上田城 その4 [お城踏査]
上田城の続きです。
本丸の南櫓です。
常時内部公開されています。
南櫓と北櫓は明治維新後に払い下げられて、市内で遊郭として使用されていました。
遊郭として利用されていたころの写真です。
2つの櫓が連結されています。
金秋楼と万豊楼と呼ばれていました。
昭和16年にこの櫓が目黒雅叙園に転売されることになりましたが、市民の運動により買い戻されて、城址に移築されました。
内部です。
遊郭として使われていたために、中の柱はカンナがかけられてきれいになっています。
内部の様子です。
銃眼です。
かなり低い位置です。
部屋の隅の銃眼は少し高い位置にあります。
二階の屋根です。
東虎口櫓門です
平成6年に復元されました。
櫓門の内部です。
流石に木材も新しいです。
金箔瓦の鯱です。
上田城では発掘調査により金箔瓦が出土しました。
それを元に復元された鯱です。
(続く)
本丸の南櫓です。
常時内部公開されています。
南櫓と北櫓は明治維新後に払い下げられて、市内で遊郭として使用されていました。
遊郭として利用されていたころの写真です。
2つの櫓が連結されています。
金秋楼と万豊楼と呼ばれていました。
昭和16年にこの櫓が目黒雅叙園に転売されることになりましたが、市民の運動により買い戻されて、城址に移築されました。
内部です。
遊郭として使われていたために、中の柱はカンナがかけられてきれいになっています。
内部の様子です。
銃眼です。
かなり低い位置です。
部屋の隅の銃眼は少し高い位置にあります。
二階の屋根です。
東虎口櫓門です
平成6年に復元されました。
櫓門の内部です。
流石に木材も新しいです。
金箔瓦の鯱です。
上田城では発掘調査により金箔瓦が出土しました。
それを元に復元された鯱です。
(続く)
上田城 その3 [お城踏査]
上田城の続きです。
本丸内にある真田神社です。
とても賑わっていました。
真田神社は江戸時代にはもちろんありませんでした。
明治12年に上田城主であった藤井松平氏の祖先初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公を祀る松平神社として創建されました。
昭和28年に仙石氏、真田氏を合祀して上田神社と改称しました。
昭和38年に真田神社と再度改称されました。
だから真田神社の祭神は真田幸村ではなく、藤井松平氏、仙石氏、真田氏なのです。
とは言っても、真田氏のイメージが強く、絵馬は真田氏です。
真田井戸です。
この井戸からは抜け穴があったと伝えられています。
真田氏らしい伝説です。
本丸の土塁です。
土塀はありません。
本丸にある蔵です。
(続く)
本丸内にある真田神社です。
とても賑わっていました。
真田神社は江戸時代にはもちろんありませんでした。
明治12年に上田城主であった藤井松平氏の祖先初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公を祀る松平神社として創建されました。
昭和28年に仙石氏、真田氏を合祀して上田神社と改称しました。
昭和38年に真田神社と再度改称されました。
だから真田神社の祭神は真田幸村ではなく、藤井松平氏、仙石氏、真田氏なのです。
とは言っても、真田氏のイメージが強く、絵馬は真田氏です。
真田井戸です。
この井戸からは抜け穴があったと伝えられています。
真田氏らしい伝説です。
本丸の土塁です。
土塀はありません。
本丸にある蔵です。
(続く)