長浜城 その5 [お城踏査]

まだまだ続きます、長浜城

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一曲輪から海に向かう途中に腰曲輪が4段あります。

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説明です。

腰曲輪は発掘調査の結果、柱の跡は見つかりましたが、遺物はありませんでした。

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下から見上げた腰曲輪です。

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海の岩礁です。

船を係留した跡が残っています。

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今もヨットの渓流に使われています。

今の柱は新しいものですが、中世もこのような形だったのでしょうね。

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岩盤を削り込んで平場を作っています。

船の施設があったのではないでしょうか。

(続く)

長浜城 その4 [お城踏査]

長浜城の続きです。

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いよいよ第一曲輪です。

近世城郭風に言うと本丸です。

柱は虎口を表します。

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説明です。

柱は塀と虎口を表します。

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虎口部分のアップです。

門を入ると塀に囲まれた空間に入り、どう曲輪につながるのでしょうか。

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奥の二本が門、左手が土塁です。

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一曲輪から見降ろした二曲輪です。

土塁に囲まれた様子がよくわかります。

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一曲輪から見た二曲輪の櫓です。

櫓の左が二曲輪です。

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一曲輪から見た湾です。

ヨットが係留されています。

遠くに富士山が見えます。

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富士山見事です。

(続く)

長浜城 その3 [お城踏査]

長浜城の続きです。

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第二曲輪です。

短い柱は建物の跡です。

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掘立柱建物跡の説明です。

2棟の建物がありました。

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一曲輪と二曲輪の間の堀です。

安山岩を掘りぬいて堀にしています。

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堀の説明です。

幅3m、深さ1.6mです。

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櫓です。

二曲輪の隅に2間四方の柱穴が見つかりました。

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櫓の説明です。

三回建て直されていました。

同じ場所に建て直されていたということはここでなくてはならない理由がありました。

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柱穴の発掘成果図です。

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この櫓は二曲輪から一曲輪への通路を兼ねていた櫓と推定されます。

今回の整備ではそれを踏まえて復元されました。

二曲輪から階段で入り、二階に登り、そこから一曲輪へ渡りました。

説明板が親切丁寧でわかりやすいです。

(続く)

長浜城 その2 [お城踏査]

長浜城の続きです。

長浜城と言えば、やはり滋賀県の長浜城を思い出す人がほとんどのようですね。

静岡県沼津市の長浜城です。

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第四曲輪です。

先端部に土塁があります。

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堀切です。

三曲輪と四曲輪の間の堀切です。

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三曲輪と二曲輪の間の堀切です。

ここは虎口と跳ね橋がありました。

門の位置を擬木で表現しています。

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虎口の部分の図です。

跳ね橋の使い方がよく分かりません。

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説明です。

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三曲輪です。

中に弁財天が祀られていました。

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三曲輪の説明です。

発掘調査で掘立柱建物が見つかっています。

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説明は図が多くてわかりやすいです。

(続く)

長浜城@静岡県沼津市 [お城踏査]

長浜城は静岡県沼津市内浦重須にあった中世城郭です。

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長浜城は国指定史跡です。

昭和63年に指定されました。

近年きれいに整備されたので行って来ました。

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説明が親切で豊富です。

模型や地図、測量図など図が豊富でわかりやすいです。

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長浜城の位置図です。

駿河湾の中の内浦湾に突き出した小さな半島に築かれています。

後北条氏の水軍の城です。

後北条氏の水軍根拠地である重須湊を守るために築かれています。


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長浜城の模型です。

海に突き出ている様子がよくわかります。

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鳥瞰図です。

曲輪の周りに土塁が築かれていることがわかります。

土塁は曲輪の片側にのみ築かれています。

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測量図です。

全山が曲輪となり要害化されている様子がわかります。

発掘調査も行われていることもわかります。

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石碑です。

後北条氏の家紋が入れられています。

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いよいよ城跡に登ります。

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途中から眺めた駿河湾です。

今もヨットが係留されています。

(続く)

名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年5月中旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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上洛殿です。

破風の漆の養生はまだ続きます。

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湯殿書院の建て方が始まりました。

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湯殿書院(左)と黒木書院(右上)です。

湯殿書院と上洛殿を結ぶ廊下も作られています。

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黒木書院です。

屋根工事は進んでいます。

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第三期工事の平面図です。

今年度の本丸御殿の工程です。

平成29年4~6月
洛殿は、内部造作工事を行います。
上御膳所は、内部造作工事、壁左官工事を行います。
黒木書院は、建方を行います。

7~9月
上洛殿は、内部造作工事を行います。
上御膳所は、壁左官工事を行います。
黒木書院は、内部造作工事、屋根工事、壁左官工事を行います。
湯殿書院は、建方、屋根工事、壁左官工事を行います。

10~12月
上洛殿は、内部造作工事を行います。
上御膳所は、内部造作工事、壁左官工事を行います。
黒木書院は、内部造作工事、壁左官工事を行います。
湯殿書院は、内部造作工事、壁左官工事を行います。
素屋根撤去工事を行います。

