姫路城 その5 [お城踏査]
姫路城の続きです。
西の丸から見たぬの門とりの櫓です。
複雑な形の櫓です。
はの門です。
天守を正面に望みます。
細い坂道を登ります。
はの門は切妻屋根の櫓門です。
はの門から西の丸を振り返ります。
(続く)
西の丸から見たぬの門とりの櫓です。
複雑な形の櫓です。
はの門です。
天守を正面に望みます。
細い坂道を登ります。
はの門は切妻屋根の櫓門です。
はの門から西の丸を振り返ります。
(続く)
姫路城 その4 [お城踏査]
姫路城の続きです。
西の丸から見た天守です。
かなり遠くに見えます。
姫路城の大きさを感じます。
かつては西の丸は御殿がありましたが、今は広場になっています。
ワの櫓です。
二重櫓です。
多聞櫓に接続しています。
ここから長局と呼ばれる渡櫓に入ります。
その長さから百間廊下とも言われます。
渡櫓の内部です。
中は細かく部屋に分かれています。
レの渡櫓です。
長局は長いので、所々に入り口があります。
ルの櫓です。
長局の所々に二重櫓が作られています。
長局から見た天守です。
まだまだ遠いです。
長局の内部の部屋です。
ここには女中が住んでいました。
西の丸の御殿が手狭のため渡櫓内に部屋を作りました。
天井が張られています。
長局は一部は二階になっています。
これは西の丸内に高低差があるためにそれを埋めるためです。
ヌの櫓です。
手前の渡櫓は石垣をはみ出して懸け造りになっています。
化粧櫓です。
長局最後の櫓です。
化粧櫓の内部です。
内部は畳敷です。
床の間も備えられています。
人形は千姫を模しています。
徳川家康の孫の千姫が住んでいたと伝えられます。
そのため化粧櫓と呼ばれています。
化粧櫓から見た天守です。
少し近づいてきました。
土塀と櫓が重なり合う姿は壮観です。
(続く)
西の丸から見た天守です。
かなり遠くに見えます。
姫路城の大きさを感じます。
かつては西の丸は御殿がありましたが、今は広場になっています。
ワの櫓です。
二重櫓です。
多聞櫓に接続しています。
ここから長局と呼ばれる渡櫓に入ります。
その長さから百間廊下とも言われます。
渡櫓の内部です。
中は細かく部屋に分かれています。
レの渡櫓です。
長局は長いので、所々に入り口があります。
ルの櫓です。
長局の所々に二重櫓が作られています。
長局から見た天守です。
まだまだ遠いです。
長局の内部の部屋です。
ここには女中が住んでいました。
西の丸の御殿が手狭のため渡櫓内に部屋を作りました。
天井が張られています。
長局は一部は二階になっています。
これは西の丸内に高低差があるためにそれを埋めるためです。
ヌの櫓です。
手前の渡櫓は石垣をはみ出して懸け造りになっています。
化粧櫓です。
長局最後の櫓です。
化粧櫓の内部です。
内部は畳敷です。
床の間も備えられています。
人形は千姫を模しています。
徳川家康の孫の千姫が住んでいたと伝えられます。
そのため化粧櫓と呼ばれています。
化粧櫓から見た天守です。
少し近づいてきました。
土塀と櫓が重なり合う姿は壮観です。
(続く)
姫路城 その3 [お城踏査]
名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年11月中旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]
名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。
素屋根の解体が始まっています。
素屋根の壁は取れましたが、鉄骨は残っています。
中央の屋根が上洛殿です。
三期工事のメイン建物です。
屋根にはまだ覆いの布がかけられています。
対面所の屋根です。
素屋根のかかっていた部分は屋根の色が違います。
天守から見た本丸御殿です。
素屋根の天井は外れています。
小天守の右上に見えるのが湯殿書院です。
