西尾城シンポジウム4 [お城情報]

西尾市教育委員会では西尾城と地震災害と題して下記の通りシンポジウムを開催しますので、ご案内します。地震災害に関心がある方、研究を進めていらっしゃる方はご参加いただければ幸いです。
西尾城も宝永地震(1707)により天守が大破するなど大きな被害を受けていたことが近年わかりました。今回は、元禄地震、宝永地震などによる全国の城郭の被害状況や修復過程を紹介しながら、地震被害と城郭について考えます。
なお、地震災害にご関心をお持ちの方に、本シンポジウムの開催を幅広くご案内いただければ幸いです。


西尾城シンポジウム4-西尾城と地震災害
日 時 2017年11月18日(土) 13時~16時45分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料(資料代実費)
内 容
○基調講演
「宝永地震の城郭被害―各藩修復願いの歴史的意味を問う」 北原糸子氏(立命館大学歴史都市防災研究所客員研究員)
○報告
「考古学から見た地震災害―清洲城下町遺跡を中心に」 鈴木正貴氏(愛知県埋蔵文化財センター調査研究専門員)
「西尾市の災害史」  神尾愛子氏(西尾市教育委員会学芸員)
○パネルディスカッション
パネリスト 北原糸子氏、鈴木正貴氏、神尾愛子氏、石川浩治氏(西尾市教育委員会)
司会 齋藤俊幸氏、鈴木とよ江氏(西尾市教育委員会)
問合せ
西尾市教育委員会文化振興課
℡0563-56-6660

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大垣市たらい船 [歴史雑話]

大垣市は水郷です。

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お城の堀は埋め建てられてしまいましたが、川は市内に流れています。

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川ではたらいに乗ることができます。

不安定そうですが、大丈夫です。

関ヶ原合戦での大垣城の籠城の際に、たらいに乗って城を脱出したおあむ物語に因むイベントです。

かつてはありませんでしたが、観光のために作られました。

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大垣市のマンホールです。

お城ではなく、川と船がデザインされています。

カラー版です。

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こちらは塗装してないものです。
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大垣城 その6 [お城踏査]

大垣城の続きです。

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明治29年の大洪水点です。

洪水により大垣城が水没しました。

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天守の石垣にその水位が刻まれています。

文化財である石垣を削ってしまうことは何ですが、明治時代なので仕方ないか。

しかし、こんなに水位があったのは驚きです。

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石垣には化石が見えます。

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本丸の図です。

茶色の部分の櫓が再建された建物です。

多くの櫓や多聞櫓が林立していたことがわかります。

本丸の中に天守曲輪がある二重構造になっていました。

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七間多聞跡です。

天守曲輪に入る門です。

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鉄門です。

本丸の入り口です。

下に礎石が見えます。

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鉄門の礎石です。

2つ残っています。

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東埋門跡です。

天守曲輪の門です。

破壊が激しく遺構は判然としません。

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辰巳櫓跡です。

櫓台が残っています。

天守曲輪の中にあった二重櫓です。

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天守の付櫓です。

入り口が2つあります。

ひとつは穴蔵になっていたのでしょうか。

石垣の積み方も不自然に見えるので一つは後世に作られたのかもしれません。

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本丸の石垣です。

左は堀跡です。

(終わり)

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大垣城 その5 [お城踏査]

大垣城の続きです。

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かつての大垣城を描いた絵です。

手前の櫓は復元されている艮櫓と乾櫓です。

本丸の周りは広い水堀でした。

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本丸全体を描いた絵です。

本丸の中に天守丸があるような縄張りです。

本丸には四重の天守の他に三重櫓もありました。

二之丸には廊下橋でつながるのみの堅い守りでした。

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二之丸の様子です。

二之丸には御殿があり、三重櫓が3基もありました。

二之丸も外部とは1本の土橋でつながれるだけです。

まさに鉄壁の守りです。

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本丸の土塀です。

復元されたものです。

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天守です。

(続く)

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織田信長サミット [お城情報]

織田信長サミットです。
毎年開催場所を変えて行っています。
今年は富士宮市で開催です。


織田信長サミット
日 時 2017年11月11日(土) 13時~17時00分
場 所 富士宮市民文化会館(静岡県富士宮市宮町14-2)
定 員 500名(申込不要)
参加費 無料
内 容
講演会
安部龍太郎(歴史作家)
小和田哲男氏(静岡大学教授)
問合せ
http://nobunaga-fujinomiya.jp/