1~3月
上洛殿、上御膳所、黒木書院、湯殿書院の最終仕上げ工事を行います。
外構工事を行います。

今年度が工事の最終年度です。

来年度の春には完全公開です。

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本丸御殿の現場見学会が5月26日にあります。

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名古屋城の天守です。

河村市長が再選されて天守の木造再建が現実味を帯びてきました。

しかし、500億円という巨額の費用と木材の調達など問題は山積です。

さらに文化庁が国の特別史跡である名古屋城の工事について、今の名古屋市の案では許可がだせないらしいです。

あまりの稚拙な工事の期間の短さと調査の不十分さに対して、大学教授などの専門家は反対しています。

私も天守の木造再建には賛成ですが、あまりの拙速な工期には賛成できません。


山中城 その4 [お城踏査]

山中城の続きです。

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山中城の入り口にある石碑です。

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旧東海道の石畳です。

山中城の中を通っています。

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袋崎出丸です。

旧東海道を挟んで南側に出丸が築かれています。

出丸とは言ってもかなり広い曲輪です。

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説明です。

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出丸の堀です。

障子堀になっています。

障子堀は後北条氏の築城技術と言われますが、近年では、他の地区でも使われていることがわかっています。

豊臣氏の大坂城でも使われていました。

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出丸の先端はすり鉢状になっています。

珍しい形態です。

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出丸の堀です。

芝生が法面に貼られていますが、底の部分ははがれています。

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山中城は日本100名城です。

山中城は、中世城郭ですが、よく整備されていて、土の城を見るには最適です。

山城ですが、駐車場から近く、説明板も多くて、とても見やすい城です。

お城の初心者が行くにはお勧めです。

(終わり)

山中城 その3 [お城踏査]

山中城の続きです。

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本丸跡の説明です。

標高578m、山中城の中心です。

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本丸の最高所にある天守櫓の跡です。

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説明です。

説明によると一辺7.5mの基壇がありました。

かく乱されていて、礎石は確認できませんでした。

近世城郭のような天守ではなかったようですが、大櫓が建てられていたようです。

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本丸です。

本丸は階段状に郭が並んでいます。

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このような平場の郭です。

山中城の他の地区の郭とは縄張りが異なっています。

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本丸と北の丸を結ぶ橋です。

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本丸と北の丸の間の堀です。

ここはまだ整備されていない状態です。

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北の丸です。

郭の内部は整備されています。

土塁は新たに積まれたものです。

(続く)

山中城 その2 [お城踏査]

山中城の続きです。

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二の丸の虎口です。

堀には橋が架けられ、隣には櫓台があり横矢を掛けています。

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正面から見た二の丸の虎口です。

左手の櫓台が高く聳えています。

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二の丸の堀です。

これも障子堀です。

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二の丸虎口の説明です。

看板が経年劣化により薄くなり、読みにくくなっています。

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二の丸虎口から見た橋です。

虎口が桝形になっていることがわかります。

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本丸の虎口と橋です。

橋の架かる部分は堀が浅いです。

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橋から見た本丸です。

本丸の虎口は平入りです。

山中城は本丸など中心部に行くほどなぜか虎口が簡単になっています。

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本丸の堀です。

同じく障子堀です。

堀の法面はシャープです。

落ちたらとても這い上がれません。

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本丸堀の説明です。

(続く)


山中城@静岡県三島市 [お城踏査]

山中城は静岡県三島市にあった中世城郭です。

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旧国道一号線沿いにあります。

天正18年の豊臣秀吉の小田原城攻めに際して激戦がありました。

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三の丸の堀です。

きれいに整備されています。

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本丸の堀です。

堀の中に仕切りが見えます。

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同じく本丸の堀

堀の中央に仕切りがあり、さらに仕切られています。

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この堀は障子堀と言われます。

後北条氏の築城技術の特徴とされています。

堀の中の畝が障子のように見えるため障子堀と言われます。

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西の丸の障子堀です。

堀は発掘の成果を生かして整備されたものです。

この中に落ちたら這い上がれません。

堀の中の畝のため、堀の中での移動が妨げられます。

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西の丸の土塁です。

こちらも復元されたものです。

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西の丸の中には掘っ立て柱建物がありました。

表面表示しています。

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西の丸の櫓台です。

きれいに整備されています。

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西の丸の虎口です。

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西の丸から見た西櫓です。

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西櫓と言われていますが、実際には馬出でした。

後北条氏の多用した角馬出です。

実際には西の丸から西櫓に橋が架かっていましたが、復元整備ではそのように復元されず、西櫓は独立した曲輪として整備されました。

西櫓はどの曲輪とはつながっておらず、ここに立てこもった城兵が逃げ場がないので全滅するしかない縄張りになっています。

しかし、実際には西の丸とつながっていたので、この説明板ではつながっているように解説されています。

(続く)

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