建物の外観は出来上がっているようです。
天守から見た御殿の工事現場です。
間もなく全体が見えます。
天守台石垣の発掘調査が行われていました。
名古屋城天守は木造で再建しなおす予定です。
そのための発掘調査です。
天守台の裾を何か所か発掘しています。
そのアップです。
土中に埋もれた天守台の石垣です。
根石まで掘るのでしょうか。
名古屋城菊華展を開催中です。
見事な菊です。
盆栽の部です。
見事な小世界が表現されています。
菊人形です。
徳川家康と初代名古屋城主の徳川義直です。
義直は家康の九男です。
家康の58歳の時の子どもです。
素屋根の解体が始まっています。
素屋根の壁は取れましたが、鉄骨は残っています。
中央の屋根が上洛殿です。
三期工事のメイン建物です。
屋根にはまだ覆いの布がかけられています。
対面所の屋根です。
素屋根のかかっていた部分は屋根の色が違います。
天守から見た本丸御殿です。
素屋根の天井は外れています。
小天守の右上に見えるのが湯殿書院です。
建物の外観は出来上がっているようです。
天守から見た御殿の工事現場です。
間もなく全体が見えます。
天守台石垣の発掘調査が行われていました。
名古屋城天守は木造で再建しなおす予定です。
そのための発掘調査です。
天守台の裾を何か所か発掘しています。
そのアップです。
土中に埋もれた天守台の石垣です。
根石まで掘るのでしょうか。
名古屋城菊華展を開催中です。
見事な菊です。
盆栽の部です。
見事な小世界が表現されています。
菊人形です。
徳川家康と初代名古屋城主の徳川義直です。
義直は家康の九男です。
家康の58歳の時の子どもです。
史跡金ヶ崎城跡シンポジウム [お城踏査]
お城のシンポジウムの案内です。
11月は本当に多いですね。
史跡金ヶ崎城跡シンポジウム
日 時 2017年11月23日(木) 14時~16時00分
場 所 きらめきみなと館(福井県敦賀市)
定 員 200名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「金ヶ崎城跡の歴史的意義」外山慎一郎氏(敦賀市立博物館)
パネルディスカッション
金ヶ崎城跡の保山と活用を考える
問合せ
敦賀市文化振興課
℡0770-22-8152
11月は本当に多いですね。
史跡金ヶ崎城跡シンポジウム
日 時 2017年11月23日(木) 14時~16時00分
場 所 きらめきみなと館(福井県敦賀市)
定 員 200名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「金ヶ崎城跡の歴史的意義」外山慎一郎氏(敦賀市立博物館)
パネルディスカッション
金ヶ崎城跡の保山と活用を考える
問合せ
敦賀市文化振興課
℡0770-22-8152
国境の城黒崎城―まぼろしの実像に迫る [お城情報]
お城のシンポジウム多いですね。
最近は江戸城や姫路城のような有名な城ではない城を取り上げるシンポジウムも多いですね。
実際、黒崎城って知りませんでした。
国境の城黒崎城―まぼろしの実像に迫る
日 時 2017年11月23日(木) 13時30分~17時00分
場 所 いのちのたび博物館(福岡県北九州市八幡東区東田2-4-1)
定 員 250名(申込不要)
参加費 無料
内 容
「黒崎城を掘る」関川采氏(北九州市文化企画課)
「黒崎城と筑前六端城―北部九州の近世城郭としての位置づけ」岡寺良氏(九州歴史資料館)
「慶長の築城ラッシュと黒崎城」中井均氏(滋賀県立大学)
質疑応答
問合せ
北九州市文化企画課
℡093-582-2391
最近は江戸城や姫路城のような有名な城ではない城を取り上げるシンポジウムも多いですね。
実際、黒崎城って知りませんでした。
国境の城黒崎城―まぼろしの実像に迫る
日 時 2017年11月23日(木) 13時30分~17時00分