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シンポジウム甲賀武士の一所懸命―城からみた多羅尾氏の生き残り術 [お城情報]

お城のシンポジウムの案内です。
甲賀市は忍者の里と言われますが、市内にはたくさんのお城が作られていました。
多羅尾氏は徳川氏に通じて家康の伊賀越えの際にも尽力しています。


シンポジウム甲賀武士の一所懸命―城からみた多羅尾氏の生き残り術
日 時 2017年11月11日(土) 13時~16時00分
場 所 信楽開発センター(滋賀県甲賀市信楽町長野1252)
定 員 100名(申込不要)
参加費 200円
内 容
「史料からみた戦国期の多羅尾氏」伊藤誠之氏(甲賀市教育委員会歴史文化財課)
「甲賀武士の城」小谷徳彦氏(甲賀市教育委員会歴史文化財課) 
「多羅尾氏の城を歩いて」中井均氏(滋賀県立大学)
パネルディスカッション
司会 長峰透氏(甲賀市教育委員会)
パネラー 中井氏、伊藤氏、小谷氏
問合せ
甲賀市教育委員会
℡0748-86-8026
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幸田町・島原市友好交流シンポジウム ギヤマン、日欧を結ぶ [お城情報]

幸田町・島原市友好交流シンポジウム ギヤマン、日欧を結ぶ
日 時 2017年11月11日(土) 9時~17時15分
場 所 幸田町中央公民館(愛知県幸田町大字菱池字黒方78)
定 員 150名(申込要)
参加費 無料
内 容
「ガラスの科学分析からわかること」 田村朋美氏(奈良文化財研究所)
「出島出土のギヤマンからみる東西交流」 岡泰正氏(神戸市小磯記念美術館)
「島原藩主出島への道」 吉田信也氏(島原市教育委員会)
「島原藩主の長崎御用とは」 松尾晋一氏(長崎県立大学)
「大名と長崎」 榊原悟氏(岡崎市美術博物館長)
パネルディスカッション
問合せ
幸田町教育委員会
℡0564-62-1111
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石垣で魅せる!山陰三城跡シンポジウム「米子城、鳥取城、月山富田城」 [お城情報]

お城のシンポジウムの情報です。

11月もイベント多いです。

順次紹介します。



石垣で魅せる!山陰三城跡シンポジウム「米子城、鳥取城、月山富田城」
日 時 2017年11月11日(土) 13時~17時00分
場 所 米子市文化会館(鳥取県米子市)
定 員 600名(申込不要)
参加費 無料
内 容
○基調講演
「豊臣大名がやって来た!~大きく変わる城の姿~」‐米子城・鳥取城・月山富田城  加藤理文氏
パネルディスカッション 15:00~16:30
(コーディネーター)加藤理文氏
細田隆博氏(鳥取市教育委員会)
水口晶郎氏(安来市教育委員会)
濵野浩美氏(米子市教育委員会)
問合せ
米子市教育委員会
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大垣城 その4 [お城踏査]

大垣城の続きです。

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天守です。

大垣城の天守は明治維新後も残り、国宝に指定されていましたが、昭和20年7月22日に空襲により焼失してしまいました。

昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されました。

再建時には展望のため実際より窓を大きく作ったので、平成23年に元のように改修されました。

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東から見た天守です。

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大垣城の天守は付櫓が付いていました。

天守には付櫓から入ります。

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天守の断面図です。

付櫓が実は2階だったことがわかります。

天守は4階でした。

天守の重は奇数が多く、中でも4階は死につながるということで避けられていたと言われますが、実際には4重の天守は尼崎城など他にもありました。

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天守に入ると石田三成がお出迎え。

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江戸期の大垣城初代城主戸田氏鉄です。

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大垣城の絵図です。

本丸と二之丸が幅広い堀に囲まれていることがわかります。

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天守の最上階です。

太鼓が置かれています。

(続く)
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大垣城 その3 [お城踏査]

大垣城の続きです。

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本丸の西側です。

櫓門が見えます。

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正面から見た西門です。

本来はここに門はありませんでした。

この門は全くの模擬門です。

いわば公園の門です。

大垣城を整備するならばこのような史実にはない門を作るべきではなかったですね。

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西門と天守です。

史実にはない門ですが、天守と写ると様になっています。

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大垣城主の戸田氏の銅像です。

(続く)
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