーター] 細川珠生氏(ジャーナリスト)
問合せ先
福知山市地域振興部まちづくり推進課
℡0773-24-7033

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明智光秀画像

彦根城 その17 [お城踏査]

池田家長屋門です。

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池田家は中級武士です。

この長屋門は中級武士の長屋門として貴重なものです。

桁行19.8m、梁間3.9m、入母屋造りの門です。

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池田家は池田太右衛門家といい、井伊直孝により「伊賀者」として召し抱えられました。

初めは100石取りでしたが、三代は250石、四代は150石に減知、七代は180石に加増され以降明治維新まで180石取りでした。

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長屋門の中です。

馬屋の跡が確認されたので、復元されました。

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無料公開しています。

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門の部分です。

中には資料が展示されています。

門の横に見張り窓があります。

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近くには井伊直弼ゆかりの埋木舎があります。

彦根城は天守をはじめ櫓などの建物がよく残り、遺構もよく残っているので、まだまだ見どころはたくさんありますが、とりあえず、彦根城の記事はこれで終わります。

(終わり)


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