場 所 いのちのたび博物館(福岡県北九州市八幡東区東田2-4-1)
定 員 250名(申込不要)
参加費 無料
内 容
「黒崎城を掘る」関川采氏(北九州市文化企画課)
「黒崎城と筑前六端城―北部九州の近世城郭としての位置づけ」岡寺良氏(九州歴史資料館)
「慶長の築城ラッシュと黒崎城」中井均氏(滋賀県立大学)
質疑応答
問合せ
北九州市文化企画課
℡093-582-2391
彦根城学術シンポ2017-発掘・解体修理からみえてきた彦根城の文化財としての価値 [お城情報]
お城のイベントです。
11月もイベント多いです。
彦根城学術シンポ2017-発掘・解体修理からみえてきた彦根城の文化財としての価値
日 時 2017年11月19日(日) 13時~17時00分
場 所 滋賀大学経済学部(滋賀県彦根市)
定 員 400名(申込要)
参加費 無料(資料代500円)
内 容
史跡岡山城跡の調査・研究からみえた城郭の歴史 (岡山市教育委員会文化財課長 乗岡 実氏)
県史跡郡山城跡天守台石垣解体調査から見えた城郭の歴史(大和郡山市教育委員会生涯学習課文化財係主任 十文字健氏)
特別史跡彦根城跡の石垣解体調査からみえた築城工程(彦根市教育委員会文化財課担当職員)
名勝玄宮楽々園の発掘調査からみえた彦根城の空間構造の変遷(彦根市教育委員会文化財課担当職員)
シンポジウム「城跡の調査・研究からみえてくる真の価値とその意義」
(司会:滋賀県立大学人間文化学部教授 中井 均氏)
問合せ
彦根市教育委員会文化財課
℡0749-26-5833
11月もイベント多いです。
彦根城学術シンポ2017-発掘・解体修理からみえてきた彦根城の文化財としての価値
日 時 2017年11月19日(日) 13時~17時00分
場 所 滋賀大学経済学部(滋賀県彦根市)
定 員 400名(申込要)
参加費 無料(資料代500円)
内 容
史跡岡山城跡の調査・研究からみえた城郭の歴史 (岡山市教育委員会文化財課長 乗岡 実氏)
県史跡郡山城跡天守台石垣解体調査から見えた城郭の歴史(大和郡山市教育委員会生涯学習課文化財係主任 十文字健氏)
特別史跡彦根城跡の石垣解体調査からみえた築城工程(彦根市教育委員会文化財課担当職員)
名勝玄宮楽々園の発掘調査からみえた彦根城の空間構造の変遷(彦根市教育委員会文化財課担当職員)
シンポジウム「城跡の調査・研究からみえてくる真の価値とその意義」
(司会:滋賀県立大学人間文化学部教授 中井 均氏)
問合せ
彦根市教育委員会文化財課
℡0749-26-5833
フォーラム「発祥の地、赤松から考える―赤松氏研究の新展開」 [お城情報]
お城関係のシンポの案内です。
フォーラム「発祥の地、赤松から考える―赤松氏研究の新展開」
日 時 2017年11月18日(土) 13時~17時00分
場 所 生涯学習支援センタ(兵庫県赤穂郡上郡町上郡459-1)
定 員 400名(申込不要)
参加費 無料(資料実費)
内 容
講演
「文献史からみた赤松地区」大村拓生氏(ひょうご歴史研究室歴史研究推進員)
「赤松居館跡発掘調査の成果と課題」島田 拓氏(上郡町教育委員会)
「南北朝・室町期の平地居館」山上雅弘氏(兵庫県立考古博物館)
フォーラム
司会 小林基伸氏(大手前大学)大谷輝彦氏(姫路市教育委員会)
問合せ
兵庫県立歴史博物館
℡079-288-9011
フォーラム「発祥の地、赤松から考える―赤松氏研究の新展開」
日 時 2017年11月18日(土) 13時~17時00分
場 所 生涯学習支援センタ(兵庫県赤穂郡上郡町上郡459-1)
定 員 400名(申込不要)
参加費 無料(資料実費)
内 容
講演
「文献史からみた赤松地区」大村拓生氏(ひょうご歴史研究室歴史研究推進員)
「赤松居館跡発掘調査の成果と課題」島田 拓氏(上郡町教育委員会)
「南北朝・室町期の平地居館」山上雅弘氏(兵庫県立考古博物館)
フォーラム
司会 小林基伸氏(大手前大学)大谷輝彦氏(姫路市教育委員会)
問合せ
兵庫県立歴史博物館
℡079-288-9011
姫路城 その2 [お城踏査]
姫路城の続きです。
姫路城の三ノ丸は建物は何も残っていないので、大手門から次の門までは少し距離があります。
次の門は菱の門です。
門の前には空間があり枡形の役割をしていました。
菱の門は櫓門です。
菱の門の正面です。
格子窓の隣は火頭窓になっています。
火頭窓は飾りだけのようにも見えます。
格子は黒漆喰に金で装飾されています。
門の上には菱の門の名前の由来になっている菱が付けられています。
菱の門の門扉です。
頑丈にするために鉄が打ちつけられています。
城門らしい門扉です。
城内から見た菱の門です。
大型の櫓門です。
姫路城には多くの門が残っていますが、平山城のため地形に左右されているため平地に建てるような普通の門は少ないです。
菱の門のような正当な櫓門は姫路城では珍しいです。
江戸時代の姫路城の復元図です。
姫路城は櫓や門がよく残っているほうの城ですが。それでも今はこの三分の一も残っていません。
(続く)
姫路城の三ノ丸は建物は何も残っていないので、大手門から次の門までは少し距離があります。
次の門は菱の門です。
門の前には空間があり枡形の役割をしていました。
菱の門は櫓門です。
菱の門の正面です。
格子窓の隣は火頭窓になっています。
火頭窓は飾りだけのようにも見えます。
格子は黒漆喰に金で装飾されています。
門の上には菱の門の名前の由来になっている菱が付けられています。
菱の門の門扉です。
頑丈にするために鉄が打ちつけられています。
城門らしい門扉です。
城内から見た菱の門です。
大型の櫓門です。
姫路城には多くの門が残っていますが、平山城のため地形に左右されているため平地に建てるような普通の門は少ないです。
菱の門のような正当な櫓門は姫路城では珍しいです。
江戸時代の姫路城の復元図です。
姫路城は櫓や門がよく残っているほうの城ですが。それでも今はこの三分の一も残っていません。
(続く)
姫路城@兵庫県姫路市 [お城踏査]
姫路城に行って来ました。
言わずと知れた国宝、世界遺産です。
三ノ丸の堀です。
幅広い水堀です。
石垣の上には櫓が並んでいました。
桜門橋と大手門です。
別アングルから見た桜門橋です。
奥に天守が見えます。
大手門です。
とても大きな高麗門です。
姫路城の現存している門は比較的小さな門が多くこの門の大きさは異常です。
人と比較すると大きさがわかります。
実はこの大手門は現存ではなくて、昭和13年に作られたものです。
本当の門はこんなに大きくはなかったです。
大手門は三重の枡形門になっていましたが、今は石垣が取り払われて真っすぐ進めます。
一部の石垣で偲ぶことができます。
子細に見ると道に石垣跡が色を変えて示されていますが、なかなか気づきません。
大手門付近の図です。
実際はこのように複雑な構造でした。
大手門を入ると天守が見えます。
白鷺城の別名のとおり美しい天守です。
(続く)
言わずと知れた国宝、世界遺産です。
三ノ丸の堀です。
幅広い水堀です。
石垣の上には櫓が並んでいました。
桜門橋と大手門です。
別アングルから見た桜門橋です。
奥に天守が見えます。
大手門です。
とても大きな高麗門です。
姫路城の現存している門は比較的小さな門が多くこの門の大きさは異常です。
人と比較すると大きさがわかります。
実はこの大手門は現存ではなくて、昭和13年に作られたものです。
本当の門はこんなに大きくはなかったです。
大手門は三重の枡形門になっていましたが、今は石垣が取り払われて真っすぐ進めます。
一部の石垣で偲ぶことができます。
子細に見ると道に石垣跡が色を変えて示されていますが、なかなか気づきません。
大手門付近の図です。
実際はこのように複雑な構造でした。
大手門を入ると天守が見えます。
白鷺城の別名のとおり美しい天守です。
(続く)